『しとしと、こころ、ゆれて』《清楚女子バージョン》

六月の空が、少しずつ翳りはじめると、

ああ、今年も梅雨がやってくるのだな、と思います。


窓を打つ雨の音は、どこか懐かしくて、

心の奥にある、古い引き出しをそっと開けるような気持ちになります。


傘を差しながら歩く帰り道。

ぬれたアスファルトの上に、街灯がやさしく滲んでいて、

世界が少しだけ、やわらかくなったように思えるのです。


雨というと、どうしても「わずらわしいもの」と捉えられがちです。

けれど私は、そんな雨のひと粒ひと粒に、名前をつけてあげたいと、

ときどき思ってしまいます。


ほら、この雨粒は「やさしさ」

この一滴は「寂しさ」

そして、今まぶたに触れた雨は、「あなたのぬくもり」。


……なんて、少し詩的すぎるかもしれませんね。


でも、雨の日は、思い出と向き合うにはちょうどいい天気だと思うのです。

晴れた日にはつい見落としてしまう、小さな記憶や気持ちが、

雨のリズムに導かれるようにして、浮かび上がってくる。


小学校の帰り道。

お気に入りの長靴で、水たまりを飛び越えたこと。

好きな人と、一本の傘に頬を寄せて歩いた放課後。

別れ際、何も言えなくて、代わりに空が泣いてくれたあの日のこと。


ふとした瞬間に思い出す、それらの出来事が、

まるでこの季節だけの贈り物のように、

雨粒に乗って心に降ってきます。


あのとき、言えなかった言葉。

あのとき、伝えたかった想い。

それらを雨に溶かして、そっと空へ返せたら……

きっと、少しは心が軽くなるのかもしれませんね。


私は思うのです。

梅雨とは、ただ季節の移ろいではなく、

「間(あわい)」の時間なのだと。


春と夏のあいだにある、静かな溜息のような時。

走りすぎた季節を振り返り、

これから迎える夏にそっと祈るための、心の雨宿り。


日傘がしまわれて、雨傘が開かれる日々。

濡れた制服の袖、風に揺れる髪、

指先に残る冷たさも、どこか愛おしく思えてしまうのは、

この季節が、どこか「誰かを想う」気持ちと似ているからかもしれません。


出会いも、別れも、

予感も、余韻も、

すべてが雨に包まれて、やさしく輪郭を失ってゆく。


けれどそれは、決して忘れてしまうためではなくて。

曖昧にすることで、心がそれを抱えていられるようにするため――

そんな気がするのです。


あしたも、雨が降るでしょう。

でも、私はそれを「残念」とは言いません。


むしろ、雨の日にしか見えない風景を探しに行くことが、

この季節だけの、ささやかな冒険だから。


雨のしずくを指に乗せて、

そっと目を閉じて願いごとをする。

そんな小さな習慣も、誰にも見られずにできるのが、梅雨のいいところ。


──あなたにも、そんな雨の日の物語、ありますか?


もしもあるのなら。

今度、こっそり教えてくださいね。

紅茶と、お気に入りの雨音を用意して、待っていますから。

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