8. 第5章 足りないもの-4
数日後、ネイトはロックミア共和国の情報部に乗り込んでいた。
(ゴードンが言っていた通りだな)
フリントムーア連邦からの帰路、ゴードンに場所を聞いておいたおかげで、道に迷うことはなかった。
入口には警備が立っていてジロジロとネイトを見てきたが、「大臣から頼まれた件で話がある」と伝えたところ、監視付きで受付まで行くことを許された。
頑丈そうな石造りの建物は冷たく、廊下には軍人の足音が響く。
なお、今日ネイトはシェヘラザードを抱えていない。
情報部に行くという話をラッセルにしたら、「流石に止めておけ」と言われて、渋々置いてきたためだ。
そのせいか手の置き場に困って、意味も無く手を動かしてしまい、そのたびに警備から睨まれてしまった。
(いつも抱えているものが無くなると、なんというか、こう...手持ち無沙汰になるな...)
ネイトは受付につくと、窓口に立っている女性を捕まえて喋り出した。
ネイトの話を大雑把にまとめるとこうだ。
「ティムがぬいぐるみを作り始めた経緯を調べろ」
この説明を聞いて「分かりました」という者はいない。
「流石にそのような要請に従うわけには...」
女性は困ったように答えるが、ネイトもそう簡単には引き下がらなかった。
ネイトと女性があれこれ言い合っていると、ネイトと同じくらい長身の男性が割り込んできた。
ネイトの前に立つ男性はクライヴ・ブラッドショー。
クライヴは25歳、身長183センチ。
金色の髪はオールバックに整えられ、メガネの奥で輝く琥珀色の目は鋭く冷たい。
端正な顔立ちをしていて、細身だが筋肉質な体が軍服に映えていた。
ロックミア共和国の情報部大尉だが、階級章が区別できないネイトには分からず、誰だこいつはと顔を顰めた。
「軍が一般市民の言うことを聞くわけがない。そんなことも分からないのか?」
クライブは鼻で笑いながら言った。
有能だが陰湿な性格で知られる彼は、馬鹿なことを言っているネイトを嘲笑するために、わざわざ口を挟んだのだった。
ネイトはクライヴを睨みつける。
「なんだテメェ?」
「時間の無駄だと教えてやってるんだ。感謝の1つくらいあってもいいと思うがね」
怒りを隠そうとしないネイトと、冷笑を浮かべるクライヴ。
2人は互いに睨み合い、そのまま目を離そうとしなかった。
だが、睨み合いの最中、ネイトはあることに気がつく。
「今、一般市民の言うことは聞かないって言ったな?」
「その通りだ。なんだ、悪いのは耳じゃなくて頭の方だったのか?」
ネイトの言葉に対し、せせら笑うクライヴ。
だが、ネイトは一転して楽しそうな笑顔を浮かべた。
「やりたくねえならそれでいいぜ。だけどな、この仕事は大臣と『モーリス元帥』からの依頼だ。失敗したらここにいる全員が連帯責任だぞ。覚悟しとけよ!」
「待てっ!」
ネイトはそう言って踵を返し、廊下を去ろうとするが、クライヴは慌ててネイトを引き留めようとする。
その顔には冷や汗が浮かんでいた。
(こいつ今、モーリス元帥と言ったか!?)
