第2話 心配してください! 適塾その1

      ******


「おい、谷藤! 起きろ!」

 聞き慣れたおっさんの声で俺は目を覚ました。あれ? ここはどこだ? 俺は新幹線の車内にいたよな?


「もう東京駅着いたの?」

 寝ぼけた俺は変な返しをする。


「何寝ぼけてんだよ、ここは塾だぞ。新幹線にでも乗ってる夢でも見てたのか? 昨日修学旅行から帰ってきたんだろ。疲れてるのはわかるけど、せっかく塾に来たんだからなんか勉強しとけ」

 

 ああ、そうだった。俺は塾に来ていたんだった。でも、昨日どうやって帰ってきたんだっけ? あの最悪の質問の後の記憶があいまいだ。なんか新幹線からワープしてきたような気分だ。混乱した頭で俺は周囲を見回した。


 ここは適塾、俺が中一の始めぐらいから通っている塾だ。塾といっても普通の塾とは違う。普通のマンションの一室を改装した教室の中で、好きな時に来て好きなだけ自分の勉強をし、わからない時に塾長や何人かいるバイトの先生に質問をするスタイルだ。

 

 塾長は江戸時代に医師の緒方洪庵が大阪に開いた「適塾」の名前を取ったと言っているが、ほとんどの生徒は「適当過ぎる塾」の略だと思っている。なにしろ、いつ来てもいいし、いつまでいてもいいし、何をやっていてもいい。遅刻しても何も言われない。そもそも時間が決まってないので遅刻の概念がない。ルールは「周りの人の邪魔をしないこと」、「刑法に触れることをしないこと」、「仮眠は20分まで」この三つだけだ。

 

 教え方はなかなか上手な気はするのだが、塾長は良く脱線する。数学の質問をしたはずが、気がつくと塾長が昔やったクソゲーの話などになっている。そこからまた話が広がっていき、気が付くとお互い何を質問したんだか忘れていることが多々ある。


 こんなんで成績上がるのかと思うのだが、塾長に言わせると「成績を上げるために塾に来るのはもう古い。これからの時代は勉強を楽しむために塾に来るのだ」だそうだ。


 受験とかどうすんだと言う話だが、意外と生徒の多くは自分の希望の進路に行けている。ちゃんとやりたい人には全くお勧めできないが、俺みたいな集団授業もルールに縛られるのも苦手な生徒には良いのかもしれない。


「そうだ塾長、聞いてくださいよ。最悪なんすよ」

 俺は、自称27歳のおっさんに話しかけた。(掛け算すると27歳とかつまらないことを言っている。本当は39歳なんだろう)


 すると「「何があったんだ?」」声を揃えて、近くで自習をしていたメガネで細身の神崎先輩と横にも縦にも大きい中島先輩が俺の机の周りに寄って来た。この二人は一つ上の高一だ。俺が適塾に入った時からの付き合いだ。

 

 俺は帰りの新幹線であったあの最悪の出来事を3人に語った。


      ******


「笑いも取れない上に罵られるとか、そりゃ最悪だな」

 塾長が言う。


「谷藤、ボケとしてその答えはセンスないよ。黒って答えたってその後相手は何言えばいいの? どんな上手いツッコミでも面白くできないんじゃないかな。それなら黙って無視してた方がマシだったね」

 お笑いに厳しい神崎先輩が言った。別に俺は今野とコンビでお笑い芸人目指してるんじゃないけどな……。でもいつも的確な批判をするこの先輩にはっきりと言われるとへこむ。


「ゲヘヘー、俺様だったら目の前でズボンおろして見せつけてやるけどな」

 下ネタしか言わない中島先輩が言った。「ゲヘヘー」と笑う人が実在することにいつも驚愕している。この先輩はいい意味でも悪い意味でもいつも豪快だ。


「中島、それは犯罪だぞ!」 

 塾長が言う。変なところに厳しい。


「でも、相手から聞いてきたんだから良くね? 相手のスカートめくってるわけじゃないし」

 この先輩ならスカートめくりもやりかねないのが怖い。法に触れることと女子を不快にすることはしないといつも言ってはいるが……。


「刑法175条の猥褻物陳列罪わいせつぶつちんれつざいに当たる可能性がありますね。新幹線の車内であること、クラスの他の生徒もいる状況をかんがみると十分その可能性はあるかと」

