勝ち気巫女姫の祓い噺(ばなし) ~義賊に攫われた一の姫の価値証明~

野菜ばたけ『転生令嬢アリス~』2巻発売中

第一幕:婚約破談と誘拐の談

第一節:破談と攫われ

第1話 婚姻の破談



 昔から、『物静か』だとか『淑やか』だとか。

 そういうふうに言われた事は、何度もあった。


 別にそれらの評価を歓迎していた訳でも、逆に不快に思っていた訳でもないけれど、生まれてこの方、十六年。

 初めて、今までひどく好意的な物の見られ方をされていたのだなと思わずにはいられない。



 齢二十を超えない程の男が今目の前で、片膝を立てて座敷の真ん中に座り、横柄に顎をしゃくりながら言った。


「巫女姫だか何だか知らないが、お前のようなみたいな地味で可愛げのない女、ちんの婚姻相手として相応しくないわ」


 ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべて、私を蔑み、見下してくる男。

 その不遜な態度を見た私は心の内で密かに「ひじ置きに置いているその肘を、置き外してガクッとなればいいのに」と、小さな不幸を願ってしまう。



 つい先ほどだ。

 この男が公家たちの前で、謂れもない罪を私に着せて御所追放の沙汰を下したのは。


 その後でこうしてわざわざ自室にまで私を呼びつけて一体何の用があるのかと思えば、ただの当てこすり。


 大方御所を退く事となった私に、最後の嫌がらせでもしてやろうと思いついたのか。

 それとも「最後にもう一度見世物にでもしてやろう」と思ったのか。

 

 どちらにしろ、何故この男はわざわざ作った建前に、こうも本音を上塗りするような余計をするのか。

 あり体に言えば、何故こんなにも頭が悪いのか。



 女を大声で「煌びやかでいて喋らぬ、ただ愛でられる事に喜びを見出すだけの人形であればいい」と主張する癖に、その女にも分かるような事が分からないなんて、本当なら笑い者にすらならない体たらくだと思うのだけど。


 ――これが私に謂れもない罪を着せた人の言う事なのだから、日本君主たる天皇も、徳川家に実権を握られる訳だ。


 呆れでも怒りでもない。

 これは納得だ。




 が、まぁ結局のところ、どれだけ楽しそうに言っていたところで、彼のこの言葉はにべもなく、決定を翻す余地もない。

 そもそも私は、これからこの場を追われる身。


 陛下は確かに御所の長であり、この場では最も尊き人ではあるけれど、先にも言った通り、所詮は幕府に実権を握られているのである。

 一歩敷地の外に出てしまえば、大した力も持ち得ない。


 もう殆ど私に干渉する事もなくなるような人間だ。

 ならば捨て置いても問題はない。



 こんなのは最初から理解していた事だ。


 そもそもこの呼びつけにだって、「一刻も早く身の回りの物を片付けなければ。これ以上、神聖なる御所を私の持ち物で汚すわけにはいかない」などとへりくだり、約束を幾何か後回しにした挙句にうっかり忘れたふりをして御所から出てしまえば事足りた。

