一〇〇年の花 the century plant
@triskaidecagon
一〇〇年の花 the century plant
火星。
軌道長半径 227,900,000 km
公転周期 686.98 地球日
自転周期 1.026 地球日
赤道半径 3,398 km
質量 642,000,000,000,000,000,000,000 kg
平均密度 3390 kg/m^3
太陽輻射量 0.43(地球比)
衛星 2
火星とは、こういう惑星である。
同じ内容を、もう少し別のやりかたで表現してみよう。
太陽からの距離は地球と比べて二倍ほど。
約二地球年で太陽の回りを一周し、地球とほぼ同じ長さの一日を持つ。
直径は地球の半分ほど、地球の十分の一ほどの重さ、太陽から受ける光の量も地球の半分ほどで、フォボスとデイモスというふたつの衛星を従える惑星。
火星とは、こういう惑星である。
さらに別の描写をしてみよう。
この大落差が描かれた大地は荒涼とした赤い砂漠。
三十億年より更に昔には、火星の地表に大量の液体の水や溶岩が存在しており、柔らかい表土を削りに削っていまの姿の半分を作った。
その頃には大気もあった。
しかし、低い密度とそのために小さかった重力のために火星は大気を維持し続けることができず、大気は宇宙へ逃げ散り、気圧の低下で液体の水は続々と沸騰し気化し、地表面の鉄分を余す所なく赤く錆びさせながら冷やし固め宇宙へと逃げ散って行った。
このときの錆こそが、火星の砂漠の赤い土である。
ふたつの衛星のうちのひとつであるフォボスは、目に見えていびつな姿を晒しながら地球月の三分の一ほどの大きさで空に浮かび、二〇秒で自分自身が居た場所を抜けだし、まるで時間を間違えてしまったかのように一日に二度も地平線から顔を出しては空を駆け抜けてゆく。
もうひとつの衛星デイモスはフォボスとは反対向きに進み、一度昇ると二日と半分以上は空に居続ける。フォボスの三倍遠くにあるため小さくしかし満ち欠けが分かるぐらいには見えており、火星の天空ではひときわ明るく
火星とは、こういう惑星である。
* * *
火星には『トウキョウ』と名付けられた都市が三つある。
多くはない。
パリは火星に八箇所あり、ウィーンは六箇所、香港も同じく六ヶ所で、アテネが五箇所、グランドキャニオンも五箇所でその周りには火星のラス・ヴェガスが七箇所、サンフランシスコ、ロスアンジェルス、デリー、ソウル、リオデジャネイロ、ローマ、アレキサンドリア、プラハ、シドニー、バビロン、カイロ、キャメロットが、トウキョウと同じで三箇所づつ。メッカ、エルサレムという名の土地はなく、ダブリンが二箇所、エジンバラが一箇所あるが、ロンドンはない。その代わりなのかどうなのか、イングランドは二箇所ある。
地名というのは新たにつけることのできないものであるようで、これらの名前の都市はラグランジュ・ポイントにも多数あり、火星以外の惑星にもいくつもある。
火星で最も大きい『トウキョウ』は、南米由来の都市であるブエナ・トウキョウ。
血筋的に日本人を祖先に持つ者が多く、また進んで移民をするほどには恵まれない境遇の者も多かったため、懐旧を元に名付けられた。
ブエナ・トウキョウは火星の食料生産のおよそ二〇パーセントを支える大農業地帯の中心にあり、農家からあぶれた者たちが吹き溜まり、また農民たちの商取引の場として大きく発展した。
ふたつめの『トウキョウ』は、
まれに市民たちが用意せねばならない行政資料に『第十三東京』の名前が記されいる場合があり、意識をすれば目にする機会が皆無というわけではないが、都市イメージに気を使う
そして、最後に残った『トウキョウ』は、実は『東京』と表記しない。
『
火星のテラ・フォーミング初期にその作業をする者たちが住んだ二連クレーターの
片方のクレーターは火星表面に従来からあったものなのだが、もう片方は、街を作成するために必要だった水質の小惑星を狙いすまして落下させて新たに作ったクレーターである。その隣接したふたつのドームと幾分かの外延部を緑色の
いくつかあった初期の火星テラフォーミングチームのうちここを基地としていたチームのリーダーが日本人であったため、その姿と『東京』のもじりの両者から、この街は『
またの名をピーポッド。
やはり豆の莢である。
現在ではこの『
驚いたことに、ピーポッドはいまだに気密が守られたままであり、そればかりではなく、
清浄なエコロジカルスフィアへの忠誠から、人口はわずかに三〇〇〇人。
旅行者が入れないということではないのだが、
それだけのことをしても、もちろん旅行者当人の肉体があることによって発生するさまざまの排泄物や皮膚の
しかし、ピーポッドの
不可避に侵入してくる不浄なバイオマスまでをも排除したりはしないし、その発生を防ぐ方策──具体的には、剃髪やスキンスーツ着用の義務、ナノマシンによる大小便の分解と体内への再循環──などを旅行者に強要したりはしない。(強要はされないが、それらの措置を旅行者が希望することは可能である。旅行者はそれらの措置を希望することによって、その度合に応じて超高額な
