涙の石

sui

涙の石


深い森の奥に、“涙の石”を磨く少女がいた。名前はツキ。彼女の家は、遠い昔から「泣けない人の涙を預かる」役目を果たしてきた。


泣きたいのに泣けない人の涙は、心の奥に固く固く閉じ込められる。そして、やがて小さな灰色の石になって、森の中にぽつりと現れる。それを見つけ、拾い上げ、丁寧に磨くのがツキの仕事だった。


「これは、お別れを言えなかった人の涙」

「こっちは、笑っていたふりの裏にあった涙」

「この石は、小さな“がんばった”を誰にも気づかれなかった人の涙」


ツキはひとつひとつに名をつけ、静かに磨いていった。磨かれた石は、ほんのり光を帯び、まるで月明かりのしずくのように澄んだ色になる。


村の人々は時々ツキを訪ねてくるが、誰も石を直接もらうことはない。ただツキのそばで、ひととき過ごすだけ。それでも不思議と、帰るころには肩の力が抜けて、少しだけ笑えるようになっていた。


ある日、ツキは森の奥で、とても大きな黒い石を見つけた。今まででいちばん重く、冷たく、そして割れそうなほど繊細な石だった。


「……これは、だれの涙?」


ツキはそっと抱えて帰り、何日も何日もかけて磨いた。けれど、光る気配はまったくなかった。


ある夜、ツキはとうとう石を抱いたまま、ぽろぽろと泣きだした。


「どうして、こんなに苦しいの? どうして、こんなに冷たいの……?」


そのときだった。黒い石が、微かに震えた。そして、小さく、小さく光り始めた。


ツキは気づいた。


——これは、自分の涙だったのだ。


ずっと誰かの涙ばかりを預かり、慰め、磨いてきた。その間に、ツキ自身がこぼせなかった涙が、森に静かに落ちていたのだ。


石はゆっくりと澄み始めた。まるで深い闇が、月の光に少しずつ溶かされていくように。


次の朝、ツキはその石を棚の一番奥にそっと置いた。名札には、こう書かれていた。


「わたし」


そしてその日から、ツキの石は、ほんの少しだけやわらかい光を帯びるようになった。まるで、すべての涙に寄り添うように。


森の奥で、今日も静かに石が磨かれていく。


——泣けない涙の代わりに、誰かの心が少しでも軽くなるように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

涙の石 sui @uni003

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る