 それでも私が今、陛下自らが私につけた『私を追い出すまでの監視役』をぞろぞろと引き連れてまで足を運んだ理由は、ただ一つ。


 こうして私を呼びつける意地の悪さが極まったようなこの男が、一体

 少しばかり興味があった。

 それに尽きる。



 実際に会ってみれば案の定……というか、予想以上に酷いものだ。


 今正に陛下の周りには、纏わりつくように黒い靄のようなものが充満していた。



 ――不浄。

 この世の悪しきもの。


 それは人の邪な心に誘われて集まり、やがて人に根付き、宿主となって周りに不浄を振りまく諸悪の根源と成り果てる。



 不浄は視える者にしか見えず、祓える者にしか祓えない。

 御所には神事と呼ばれる儀式が存在するが、その儀式と御所の不浄からの守護――祓いを担うのが、私の生家であり当代の巫女たる私だった。


 おそらくこの男は、そんな人間がこの地を離れる意味を真の意味では分かっていない。

 私を軽んじているのは間違いないけれど、それ以上に神事を、神を軽んじていると言っていい。


 だからこのように私を追放するし、その事に喜びや楽しみを見出して、不浄を纏う羽目になる。



 これほどまでにも酷いというのに、誰もが疑いもせずに『敬われるべき存在』として祀り上げているのだから、視えないというのは幸せな事だわ。


 私はどこか冷めた目で彼を一瞥し、「そうですか。ならば仕方がありませんね」と言って彼に背を向けた。






 あの男は、侮辱するような事を言っても尚、立場を欲して自分に縋る女の姿でも見たかったのだろうか。

 だとしたら相当の悪趣味だし、なんて非生産的な行為をするのだろう。


 そんな事を思いながら、今日まで私の寝所だった部屋の襖をスルリと開けた。



 私が追い出されるのを見届けるためだけに陛下が用意した、七人の護衛武士。

 そのうちの二人が、私について敷居を跨ぐ。


 他は皆板張りの廊下から開かれたままの襖の向こう側――不躾に私を見ていたり、廊下に気を配ったりしている。


 それでも通常は、公家の姫の部屋に私が許可しないままに男が足を踏み入れる事もなければ、中をジロジロと見る事も許されない。

 しかし今私についているのは、実質的には私が妙な強行や御所内の物を盗む事を懸念した監視なのである。


 彼らは自らに与えられた仕事をしているだけだ。

 それにしては一部、あまりにも過ぎた視線や表情の者もいるけど、これからここを出るのである。

 少々の事には目を瞑り、ササッと部屋の隅に置いていたつづらを開ける。


 中から出した風呂敷は、ここに来る時に使ったものだ。

 来た時の持ち物も少なかったけど、その時から私物と呼べる物は一つも増えていない。

 あれとこれと、と風呂敷の上にそれらを纏めながら、私は「あぁ」と内心で独り言ちた。



 できれば何事もなく、煩わしいモノと鉢合わせせずに、ここを去れればいいのだけど。



 私がそんなふうに思うのは、事ある事に私と張り合い、嘲笑う女官が一人いたからだ。 


 女官と言っても、私のではない。

 陛下の身の回りの世話をする、とりわけ選ばれた女官であり、公家の家の出で私の次くらいには陛下の妻となる可能性のある立場の女である。


 私への闘争心を見ても、日ごろの立ち居振る舞いを見ても、水面下で陛下との婚姻を狙っていたのは明白で、他にも陛下の身の回りの世話をする者は数人いるけれど、中でもとりわけ野心が強く、無駄に行動力があり、自己評価の高いのがその女だった。



 思えば顔を合わせる度に、やれ「貴女が陛下の婚姻相手だなんて」、やれ「巫女如きが、分を弁えたらどうかしら」と、飽きもなく言ってきたものだ。


 私には別に陛下の妻となる野心もなければ、彼に向ける恋情もまったくなかった。

 そんな人間からすれば、「それなら貴方が陛下なり誰かななりに直談判でもして変わってくれてもいいのだけど」という程度の事だったけど、だからといってこのように私に瑕疵があるような形で出ていく事を『是』とは思わない。



 彼女がこの状況を知りでもしたら、嬉々として私を貶しに来ることだろう。


 彼女に何を言われたところで、精々彼女に不浄が寄ってくるだけの事。

 謂れもない罪を論われて少々苛立つ程度の事で、私のように巫女であるための修行を受けた者ならばその程度、不浄を寄せ付けさえしない。


 だから実害はないに等しいのだけど、そうである事と煩わしさとはまた別だ。



 これは、彼女と顔を合わせずに御所の外に出る事ができれば御の字ね。

 そんなふうに思いながら、キュッと風呂敷の口を縛る。


 さて、あとは御所を出るだけ。



 ……両親は、巫女としての矜持よりも家の格式高さを重んじる人たちだ。

 ただの神輿だとはいえ、この国の最高権力から『要らぬもの』として切り捨てられた私を、快く迎える筈もない。


 生家に居場所はない。

 ならば、家を出る事も考えなければならないかしら。


 「陛下から不興を買った私などが戻っては、家に災いが降りかかるでしょう」とでも手紙を書いて、身を隠せばいい。

 あの人たちは、きっとそれで納得し、満足する。



 そこまで考えて立ち上がれば、ズルリと豪奢な着物の裾が畳にズリと擦れた。


 あぁそういえば、まだ着替えが済んでいかったわね。

 この重くて動きにくいだけの着物とも、やっとお別れする事ができ――。


「あら、千咲ちさき。荷造りなんてして、どうしたのぉ?」

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