第18話 影と私
私の名前はキノ。
この輝かしい高校生活も、もう直ぐ終わりを告げる。
後数ヶ月で地元を離れた大学へ行くなんて、直ぐ先の話なのに全く実感がない。
初めての1人暮らしと言う事もあり、期待もあるがやはりまだ不安が勝ってしまう。
私はこの高校生活、かなり上手くやっていたと思う。
どこのクラスにも友達がいるし、部活では部長をやっていた事もあり、年下の子達からも人望がある。
それは単純に、自分が人格者だっと言う訳ではない。
なるべく敵を作らず、なるべく全員を同等に扱い接してきた。
あまり好きじゃない人でも、こちらから好意を抱いた様に見せかければ案外すんなりと私を信用してくれる。
何故こんな事をしているかと言うと、中学生の頃に酷いいじめにあったからだ。
当時の私は気弱で、断ると言う事が出来なかった。
相手が何か言えば、そうだねと同調ばかりして自分の意見なんてとても言えなかった。
いつも、おどおどして挙動不審な私には友達と呼べる人はいなかった。
そうしたらみるみる内に、クラス全員が敵になった。
最初は教科書を破られたり、バッグの中にあった財布の中身を盗られたりした。
周りを見渡すと、皆が私を見て笑っている。
いじめは日を増すごとにエスカレートしていった。
最終的には女子に唆された男子生徒にお腹を殴られたり、あまり人前では言えない事もされた。
中学を卒業後、家から遠い私立の高校を選んだ。
誰も私を知らない。
だから、私が何をされていたのかも知らない人達だ。
私は中学生活の二の舞にならない様に、心を入れ替えた。
常に笑顔で、堂々とする。
髪の毛も染めて、メガネをやめ、カラーコンタクトにした。
ちゃんと毎日メイクをして、清潔感にも気を付ける。
相手に「こいつは下だ」と舐められない様に日々努力した。
相手の意見には基本的には同調するが、本当にダメな時だけ諭す。
相手が興味がある事は、否定せず最後まで聞く。
そんな事を心がけていたら、いつの間にか自分の周りにはいつも人がいる様になっていた。
自分自身、持っている感情を吐き出していない訳だから最初は辛かった。
でも、ある時から朝起きてから帰るまで、【友好的で明るい、キノ】を演じればいいだけだと気付いた。
架空の自分のキノを毎日演じる。
そういった役を演じているのだから、自分の感情は二の次だ。
こうして私の高校生活は華やかで、いじめなんかとは無縁の存在になった。
「キノちゃん。お昼休みの時、帰りに本屋に行くって言ってたよね。」
放課後、声をかけてきたのはメガネをかけている地味でブスの同級生、ヒチだ。
もちろん本人にそんな事は言わないけど、まあ、演じているとは言え心で思うのは自由だ。
「うん!一緒に行こうよ!」
私はヒチに笑顔でそう言った。
彼女は所謂【いじめられる側】の人間だ。
現に最初はクラスに馴染めず、一部の女子から陰口を言われていた。
だが、それは私の存在がいる事によって無くなった。
何故なら私は陰口を言っていた女子とも仲良くなったし、ヒチとも仲良くなったからだ。
友達の友達、となると陰口も言いづらくなるんだろうか。
それっきりそう言った生徒同士の陰口も無くなった。
クラス全員が仲良くなると、ヒエラルキーは存在の意味を無くし、
まるでクラス皆が平等になった様に笑顔で過ごしたのだ。
一種のマインドコントロールの様なその状態に、私はただ笑った。
自我がなければ、こんなにも簡単に人は人を支配出来る。
だが、高校生活を謳歌するキノはあと数ヶ月で終わりだ。
正直演じるのにはかなり忍耐力がいるので、この実験は高校で終わりにしようと思っている。
ヒチと並びながら、本屋で漫画コーナーを見た。
私は既に目的の文庫本を手にしていたので、ヒチが好きな漫画を一緒に見る事になった。
彼女は楽しそうに、この漫画面白いとかこの作者さんが好きだとか、
非常にどうでも良い事を満面の笑みで楽しげに話す。
私は笑顔で、そうなんだとか凄いねえ、とか適当に合わせる。
何回かそう言う相槌をした後、必ず相手が話したそうな話題を振る。
「この作者さんって、今他の漫画描いてるよね。確かその作品にヒチの好きなキャラがいるんだよね。」
そうすれば彼女は思うだろう。
【ああ、私の話に興味を持ってくれている】、と。
案の定彼女は「覚えてくれてたんだ、そうなの!」と嬉々として話し出した。
その後はまた相槌に走り、相手が言いたい事を言うまで待ってあげる。
「あ、私こっちだから。また明日ね〜。」
私は別れ道でヒチに言う。
正直指さした方向じゃない方が早く帰れるんだけど、今日はもうこの位でいいか、と思ったのだ。
十分友好的だったし、相手も満足しただろう。
だが、ヒチは先ほどまで笑っていた様子とは真逆で、怖い顔をして言った。
「キノちゃんはさ、どれが本当のキノちゃんなの?」
私は理解が追いつかず、何も言えないでいるとヒチは続ける。
「こうすれば相手が喜ぶよね。とかさ、いつもいつも、そんな事ばっか考えてると思うんだ。
私の事を友達って思ってないんじゃないかって。何かキノちゃん見てると、そう思っちゃうんだよ。」
ヒチの顔を見ると、メガネの奥には涙が流れていた。
他の人には言われてこなかったが、何故コイツに気づかれた?