クライヴはモーリス元帥の面子を潰すわけにはいかない。
上司に逆らえないのはどこの組織でも同じだが、軍では特にその傾向が強い。
上司の面子を潰すことは禁忌であり、相手が最高責任者ともなれば軍での将来を閉ざすことに等しい。
それ故、ネイトの発言を無視することは許されなかった。
ネイトはさきほどとは打って変わって、せせら笑うようにクライヴに向き合った。
「なんだ、知らなかったのか?元帥閣下のご命令で、俺たちはぬいぐるみ作りをやらされてんだよ。さっきの依頼は、その仕事に必要な情報を集めろってことだ」
ネイトの言葉を聞いて、聞き耳を立てていた周囲の軍人たちに緊張が走る。
モーリス元帥がベアトリス関連で激昂していたこと、そしてぬいぐるみ作りに檄を飛ばしたことは有名で、特に情報部の人間ともなれば誰もが知っていた。
とりわけ、窓口で対応していた女性は、「それなら最初にそう言え!この野郎!」と叫びだしそうな憤怒の形相をしていた。
クライヴは顔を青ざめ、ネイトの発言が真実かどうか必死に考えていた。
「疑うなら確認してくれていいぜ?ハーディプールでも、話を持ってきた大臣でも、どっちでもいい。ああ、元帥閣下に聞くのが一番手っ取り早いか」
ネイトの言葉がトドメとなった。
もし話が虚偽であればネイトもただでは済まないが、流石にこんなことで嘘をつくとも思えない。
(モーリス元帥絡みの依頼であれば、情報部とはいえ断ることもできない...)
機密情報が欲しいという話なら、開示拒否を盾に断ることもできる。
だが、流石にぬいぐるみ作り関連でそんな情報は必要ないだろう。
クライヴは頭の中でいくつかのパターンを想定するが、いずれにせよ断ることが困難であると判断して顔を歪める。
他の職員も巻き込まれては堪らないと判断したのか、クライヴに仕事を受けるよう無言の圧力をかけ始めた。
クライヴは観念して、大きく息を吐きだした。
「分かった。依頼された情報を調べよう...」
クライヴは渋々ネイトの依頼を引き受けることを選んだ。
彼は顔に手をあて、「余計なことに首を突っ込むんじゃなかった…」とぼやきながら、話を聞くため別室にネイトを案内した。
**********
情報部に行った帰り、ネイトはラッセルと合流して下町の市場を訪れていた。
市場の中央には肉や魚、野菜、菓子類、雑貨を並べた店舗が数多く並んでおり、ここに来れば買い物には困らない。
市場の外では、煤けた石畳の広場に色とりどりの屋台が並び、魚の匂い、焼き立てのパンの香り、スパイスの刺激臭が混ざり合っていた。
子供たちが屋台の間を走り回り、母親たちが買い物袋を手に値切り交渉に励む。
ガス灯の柱には、共和国の国旗がはためき、広場の中央では大道芸人が歌を披露していた。
2人が市場を訪れたのは買い物のためではない。
下町の市場なら、子供たちや親がどんなぬいぐるみを求めているか、肌で感じられるかもしれないと考えたからだ。
また、並んでいるぬいぐるみも高級店とは違うはずだ。
『ベアトリスとは違うぬいぐるみを知れれば、新しいアイデアに繋がるかもしれない』
ラッセルがそう主張したことがきっかけだった。
正直なところ、ネイトはラッセルがかなり積極的なことに驚いた。
今までであれば、ネイトが何かを言って、ラッセルが着地点を探すというのが定番だったからだ。
「...何かあったのか?」
訝しげにネイトは聞くが、ラッセルは適当にはぐらかして答えない。
(まあ、前向きになったのはいいことか...)