 雑学に詳しい神崎先輩が言う。これで学校の成績はあまり良くないらしいのが不思議だ。


 もうやり直すことはできないが、あの質問に何を答えれば良かったのかは気になる。この3人ならばもしかしたら正解を導けるのではないか。俺は脱線しそうになった流れを元に戻す。


「それはさておいて、で塾長、俺はあのとき何を答えれば正解だったんすか? 教えてくださいよ。いつも、『なんで結婚できないんですか?』以外の質問ならなんでもしろと言ってるじゃないすか」


「キィーッ、結婚できないんじゃなくて、相手が見つかんないだけなんだからな。そこんとこ間違えんなよ。絶対に間違えんなよ!」

 塾長がムキになって子供っぽいことを言う。みんな口に出さないが結婚できないのはそういうところなんだろうと思っている。おっさんが「キィーッ」と高めの声を出して悔しがるのも気持ち悪いし……。そもそも「キィーッ」て言って悔しがる人ってどうなの。


「まあまあ、それはさておき、で正解は?」

 俺は答えを促す。


「うー、そうだなぁ。うーん難しい。俺だったら……。そうだ! あれだ!


『心配してください、履いてませんよ!』


これでどうだ。女子にキャーキャー言われるぞ」


「センスない。さすが先生ですね。センスのかけらもない。まず、有名なギャグを使うところが逃げてますよね。しかもちょっと変えていて元ネタへのリスペクトもないですよね。で、万が一ウケたら自分は面白いんだって勘違いして、もし滑っても元ネタがつまんねえからとか言い訳するんでしょ。つまんない上に卑怯者ですよね。リスクを負う勇気も笑いのセンスもないくせにリターンだけは欲しがるとか僕が一番嫌いなタイプですね」

 常日頃から「先生は100回に1回ぐらいしか面白いことを言わない」と辛辣に批評している神崎先輩が間髪入れずに言った。


「キィーッ、この毒舌メガネめ、そこまで言うかぁ! 自分じゃ面白いこと全然言わないくせに、言わないくせにぃ」

 塾長がまた子供っぽく反応する。「毒舌メガネ」はいつも神崎先輩に言いくるめられて悔しがっている塾長がつけたあだ名だ。


「毒舌メガネは僕にとっては誉め言葉ですよ。それはさておき、先生この前見た映画、酷評してましたよね。たしか『愛と青春のランニングマスィーン』」

 神崎先輩が冷静に返す。


「なんだ急に、でも確かにあれはタイトルからして酷かった。『マスィーン』てなんなんだよな。内容も酷かった。最初から最後まで隣同士でランニングマシーンに乗って走ってる高校生の男女二人の会話だけで、挙句の果てに最後が夢オチだぜ! あれより酷い映画、俺は見たことないよ。俺の2時間返してくれよって感じだな。あ、ネタバレごめん。ほんとごめん」

 普段からネタバレは犯罪ですと言っている塾長には珍しいミスだが、流石にこのタイトルの映画を見たいやつはいないだろう。


「この前話してた時も夢オチってネタバレしてましたけどね。しかもあれが夢オチって……。まあ今はそこはいいです。ところで先生って映画作ったことあるんですか? どうせないでしょ。映画を作れもしないくせによく酷評できますね」


「映画作れなくたって見た映画批評するぐらい別にいいだろ、みんなやってるじゃん。何が言いたいんだよ?」

 塾長がいぶかしげに言う。


「言いましたね。じゃあ別に僕が面白いこと言えなくたって、面白いかどうかについて批評したっていいですよね?」


「ぐぅ」

 塾長が変な声を出す。


「えっ?」


「お前どうせ、前みたいに『ぐぅの音も出ないんですか』とか言うんだろ、ぐぅの音は出たからな。俺はまだ負けてないぞ!」

 何を言ってるんだこのおっさんは……。どちらが先生なんだかわからない。


「ゲヘヘー、パンツの話だけにぐぅで負けじゃね?」

 中島先輩が上手いんだか下手なんだかよくわからないことを言う。


「チョキチョキチョキチョキ」

 塾長が意地になる。


「子供ですか」

 神崎先輩が冷たく言い放った。


 いつものことだが、この3人の不毛なやり取りを聞いていたら意識が朦朧としてきた。気がついたら俺はまた深い眠りに落ちていた……。コンッ。

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