桜井唯は救えない!

愛 飢男

休日の依頼

カチカチと、小気味良い音があたりに木霊する。音を拾うのは、足の踏み場もないくらいに、乱雑に散らばった書類。散らかりきった事務所の小さな客室に、入り浸る影が2人。寛ぐ彼らの正体は、頭の切れる三十路の探偵、尾形浩介と、その助手、桜井唯だった。部屋中に漂う珈琲の風味に、助手は大量の書類を抱えながら、思わず顔を顰めた。

「先生、珈琲はなるべく控えてと言ったじゃないですか。起業のせいで借金だらけなんですから。それに、こぼしたら書類が汚れます。」

浩介は助手のその発言に対して悪びれもせず、けらけらと笑いペンを置いてカップの持ち手に指をかける。それをそのまま口に運び、熱い珈琲を一気に喉奥に流し込んだ。そしてすぐにペンを持ち直し、書類に何か書き込み始める。反省のはの字も見られない浩介に対して助手はため息をつき、部屋を出ていく。浩介は不思議に思いながらも仕事を続けていると、助手は右手に細い棒状のものを持って帰ってきた。

「どうしたんだ、いきなり部屋を出て。」

あまりに突然のことだったので、浩介はその訳を聞いた。すると、助手の口角が上がり、こう言う。

「反省してもらうんですよ。」

やけに上機嫌に告げる助手に嫌な予感を覚え、浩介は素直に陳謝した。

「部屋で珈琲を飲んだのは悪かった。これから気をつけるよ。」

「先生、3回です。」

助手は笑顔を崩さぬまま、食い気味に伝える。浩介はそれが何の数字か分かっておらず、素っ頓狂な様子。それがますます助手の怒りを加速させた。

「先生が部屋で珈琲をこぼし、書類を汚した回数です。」

笑顔のままでも確かに感じる怒りに気圧されながらも、浩介は言い訳をした。ここで珈琲を飲めないと、飲むたびに移動をする羽目になる。それは面倒臭いし、非効率だ。そう感じて、今珈琲を飲んでいる自分を正当化しようと口を開く。

「さ、三回くらいなら大目に見てくれないかなあ…?」

しかし、助手はそれを無慈悲に切り捨てる。浩介のカップを手に取ると、右手に持った大量のスティックシュガーを滝のように突っ込んでしまった。

それを見て浩介は「ああっ!」と大きな声を出すが、助手は

「これで少しは反省しましたか?」

と、先ほどとはまた一風変わった、悪戯な笑顔を見せつけた。

その時、呼び鈴が鳴った。綺麗に透き通る鈴の音を聞いて、二人は目を合わせる。瞬時に、大慌てで部屋に散らかった書類を片付け始めた。書類を乱雑に見えないところへ詰め込んだ後、部屋を移動し、訪れた客を見る。とてもふくよかで、おっとりした男性だった。客は二人を見るや否やこう言った。

「何だかお疲れのご様子ですが、何かございましたか?」

二人は息を切らしながらも首をぶんぶんと横に振り、掃除したばかりの客室に招いた。

 客室に着いてすぐに浩介は珈琲を手に取り、余裕のある笑顔で客に問いかける。

「本日はどのようなご用件で。」

ソファに座っている客人はそれを聞いて、周りを確認するしぐさをとってから眉間にしわを寄せ、姿勢を正してこう言った。

「今回あなた方にお願いしたいのは、【日ヶ原学園】のことです。」

客人は静かな口調で、丁寧に伝える。それを聞いた浩介は、表情が変わった。助手は日ヶ原学園がなんのことだか分かっておらず、浩介を見つめている。

「日ヶ原学園って、まさか…。」

と問う。不安を抱える浩介を前に、客人は頷き、声色一つ変えずに続けた。

「お察しの通り、『真実を知る学園』と噂の、最近話題となっている全寮制の高等学校です。噂についてもそうですが、この学校は怪しすぎる。生徒の事故死が多く、生徒は外部との連絡が絶たれる。学園からの転校生、退学、停学処分もなし。そもそも噂が本当なのか、誰が流し、広めたのかさえ分かっていません。」

それを聞いた途端、二人の顔は凍ってしまったかのように動かなくなり、部屋には珈琲の味も分からないほどの緊迫感があたりに充満した。

「で、その謎を僕達に解決してほしいと。」

神妙な顔つきでそう言う浩介を前に、男は申し訳なさそうに「はい。」と一言。その後は契約書にサインさせ帰ってもらい、二人で話すことになった。

「日ヶ原学園って、なんですか。話を聞いただけでもやばそうなんですけど。」

「それは、俺の姉が…。」

浩介は言葉を濁らせ、「いや、なんでもないよ。」と冗談らしく手を返した。部屋に倦怠感が渦巻く。その空気はほんの一瞬でも、2人の雰囲気は確かに暗くなっていた。そんな空気でも、助手が

「依頼は、受けるんですか?」

と言うと、浩介はパッと目を覚ましたかのような顔つきになり、「受ける、受けるさ。ただ…」と顎に手を当て、少し考え込んでからこう言う。

「今回は君のみに調査を頼みたいんだ。」

浩介の突然の発言は、助手にとっては相当なショックだった。それは、ただでさえ得られる仕事が少ない助手だと言うのに、いきなり探偵なしでどうにかなるような問題ではないからだ。それに、浩介の先ほどの発言もあって、日ヶ原学園とやらのハードルも随分と上がっている。しかし、浩介はそれを言われずとも訳を説明した。

「日ヶ原学園は保護者とか、家族とか、そういった部外者との接触を極端に怖がってる。そんな所に、学生以外の人間が簡単に受け入れられるとは思えない。だから、まだ学生の君に任せたいんだ。もちろん、そんなところに君を行かせたくない気持ちもあるけど、生活がかかってるんだ。」

助手は「結局は報酬ですか。」と文句を垂れながらも反論は出来ず、結局、受け入れる事となった。


それから1ヶ月後、転校手続きを終え、一風変わった制服を身につけた助手は、浩介からの『死なないように』という言葉を思い、反復して口に出す。不安を抱きながら扉を開け、薄暗い地面で雨雲の落とす影を踏みつけた。玄関の前にある水たまりから、ぬるい水が靴へと染み込む。そして、もう家から離れたというのに、苦い珈琲の香りが、鼻をツンと刺激した。

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