興味がなさすぎて、相槌が適当になっていただろうか。
正直ヒチは優先順位的にも下の下の相手だったので、油断して私の演技が甘かったのか。
「えー!何言ってるの?私、ヒチの事大切だよ?友達だと思ってるのに…。」
そう言って彼女の手を握りしめる。
「何か、気に障ったのならごめんね。私、ヒチを傷つけてたのかな。」
彼女は暫く何も言わなかった。
その時点で、もうヒチの事はいいかなって思った。
卒業まで後少しだし、コイツ1人いなくなるだけなら、別に構わない。
「…はあ、もういいや。あのさあ!あんた見てるとイライラすんだよね。そのメガネと言い、中学の時の私みたい。」
手を振り払って、踵を返し歩き始める。
後ろから、「私は、本当のキノちゃんと友達になりたい。」と声がした。
最後までイラつく奴だな、と思い彼女の方へまた歩き出す。
「本当の私ってさあ、あんたが思うより酷い奴だよ。中学でいじめられて、性格捻じ曲がってんの!
高校はさ、いじめられない様に皆に合わせてただけ!そう、あんたみたいなヤツともね!」
ヒチの胸元に指をさして言った。
あーあ、やっちゃった。と思ったけどやっぱり本音で話すとスッキリする。
パン、と乾いた音がした。
痛いと気付いたのはその後だ。
ヒチが私の頬を叩いたのだ。
正直そんな事をする子じゃないと思っていたので驚いて彼女を見つめたると、
目をしかめ、口元が震えている。泣きながら彼女は、確実に怒っている。
「…なんであんたなんかに!」
私は彼女に手を上げようとした。
——————————
思いっきり振り下ろした手は、ヒチの頬ではなく宙を舞った。
「え…。」
驚いて私は周りを見渡したが、そこは今までいた場所ではなかった。
ビルが乱立し、沢山の人々が行き交っている。
テレビで見る様な、都会のど真ん中に私はいる。
「あれ、ヒチ…?」
目の前にいた筈の彼女の姿はない。
私は交差点の真ん中にいる様で、大勢の人が立ち止まっている私を少し避けて通っていく。
遠くに見える信号が赤になるのを見て、危ないと思い交差点を渡った。
何が何だか、全く分からない。
怖くなり思わずその場でしゃがんだ。
そして下を向いて、「戻れ戻れ!」と叫んだ。
「どこに戻りたいの?」
ふと聞こえてきた声にパッと顔を上げるも、私に話かけてくれた人の姿は見当たらなかった。
「こっちだよ、こっち。」
声のする方を見てみると、何と自分の影が喋りかけている。
影は真っ黒で口は動いていないが確実にそこから声がする。
「え、影?…ねえ、聞こえる?」
冗談でしょ、と思い話しかけてみると、まさかの返答が返ってくる。
「そうだよ。キノ。私もキノ。」
気持ち悪い、やはり影から聞こえてくる。
瞬間私は立ち上がり、走り出した。
その光景に、鳥肌が止まらなかった。
「はあ、はあ…。」
何分も全力で走ったので流石に疲れ果て、息を整える為ビルの隙間に身を潜めた。
「キノ、逃げても私と私は離れられないよ。」
突然下から声が聞こえてきて、私はビクッと跳ねた。
「私は1番キノを知っている。最初にどこに戻りたいと聞いたけど、あんな世界に戻りたいの。」
影はゆっくりと私に理解させる様に言う。
「私は偽りのキノを見てきたが、キノは幸福だった?」
そう言われて、高校生活を思い出す。
色んな人が友好的に接してくれる。
クラスは確実に団結していたし、何よりもいじめがない。
「…幸福と言うと、違う。本音で話してないから。でも確実に、不幸じゃなかった。」
対して中学生の頃を思い出す。
男女問わずクラスや学校の皆全員が蔑んだ様な目で見てくる生活。
殴られて痛いのに、泣いたらもっと殴られる様なそんな生活。
それに比べたら全然不幸じゃない。
「まあ今の状態が良い事もわかっているよ。
でも、本当のキノって誰なんだろうね。耐えて、耐えて。いつキノは解放されるんだろう。」
