第15話 母は知人とカラオケに行く
それから三十分程度経った頃だろうか。
脱け殻の中身を追いかけていった退治屋たちが全員帰ってきた。軒並み眉間にシワを寄せ、不完全燃焼なのは丸分かりだ。成果を上げれば一気に方々へ名を売れたチャンスを逃してしまったのだから当然だろう。
結果として追わずにいた側が相対的に名誉を守れたのは皮肉な話だ。
追跡した面々が戻ってくる間に脱け殻には封印を施しておいた。ついでに庭園の修復も済ませている。完全ではないが、出戻りの驚いた表情を見るにそこそこの再現はできたと言うことだろう。
まさか「脅威は去ったことですし、飲み直しましょう」なんて言い出す者もいるわけもなく、食事会はお開きとなった。そもそもお偉い先生方は勇敢にもこの料亭からは早々に退席済みだ。今頃は運転手つきの高級車の中で事の顛末を秘書などから聞かされている頃だろう。
どの道、幸運だ。あんな息の詰まるところに居続けるのは根気がいるから。
料亭の関係者から口々にお礼を貰いつつ、私たちもぞろぞろと帰路へ着く。すると玄関を出たところで津島さんに呼び止められたのだ。
「神邉さん」
「何でしょうか?」
「驚異は去ったことですし、飲み直しましょう」
「…」
「あれ? なんか変なことをいってしまいましたか?」
まさか本当にそんなことをいう人がいるとは思わなかった。けれど誘われたとて飲み直すつもりは毛頭ない。こういった正式な会合ならいざ知らず、男女が二人きりで出掛けてあらぬ噂をたてられても迷惑だ。
特に津島さんは大層おモテになるらしいから。
私はそんなような事を大して包み隠さずに伝えた。
「ま、そう言われるんじゃないかと思ってましたから、口説き文句は考えてきましたよ」
「はい?」
「さっきの妖怪について情報交換をしませんか? 脱け殻は調べられても本体の方は追いかけていないから気になることもあるでしょう?」
「…」
「私もあの池に残っていたものについても教えていただきたい」
なるほど。
確かにいい口説き文句だと素直に感心した。言われた通り逃げ出した妖怪の情報は得られていない。並大抵の退治屋の提案なら無下にしても良かったけれど、津島家当主の掴んだ情報となると、飲み直すくらいの時間を割くには値するか。
私はすぐにビジネスモードに切り替えて、取って付けたような笑顔を作る。
「そう言うことでしたらご一緒します」
「そうこなくては」
□
津島さんの誘いに乗って場所を変える。てっきり似たような料亭か個室のある洒落た小料理屋にでも連れていかれるかと思っていた。けれども、今いるのは繁華街にある至って普通のカラオケの受け付け。
表情は崩さないように努めていたけれど、内心は少しだけ混乱していた。
若い頃から退治屋稼業に勤しんでいたものだから、学生時代から数えてもこういった娯楽施設に足を運んだ経験は指折り数えられる程度しかない。反対に津島さんは慣れた様子でどんどんとプランを決めていった。
案内されるままに部屋に入ると、くつくつと笑われてしまった。
「いやぁ、カラオケルームで緊張する方も珍しい」
「不慣れなもので」
「お互い妙な噂は立てられたくないでしょう? カラオケの個室はカメラもあるし、まさか神邉と津島の当主がこんなところで密会するとも思わないでしょうし」
「そうですね、いい盲点だと思います…それと訂正ですが、私は神邉の当主ではありませんので」
「ああ、そうでしたね。失礼」
本当に個室と呼ぶにふさわしいこじんまりとした部屋のソファに腰を掛ける。入店と同時に注文していた軽食が届けられ、店員の女の子が出ていくのを見届けたところで私たちは早速本題に入った。
「これが私が見たものです」
津島さんは手帳の開いて見せてくる。そこにはシャープペンで描かれた異形の絵があった。ほんの一時の間でよく観察していたと思うし、それを写実的に絵に起こせるのは意外な才能を見せてもらった。
しかし肝心なのはそこじゃない。
描かれていた妖怪は体の大半が影というかモヤのようなものに包まれていて全容が掴めない。ただそのモヤのあちこちから色々な生き物の片鱗が見え隠れしていた。
