第17話 母はMr.フェイスレスについて悩む
「はあ…」
夜の街の風景を横目に流しつつ、送迎車の中で思わずため息をついた。普段ならお母様が同伴しているからため息程度の醜態も晒すわけにはいかないが、幸いにも今日は私一人での出席。運転手の田下くんは余計なことを喋るタイプではないから、つい弱音が漏れてしまった。
今、私たちが向かっているのは退治屋同士の会合だ。少なくとも三ヶ月に一度、凍京で活動している退治屋たちが集まっては会議を行う。この会合は辿って行けば江戸時代にまで遡るのだから恐ろしい。
最近の妖怪出没報告、人的、物的な被害状況、出現する妖怪の傾向、使用した術・式法の有効性と結果、新たに確認された特殊妖怪や珍種の簡易報告などなど。
どれも重要な情報交換なのは理解しているが足取りは軽くはならない。それもそのはずで建設的な意見交換会であれば大層有意義になるには違いないのだが、どの家も組織も格式やプライドなどが先行して成果と失敗を針小棒大に語ってくるのだから質が悪い。
それだけならまだしも大きな被害が出たときなどは責任のなすりつけを数時間にわたって見せられることもある。
特に今回は先日に現れた鵺と仮に決定づけた妖怪の対処が及ばなかったという落ち度がある。他家から重箱の隅をつつく様な言葉を浴びせられる未来が容易に想像できていた。天下に名を轟かす神邉家がミスを犯して恥をさらすのは、きっと爽快に映るだろう。
そして見も聞きもしない連中が鵺について再び話し合う。
議論するほど成果が薄まる、不思議な公式だ。
しかも今回はもう一つの懸念がある。
およそひと月ほど前に現れたミスターフェイスレスと名乗り、妖怪退治を行う謎の人物。いや人物なのかすら定かではない。妖怪とも人間とも断定できない不可思議な存在、というのが目下の評価だった。
どう見ても妖怪なのに妖気は発しておらず、どう考えても人間とは思えない力業で妖怪をなぎ倒す。話によると妖怪絡みではない事件にも現れて人助けをしているらしい。神出鬼没で報告を受けて現場に駆けついても、既に行方を暗ました後だったというの事が連日になって続いている。
話によるとかなり気さくな性格で、少なくとも日本語と英語でコミュニケーションを取ってくるらしい。
今のところ、犯罪者を除いた一般市民に危害を加えたという報告はされていないけれど私はものすごい嫌な予感と言うか、胸騒ぎを覚えている。それは私に限ったことではなく、退治屋のほとんどが彼の存在を好ましく思っていない。
妖怪退治の目的がまるで分からないからだ。金銭や報酬を要求するでもなく単純に妖怪退治を行い、消える。強いて言えば「自己顕示」が考えられるけれど、何か声明を出すこともないから確実とは言えなかった。
反面、一般人からは半ばヒーローのように扱われ始めている。状況が許せば写真撮影にも応じるらしく、SNSでは連日に渡って彼に関する投稿が界隈を賑わせていた。
鵺、フェイスレス、そして家族の事。
我ながら悩みの種が多すぎて笑えてしまう。
近頃ではこの車内の移動時間が唯一、何事からも解放されるひとときだった。
だが、それも唐突に終わりを迎える。私の耳に、あの日に聞こえた鵺のものと思われる笛の音が飛び込んできたからだ。
「田下くん、急いで車を停めて!」
「は」
若干の戸惑いを見せつつも田下くんは流石のテクニックですぐさま道路脇に停車してくれた。慌てて外に飛び出して街にそびえるビルの合間から笛の音の出所を探る。喧騒の中にあっても不思議とここまで響いてきているのに、誰一人として気にしている通行人はいなかった。
むしろ一人だけ慌てふためく私を好奇の目で見るばかり。
「誰もこの音が聞こえていない…?」
私以外の誰にも聞こえていないということか。当然の仮説を立てた私は車で待機していた田下くんの元に駆け寄って訪ねた。