ラッセルにも言いたくないことはあるだろう。
ネイトはそう考えて深く追求しないことを決めた。
2人は市場の中央へと向かう。
中央にある店は街中にある店舗とは違い、他の店と横並びに繋がっていて、店先に商品を並べる形になっている。
店を閉める時はシャッターを下ろすだけでいい。
手軽で賃料の割にセキュリティも悪くない仕様で、国内にある下町の市場はどこも同じ形態を取っている。
2人は雑貨店の前で足を止めた。
店先には山のように商品が積まれているが、その多くが子供向けの玩具やお菓子だった。
木製の棚には目立つように、布製のぬいぐるみや木彫りの人形、ブリキの玩具が並んでいた。
店主は恰幅のいい中年女性で、赤いエプロンに笑顔を浮かべ、客と気さくに話している。
店主は場違いなネイトとラッセルを見て、眉をひそめた。
「...子供へのプレゼントかい?」
「いや、聞きたいことがあってな。とりあえず、そこらの菓子を適当に詰めてくれ」
そういってネイトはお菓子が積まれたあたりを指差す。
買い物はするから情報を寄越せというわけだが、店主も客なら相手をしてやると頷いてお菓子をまとめてネイトに渡す。
「子供向けのぬいぐるみがあるだろ?どういうのが売れ筋なんだ?」
ネイトは代金と引換にお菓子を受け取りつつ、店主に問いを投げかけた。
店主はネイトの鋭い目つきに一瞬たじろいだが、すぐに笑顔に戻って少し悩むような表情を見せた。
「売れ筋?うーん、そうだね、このあたりはよく売れるかね」
店主はそう言って、棚から粗雑な熊のぬいぐるみを手に取り、ネイトとラッセルに渡す。
受け取ったネイトはぬいぐるみを触って確かめるが、すぐに眉をひそめた。
「...生地が硬ぇ。ゴワゴワじゃねえか」
ベアトリスのフワフワさとは対極のような硬さ。
伸縮性もなく肌触りも悪く、粗雑な品としか言えない。
これが売れ筋だとはにわかに信じがたかった。
「だが、頑丈な生地だな。縫い目もしっかりしている」
ラッセルも渡されたぬいぐるみを確認する。
ぬいぐるみの生地は庶民向けのもので、とにかく耐久性を優先させた生地だった。
縫製も綺麗とは言い難いが、何重にも縫い込まれて丈夫そうだ。
子供がぬいぐるみを引っ張っても擦っても、そう簡単には駄目にならないだろう。
戸惑う2人を笑い飛ばしながら、店主が説明を補足してくれた。
「安いし、子供が乱暴に扱っても壊れにくい。だから親が買っていくんだよ」
店主は棚に置かれた犬のぬいぐるみを手に取って、2人に突きつける。
「子供はぬいぐるみを引きずったり、投げたりするから、丈夫じゃないとすぐダメになる。親が『大事にしなさい!』って子供に言っても、まあろくに聞きはしない。取り合いになれば手足が千切れるなんて日常茶飯事。それでケンカするなんて珍しくもない話さ」
その言葉を聞いてネイトとラッセルは衝撃を受けた。
自分たちの考える、ぬいぐるみに必要な条件とは全く違ったのだ。
「このぬいぐるみはどう思う?」
そう言ってラッセルは、背負ってたバッグからぬいぐるみを取り出した。
それはネイトとラッセルが作った試作品だった。
店主は受け取ったぬいぐるみをまじまじと見つめた後、売りづらい商品を見た時のように顔をしかめる。
「...お上品なぬいぐるみだね。うーん、物は悪くないんだろうけど」
言葉を濁す店主に対し、ネイトは食って掛かるように言葉を促した。
「だけど、なんだよ?」
「子供たちに渡したら、すぐに穴が開きそうだね。手足も簡単に千切れるんじゃないかい?」
そう言われてネイトはますます顔をしかめる。
愛嬌があるとか、可愛いとか、そんなデザインの話の前に頑丈さでダメ出しをされる。
そんな経験は初めてだった。
(ハーディプールに来るような客だと、服の頑丈さなんて気にする奴はいなかったからな...)