影は黒いので表情は分からないが、今の発言は冷たい口ぶりだった。
本当の自分とは。
そんな哲学めいた事は考えた事もない。
ただ、怖いヤツから逃げたくて、自分を守る為に私は強くなっただけだ。
「昔も、今の私も本当のキノだよ。ただちょっと、上手く嘘がつける様になっただけ。」
私は同じ位に冷たい声で返す。
高校での私は、最初こそは偽りだったのかもしれない。
だがそれを演じ切っている内に、それが自分になっていったんだ。
だから、いじめられていた昔も私だし、高校に入って楽しい生活を送っているのも全部が私だ。
「キノがそれで良いなら、良いと思う。でも、心には限界がある。」
そう言われて私は怒りが沸々と湧いてきた。
そんな事、言われなくても何より自分が1番分かっている事だ。
楽しい生活、と一言でそう言うが自分が納得しなくても皆の様子を見て合わせたし、
相手の事ばかりを気にして、自分自身はいつも気が気じゃなかった。
怒らせてる?悲しませてない?楽しんでる?ずっとそんな事ばかり考えていた。
でも、そうするしかなかったから。それ以外方法が見つからなかったんだ。
だからこそ、大学では違う自分を演じようと思っていた。
「演じるのではなく、キノはキノらしくしてくれると嬉しい。」
影は優しい声で言った。
まるで自分が考えている事が分かっている様だ。
いや、分かるのか。自分の影だからこそ、分かるんだ。
自分らしくとは、何だろう。今までの自分は何だったんだろう。
高校生活での経験は、絶対に無駄ではなかった、でもありのままの自分でもなかった。
自分では、ずっと考えない様にしてきた事ばかり影は言う。
自分だって、自分らしさなんて分からないのに。
無性に悔しくて、下を向く。
私の頬から影に、1粒涙が落ちた。
「すみませーん。AUPDのセイガです。」
先ほどまでいなかったのに、急に視界にその男性が入ってきた。
男性はしゃがみ込んで私を下から見上げ、手を振っている。
「えっ!誰!」
びっくりして急いで涙を拭った。
すると私の直ぐ隣には、もう1人男性が立っていた。
「アマギリと申します。」と言って私の腕を掴んだ。
その人に離せと言って睨むと、申し訳なさそうに言う。「すみません。一旦、落ち着いて我々の話を聞いて下さい。」
懇願する様なその表情に、私は腕の力を少し解いた。
影の事で頭がいっぱいだったけど、確かにここはおかしい。
この人たちは何か知っているのだろうか。
そして、私と男性…セイガさんとアマギリさんと話をした。
「私が、今は別の世界線にいるって事?」
そうです、とアマギリさんが続けて話す。
「別の世界線に飛んでしまった人は、我々AUPDにて元の世界線に限りなく近い世界線へ戻します。」
限りなく近い、とはどう言った事だろうか。
「元には戻れないの?」
そう言うと、セイガさんが言った。
「君がこの世界で経験した記憶がある状態で元の世界に戻すと、矛盾が生じて世界線崩壊に繋がるんだよ。」
「じゃあ、記憶消せばいいじゃん。」
私はその言葉と共に笑ってしまう。
世界線だとか、影が喋るとか、こんな滅茶苦茶な話が沢山あるんだ。
映画とかで見る、記憶を消す装置位彼らは持ってるだろう。
セイガさんは私の様子に、ちょっとムッとして言った。
「記憶は消せませーん。それは存在の殺人です。君を殺すなんて、野蛮な事は出来ませーん。」
まるで子供の様に拗ねるセイガさんは、おじさんなのにちょっと可愛くて親近感が湧いてくる。
アマギリさんはセイガさんを半目で見て、蔑んだ様に言った。
「すみませんね。彼、子供っぽくて。
元の世界に限りなく近い世界線と言うのは、99.999%似ていますが0.0001%異なる世界線になります。」
「それ、何が違うの?」
私が首を傾げて言うと、こんどはセイガさんが話を割って入ってくる。
「0.0001%、微小と言うには大きい数字。