馬の足、狼の頭、鷲の翼、魚の尾、牛の角、それに烏賊の触手やライオンの前足も見える。様々な動物の特徴的な部分がモヤの至るところから突出しているものだから整合性がまるで感じられない。
ツギハギだらけの寄せ集め。著しく生物への冒涜を感じるフォルムだった。
「これが…」
「ええ、そうです。地上にいれば未だしも録な装備もなしに飛んで逃げられてしまっては、恥ずかしながら打つ手がありませんでした」
「飛んでいたということは、この翼でですか?」
「羽ばたいてはいましたが、ご覧の通り妙な場所から生えている羽ですからね。別の力で浮かんでいたんだと思います。動きが不規則で狙うのも厄介でした」
「下手に撃って建物にでも当たれば事ですからね。例え私が追いかけていたとしても取り逃がしていたでしょう」
「神邉さんに言ってもらえると少しは気が楽になりますね」
次に私はスマホの写真を見せた。絵心がないからスケッチをするなんて発想すら沸かない。写真と津島さんの絵を元に私なりの考察を伝える。
と言っても脱皮に近い脱け殻だったということと、色々な動物の特徴が認められるというだけで大した話はできなかった。互いが互いに自分が見たもののの不気味さをより際立たせるだけであった。
津島さんはグラスを傾けて喉を潤すと、一番手っ取り早く核心を突いてきた。
「これが何なのか検討つきますか?」
「…直接的な一致ではありませんが、この姿を見て一つだけ思い浮かんだ妖怪があります」
「と言いますと?」
「『鵺』ですよ」
私がそう言うと津島さんの目がわずかに細まった。
今しがた口走った「鵺」というのは『平家物語』や『源平盛衰記』などに記録を持つ妖怪の名前。顔は猿、胴は狸、手足は虎、尾が蛇、そしてトラツグミの声で鳴くと言われている。
出典が古すぎる上、近代でも目撃情報は全くないので断定はできない。特徴もまるで揃っていないし、言ったは良いものの自分でも荒唐無稽な発想だと思う。
「けれど、異なる動物の集合体という点は合致していると思います」
「世の移り変わりで変容するのは人ばかりではありませんからね、平案時代のソレと成り違うとしてもおかしくはない、か」
「どの道、私たち二人で結論を出すのは早計です。退治屋同士で情報を共有しても構いませんね?」
「それこそ私と神邉さんがいたのに取り逃したんですよ? 明日には知れ渡っているでしょう」
「それもそうですね」
私はオレンジジュースを飲み、津島さんはフライドポテトを口にした。
かなり仰々しい話をしているのにジャンクな食べ物とカラオケボックスの雰囲気が深刻になることを許してくれない。初めは如何なものかと思ったけれど、こうして見ると簡単に人目を避けられるし、大抵の場所にある点を鑑みても中々良い施設に感じられてきた。何かの折りには思い出すことにしよう。
そんなことを考えていると不意に津島さんがマイクを差し出してきた。
「せっかくですから一曲くらい歌いませんか?」
「…そうですね。ただ使い方が分からないので教えて貰えますか?」
私が素直にマイクを受け取ってそう言うと津島さんは目を丸くして驚いていた。鵺の話をしたとき以上の同様が見られるのが面白い。
「自分で言っておいてアレですけど、まさか乗ってくれるとは」
「せっかくですから」
「ふふふ」
そうして津島さんに教えられるままにパネルを操作してビートルズの『Here Comes The Sun』を入力する。これだけは私が唯一、空で歌える洋楽であり胸を張って一番好きだと言える歌だった。
大学生の時に付き合いで何度か行った以来で正直、人前で歌うことには抵抗があったけれども、ほんの少しだけ残っているお酒が力を貸してくれた。
声が反響して聞こえるのが何だか変な気分になる。ところどころ音程を飛ばしてしまったのが恥ずかしかった。
やがて一曲歌い終わると未だに困惑顔の津島さんがいるばかりだ。
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