なぜならば、それらの不浄なバイオマスを必ずしも排除しないこと、浄不浄のバイオマスを含めたすべてに神は宿り、あらゆる物に宿る神のすべてが
その密儀の深奥と、いまだに奥義を極めない無知な魂が宿る未だ清らかならざる──将来的に浄らかになる──バイオマスとの妥協点こそが、
* * *
カサイ=シンイチという男がいた。
カサイは売り出し中のフリーランス若手
この街、
RSセンサーには
便宜的にそのように呼ばれてはいるが、
あらゆるものに対する感受性ぐらいの意味で、特殊なものほど価値が高いとされている。
その点、
なぜならば、この街の住人はそのすべてが
ピコ/フェムトのスケールだからといって彼らにとって小さすぎるということはない。神聖存在だからサイズには縛られない。つまり
カサイの言葉で表現すると、とても正気だとは思えない。
「カサイちゃ~ん。センサー志望の娘がマメにいるっていうからさぁ、ちょっと会って様子見てきてくれないかなぁ」と、
カサイにしてみれば、尻の穴の中を洗われることや、その他の諸々の小さなことをちょっと我慢するだけで、デカくなるかもしれない
もし仮になんのチャンスも無い話だったとしても、最低限
なにより、そもそも話を断われるわけは無かった。
売り出し中の若手というのは、つまりはそういうものだからだ。
センサー志望の娘は、ハズレだった。
たしかに
髪を剃り尻の穴の中まで洗われておいて残念な話だが、そのままでは使い物にならない。
前頭葉の肥えたRSレリッシャー
いずれにせよ、この新人をどう使うかは
そして、ありふれた
動く金の規模は違うが、カサイだけでもしてるようなことでもある。
カサイ自身は他になにか、カサイ自身が乗り気になれるなにかを求めているのだ。今回は違かったが、せっかく他人の旅費で珍しい所に来たのだから、
そのカサイは、
森の深部、人の通わぬところで死んだ。
なぜそんなところで死んだのかは謎だ。
そこは制限区域、街の外の人間にとっては進入禁止とされている場所だった。
カサイがそこに居ることは、不可能ではない。
あるいは、カサイが制限区域に踏み込んだのは、新人が使えなかった腹いせだったのかもしれないし、尻の穴の中まで洗われたついでに、
カサイが死んだ原因はわからない。
死体が消滅したからだ。
だからカサイの死因は過労かもしれないし、
とにかく、カサイは森の中で死んだ。
そしてカサイの死体は発見されなかったし、探されもしなかった。
とにかく、手遅れになるまでは。
カサイは
カサイの親が(いまや滅びた)『火星に花を!』ムーブメントのシンパサイザーで、カサイに幼児洗礼を受けさせてフラワーシードをインプラントさせていたのだ。
カサイは幼すぎてそのことを憶えてはいなかったし、親はカサイにそのことを伝えるのを忘れていた。体の中に花の種があることを知っていたならば、
カサイの体の中のフラワーシードは、カサイの心臓が停止してから一〇〇時間を待ち、心停止の経過時間を見てカサイが間違いなく死んだものと判定し、活動を開始した。
フラワーシードは内蔵していたナノマシンでまずカサイの身体を耕して、花の種の糧とした。
スキンスーツに包まれたカサイの身は、骨までを含めてすべてをナノマシンに耕され、一ヶ月で姿を失った。スキンスーツはその間も姿を保ち続けていたが、一ヶ月の間には舞い落ちる枯れ葉がカサイの身体を埋め、隠してしまった。
それらの枯れ葉は腐敗し、崩れ、聖なるバイオスフィアを形作る清きバイオマスの別の形態へと姿を変えて行く。ある
清きバイオマスは、聖なる
約束されていたのだ。
カサイが死んだ、この時までは。
* * *
カサイの
外界の不浄な
カサイの
火星の低重力下で本来よりもさらに大きく成長し、聖なるバイオスフィアの
事がここにまで至ってやっと、
しかしその巨体のうち不浄なバイオマスはほんの一部である事(なにしろフラワーシードとカサイの身体の分だけだ)と、すでに時間が経過しすぎてカサイのバイオマスだけ析出しえなくなっていた事から、支払済みの
そして、巨大なカサイの
* * *
カサイの死から二〇年が経ち五〇年が経ち、九〇年が経った。
その間、カサイの
カサイの死から九八年目、
三年夏法案実施の最終年──カサイの死から百年目──に、山のように神のように在り続けた
茎は一日に一〇メートル以上の速度で伸び続け、九日目に
センサーであるカサイのセンシティブ・ノードを取り込んでおり、開花とともに
それは、
それは空前にして、さらに絶後の
カサイの
地下に残る子株は
翌年には、
* * *
火星の花が歌いはじめたのは、この時からだと言われている。
一〇〇年の花 the century plant @triskaidecagon
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