例えば君がいつも同じ時間に電車に乗る。でもその日は少しだけ家を出るのが遅れた。
そうしたら、いつも乗る時間の電車には間に合わなかった。けどその電車は、踏切に入った車と接触事故を起こし大破した。
乗り遅れた君は生きた。そんな数字。」
そう言って、私の前で腕を組んだ。
全然気にしない位の数値だったけど、話を聞くとそれってかなりの数字ではないだろうか。
また、その差で今までの交友関係にも多少なりとも変化が出る言われた。
交友関係、と言う所で中学時代を唐突に思い出し、冷や汗が出る。
あの時期がもっと悪くなっている可能性もあるし、高校時代も多少とは言え変化していると思う。
もし、戻ったら私はまた【いじめられる側】になっていたりしないだろうか。
黙ったままの私を見て、アマギリさんは優しく言う。
「すみません。脅す訳じゃないんですよ。ただ、理解してから戻って頂きたくて。」
それでも考え込む様に下を向くと、セイガさんが、頭を撫でてくれた。
「大丈夫、多分考えている様な恐ろしい世界ではないよ。」
暫く私は、泣き続けた。
それを2人は黙って見守ってくれていた。
心の中で決心し、その世界へ帰る事を2人へ伝える。
「じゃあ、今から移送しますね。」
アマギリさんはそう言って、手首の装置に何かしていた。
ふと、下を見ると影が言った。
「キノ、嘘を多少つくのは良い事だよ。でも君は君だと言う事を忘れないで。」
——————————
急に視界がチカチカとして瞬きを数回すると、
目の前にはヒチの姿があった。
ギュッと瞼を瞑って、何か衝撃に耐えている様子だ。
そう言えば、彼女に叩かれた私は、叩き返そうと手を振りかぶっていた事を思い出す。
彼女の姿が妙に懐かしく、安堵感でまた涙が出てきた。
「…キノちゃん?」
彼女は私が泣いている事に驚き、近づいてくる。
私は堪らなくなって彼女を抱きしめた。
ボサボサの黒髪で、メガネをかけて、おどおどする性格の彼女。
中学生の時の自分に似ているヒチ。
本当は昔の私を見ている様で、嫌いだった。
でも彼女だけが私の演技を見破り、本当の私と友達になりたいと言ってくれた。
「ごめん、ごめんね…。」
私は彼女を抱きしめながら泣き続けた。
その後、暫くしてヒチに今までの事を告げた。
中学時代に酷いいじめにあった事。
だから高校に入ってからも、誰にも本当の自分を見せられなかった事。
ヒチの事も皆の事も適当に話を合わせて話をしていたが、自分にとっては全く興味もなかった事。
全て包み隠さず話をしたので、彼女も傷つく筈だろう。
実際、彼女は目に涙を溜めながら私の話を聞いていた。
「…だから、今まで本当にごめんね。」
私は素直な気持ちでヒチに謝った。
相手を蔑んだり、陰口を言われる気持ちなんて自分が1番知っている癖に、
思い返せば高校に入ってからは自分が上だとか、こいつは下だとかを自分の中で決めていた。
お互い長い沈黙が流れる。
ヒチはもう泣いていなかった。
深呼吸した後、私に手を差し伸べる。
「初めましてキノちゃん。」
ヒチのその行為を不思議に思っていると、彼女は握手しようと言った。
とりあえず、手を出して握手をしてみる。
「今日からキノちゃんは、キノちゃんらしく過ごしてみようよ。」
彼女の顔は笑顔だった。
あんな酷い事言ったのに、この人は一体何を考えているんだろうか。
「握手とか、…馬鹿みたい。ダサい。」
私は今まででは絶対に言わなかった本音を、彼女に伝える。
「もー、いいじゃん。私達、友達でしょ。」
ヒチはそう言って笑う。
私も何だか可笑しくなってきて、吹き出した。
「馬鹿だなあ。…でも、ありがと。」
私はヒチに涙を流すのを見られたくなくて、下を向く。
夕日の中、伸びている自分の影がみえた。
私、頑張ってみるね。
心の中で、影にそう呟いた。
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