落陽のグラウンド

一ノ瀬光輝

1話


 誰よりも強く、誰よりも眩しかった。

 あのグラウンドに立つ俺は、世界の中心にいた。


 佐伯亮介。高校時代の俺は、野球部のエースで四番、成績は上位、顔もそこそこ。文化祭じゃ演劇部に借り出されて主役を張り、生徒会長にも選ばれた。周囲は勝手に期待し、友達も絶えず、教師にすら「将来が楽しみだ」と笑われていた。


 俺はそれを当然のように受け取っていた。根拠のない自信、なにもかもが自分の味方をしてくれるような錯覚。それが、当たり前だった。


 


 大学は都内の私立。野球は続けなかった。学費は奨学金とバイトでどうにかして、卒業後は建設会社に就職。現場監督として、最初は覚えることばかりで必死だったが、それでも順調だった。


 けれど、あの日——ふらっと入ったパチンコ屋がすべての始まりだった。


 


 打ち方もよくわからないまま座った台で、一時間後には三万円勝っていた。脳が痺れた。こんなに簡単に金が増えるのかと笑いが止まらなかった。その夜は焼肉を食べ、ビールを飲み、スマホで「勝ち方」を調べ続けた。


 次の週も行った。負けた。でも、「次は勝てる」と思った。三回目、また負けた。そこからだった。


 使う金がなくなれば、キャッシングをした。口座に残った数千円を見るたび、焦りが込み上げた。だが、焦りを忘れさせてくれるのもまた、あの回るパチンコ台だった。


 


 気づけば、借金は50万を超えていた。消費者金融のカードは限度額いっぱい。返済日には最低額だけ支払い、すぐまた借り直した。そんなことを繰り返しているうちに、利息で首が回らなくなった。


 そして、俺はついに“あれ”に手を出した。

 スマホに届いた、妙に親切な文面。


 《即日融資/ブラック可/相談無料》


 連絡を入れると、あっという間に10万円が口座に振り込まれた。だが、次の週には「利息で3万円」と連絡が来た。払えないと、電話が鳴り続けた。実家にまで。


 母親から、泣きながら電話が来た。


 「亮介……なんなの、これは……? 借金の人から電話が……ねえ、なにしてるの?」


 「ごめん。ごめんって」


 「ごめんじゃわからない! こんな人だったの……?」


 その言葉が、ナイフのように刺さった。


 


 会社でも異変が出始めた。現場に遅刻することが増えた。安全確認を怠って怒鳴られた。何度も上司に呼び出され、「最近どうした?」と聞かれた。


 ある日、財布の中身が空で、後輩に「千円だけ貸して」と頼んだ。その後輩は笑って渡してくれたが、数日後に返すとき、妙に距離を取られていた。


 昼休み、食堂で隣に座ると、誰かが立って別の席に移動した。


 俺は孤立していった。気づけば誰とも話さず、スマホで「簡単に金を稼ぐ方法」と検索する毎日。


 


 そして、あの日が来た。


 上司に呼ばれ、言われたのはひと言。


 「……君、もういいよ」


 理由は説明されなかった。だが、わかっていた。借金、遅刻、ミス、同僚たちの無言の視線。

 信頼は、崩れるときは一瞬だった。


 


 俺は、誰にも告げず会社を去った。

 残ったのは、闇金の督促と、母親からの絶縁。そして、鳴らないスマホ。


 学生時代の友人に連絡した。LINEで、「久しぶり、ちょっと相談したいことがあって」と送った。


 既読はついた。だが、返事はなかった。

 もう一人、かつて一緒に野球をやった親友にも連絡した。


 「悪い。今さら金の話とか、やめてくれ」

 ただ、それだけ。


 俺は、終わっていた。

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