ネイトとラッセルは今まで向き合ってきた客とは全く違う、異世界に足を踏み入れたことに気がついた。
2人の経験が全く通用しない世界がそこにはあった。
2人は店主に礼を言い、他の屋台も回った。
どの店でも、ぬいぐるみは安価で丈夫なものが主流だった。
試作品を見せた時の反応も変わらなかった。
そして、売れているどの商品もベアトリスの「可愛さ」には遠く及ばなかった。
2人は市場を出て、広場のベンチに座って休む。
ネイトは屋台で買ったお茶を飲みつつ、先程買ったお菓子の束から塩味のビスケットを取り出す。
残りの甘いお菓子はそのままラッセルに押し付けた。
ネイトは塩味のビスケットに齧りつきながら、店を見て回った感想を呟いた。
「文化が違え」
「そうだな。まさか、デザインが後回しにされるとは思ってもいなかった」
ラッセルも同じようにお茶を飲みつつ、砂糖がまぶされたクラッカーを食べる。
しばらくの間2人は無言になり、サクサクという音だけが流れた。
ラッセルはぬいぐるみをバッグから出してベンチに並べ、店主たちから言われたことを反芻する。
そうしていると、いつの間にか子供たちが寄ってきていた。
彼らはラッセルが持つぬいぐるみをじっと見つめる。
ラッセルとネイトが何事かと戸惑っていると、エリノアと同年代らしき少女が一歩前に出てきた。
少女は茶色の髪を三つ編みにし、深緑色のシンプルなワンピースを着ていた。
ネイトらを前に、少女は動じることもなく犬のぬいぐるみを指差す。
「それいくら?」
少女の問いに対し、ネイトは舌打ちしながら答える。
「売りもんじゃねえ」
少女は不思議そうに首を傾けながら続けた。
「ぬいぐるみなのに?」
「...売りもんじゃねえんだよ。まだ、な。おら、散った散った」
ネイトらは市場の広場でぬいぐるみを広げているように見える。
確かに売り物だと思われても仕方なかった。
ネイトは気まずそうに手を振って、子供たちを追い払おうとする。
しかし、ラッセルがネイトを手で制した。
「待て、ネイト。せっかくだから、子供たちにも感想を聞いてみよう」
そう言って、ラッセルは少女に犬のぬいぐるみを渡した。
「まだ売り物じゃないんだけど、感想を教えて欲しいんだ。可愛いとか、どこが可愛くないとか。なんでもいいよ。おじさんたちはこのぬいぐるみをもっと良くしたいんだ」
少女は大事そうにぬいぐるみを受け取ると、じっくり眺めた後、撫でたり、抱きしめたりと忙しそうにする。
他の子供たちも同様で、ラッセルから渡されたぬいぐるみを見て、喜んだり声を上げたりとあたりはにわかに騒がしくなった。
「生地が柔らかい」
「柔らかい?」
最初に犬のぬいぐるみを渡された少女の言葉に、ラッセルは不思議そうに聞き返す。
「そう、柔らかくてスベスベしてる。こんな高そうなぬいぐるみは初めて」
そう言われてラッセルはようやく言葉の意味を理解した。
(なるほど、ベアトリスに負けているが、代替とはいえ高級生地だけあって下町だと評価が高いのか)
「柔らかいからすぐに破けそう」
少女の率直な言葉にネイトとラッセルは渋い顔をする。
ここでも丈夫さが行く手を阻んで来る。
店主たちが言っていた頑丈さの話も、本当だったことが確認できてしまった。
こうなってくると、高級品のぬいぐるみであっても、子供向けに売るには頑丈さが必要になりそうだ。
代替の生地ではそこまでの耐久性は無い。
かといって、耐久性の高い生地は、どうしても触った時の感触が悪くなってしまう。
そうこうしていると、いつの間にかぬいぐるみを奪い合う子供たちがいた。
ラッセルが声をかけるよりも早く、左右から引っ張られた猿のぬいぐるみは、哀れにも手足を引きちぎられてしまう。
「...なるほど。デザインの次は頑丈さが課題として出てくるか」
泣き出す子供たちを前に、ラッセルは悲鳴を上げたくなるのを必死に堪えていた。
だが、ネイトは違うことを考えていた。
(ベアトリスはあんなに簡単に千切れるか?)
そう考え、ネイトは脇へと手を伸ばし―――空振りする。
シェヘラザードを工房に置いてきたのを忘れていた。
ネイトは舌打ちし、立ち上がった。
「おい、お前ら。そのぬいぐるみは預けてやる。完成品と引き換えにするから、なくすんじゃねえぞ」
そう言って、ネイトは試作品の残りを子供たちに配っていった。
子供たちから歓声が上がる。
「ありがとう!」
先程の少女も嬉しそうに頭を下げた。
ネイトはラッセルに合図をし、子供たちに背を向けてその場を去ろうとした。
「いいのかい?」
「いいんだよ。どうせ試作品だ」
ネイトの後を追いかけながらラッセルは声をかけたが、ネイトは振り返りもしない。
ラッセルはそんなネイトの背中を見ながら微笑んでいた。
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