「ねえ、田下くん。耳を済ましてみて。笛の音が聞こえない?」
「笛ですか…?」
「そう。和笛の音。演奏しているんじゃなくて、ただ吹き鳴らしているみたいな音が聞こえていない?」
田下くんは下車して耳を済ましてくれた。
しかしその顔は何を言っているのか、私の意図を図りかねているようだった。
「すみません、奥さま。私には何も」
「そう…」
田下くんは現場にこそ出れないが、霊力がからっきしという訳ではない。もしかして霊力のない一般人だから聞こえていないのかとも思ったが、どうやら違うらしい。
あれこれと考えているうちにいつの間にか私にも笛の音は聞こえなくなっていた。疑問はより大きく残るだけだったけれど、もうここに留まる理由はない。仕方なく私は車へと戻っていった。
「ごめんなさい。気のせいだったみたい、また運転お願いね」
「かしこまりました」
姿を見たのであれば追いかけようもあったのに…悔やまれるけれど、現状は会合に向かう他なかった。
□
やがて私たちは会場であるホテルへとたどり着いた。すでに他家の人間たちは続々と到着しているようで、格式ある着物や礼服に身を包んだ退治屋たちが、ロビーのあちこちで挨拶を交わしていた。
会議用に設営されたフロアは天井の高い和洋折衷の空間で、大きな円卓が転々と配置されている。これが結婚披露宴ならどれだけ良かったか、と毎回思いながら入場する。
席順は家格によって決まっており、私は当然、上座に近い席に案内された。
すると、すぐに空気の違いを察した。
いつもなら淡々と会議までのささやかな平穏を過ごすのにざわめきが止まない。中堅の退治屋たちが顔を寄せ合ってひそひそと話している。いつもは無表情で通すような古参の者までもが、顔をこわばらせている。
「聞いたか? 『鵺』だったらしいぞ…例の化け物は」
「しかも、それを逃したのが―」
「神邉家と津島家が?」
明確に私の名前が出たわけではないが、痛いほどの視線が突き刺さる。居心地の悪さに胸が詰まる。
しかし、それと同じくらいに漏れ聞こえてきたのは、もう一つの問題の名前だった。
「フェイスレス……あれは一体何者なんだ」
「妖怪じゃない。けれど人間でもない。術も通じないという報告まである」
「ああ写真を見ましたよ。まるでのっぺらぼうの…」
「今のところ市民には害を及ぼしていないらしいが」
「どの現場も着いた頃には仕事が終わってるってのは、もう…」
視線と噂話とが突き刺さってくる。しかしこの状況は織り込み済みだ。初めて会合に足を運んだ十代の頃ならいざ知らず、今となって不快感を露にする事もなかった。
思えば悠にもそろそろ経験をさせる事を考えないといけない。現状、才能を鑑みると次の当主に近いのはあの子だ。思春期に入って少し接し方が難しくなったけれど、そろそろ神邉家の正式な跡取りとして扱っていかないと。
そんな事を考えていたとき、明確に悪意のこもった声をぶつけられた。
「こんばんわ、神邉さん」
低く呟いたその声に、周囲のざわめきが一瞬だけ止んだ。
声の主は、私の曾祖父の代から敵対的な立場にいる、明井流の宗家である明井朝雪。陰険で皮肉屋として知られているが、頭の回転だけは群を抜いている男だ。
彼は私に視線を送り、笑みすら浮かべずに言った。
「さあさ。神邉家は鵺に逃げられ、正体不明の勢力が代わりに正義の味方を気取って暴れている…今日の議題は久方ぶりに盛りだくさんですね、神邉操殿?」
静かに、だが確実に私に刃を突きつけてくるようなその言葉に、私は微笑みで応じた。
退治屋の敵は何も妖怪ばかりではない。
この場もまた、油断できぬ戦場なのだ。
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