第十六章 女優(プリマドンナ)仕立ての新解釈(ニュー・アレンジメント)

「さて、と……まずは稽古(けいこ)から始めましょうか、私の可愛いマリオネットたち?」


翌日、あたしはアンティーク冴島の奥、即席の舞台の前に、演出家然(ぜん)として仁王立ちになった。手には、あの黄ばんだチラシ。『ガラスの心臓を持つ道化師』。このタイトルを、あたし流にどう料理してやろうか、考えるだけで胸が躍る。


シャノワールは、少し離れた場所にあるビロード張りの椅子の上で香箱座りをし、まるで批評家気取りでこちらの様子を窺(うかが)っている。冴島はといえば、「面白い舞台になりそうだ」とだけ言って、店のカウンターで何か古文書のようなものを読んでいるが、その耳はこちらの動向に集中しているのが分かった。観客は、それで十分だ。


「いいこと? あなたたちのこれまでの悲劇は、もう終わり。これからは、このあたし、天音メルが書き換えた、新たな台本で演じてもらうわ。タイトルは同じでも、中身は全くの別物。もっと刺激的で、もっと観客を魅了する、最高のエンターテイメントにね!」


あたしは、マリオネットたちに向かって高らかに宣言した。彼らは、糸の先で微かに揺れ動き、あたかもあたしの言葉に耳を傾けているかのようだ。


最初の稽古は、個々の「役作り」から始めた。観劇者の双眼鏡で見た、彼らが宿す情念の断片。それを元に、あたしは彼らに新たな「設定」を吹き込んでいく。


「騎士さん、あなたのその『守れなかった誓い』っていうのは、あまりにも月並みで退屈よ。これからは、あなたは『愛する姫を自らの手で殺めてしまった、絶望の騎士』。その悲劇的な過去を背負い、永遠に苦悩し続けるの。どう? そそられるでしょう?」


あたしがそう言って騎士のマリオネットの糸を軽く引くと、彼はゆっくりと剣を降ろし、うなだれるようなポーズを取った。その姿は、以前よりもずっと陰影に富み、観る者の想像力を掻き立てる。


「貴婦人、あなたの『失われた美貌への執着』も、もう少しひねりが欲しいわね。あなたは、『若さと美貌を保つために、禁断の魔術に手を染め、その代償として心を失った妖花(ようか)』。その虚ろな瞳で、何を求めるの? 素晴らしいじゃない!」


貴婦人は、あたしの言葉に合わせて、僅かに首を傾げ、そのガラスの瞳が妖しい光を湛えたように見えた。


踊り子には「刹那(せつな)の快楽に身を焦がし、破滅へと向かう宿命のダンサー」、そして主役である道化師には……。


「道化師、あなたの『ガラスの心臓』は、ただ脆(もろ)いだけじゃ面白くないわ。それは、『他人の不幸を嘲笑い、その嘲笑が刃となって自分自身を傷つける、呪われた心臓』。あなたは、笑えば笑うほど苦しみ、苦しめば苦しむほど、歪んだ歓びを感じるのよ。どう? 最高の役でしょう?」


あたしが道化師にそう語りかけると、彼の顔の、あの固定された嘲笑が、さらに深く、そしてどこか苦痛に満ちた表情へと変化したように見えた。糸が、あたかも彼自身の意志で震えている。


「いいわ、役者は揃った。それでは、リハーサルを始めましょうか!」


あたしは、彼らを操り、あたしの考えた新たな物語の断片を演じさせた。騎士の絶望、貴婦人の虚無、踊り子の刹那的な輝き、そして道化師の苦悶に満ちた嘲笑。それらが複雑に絡み合い、これまでの彼らの沈黙劇とは全く異なる、濃密で退廃的な雰囲気を醸し出していく。


最初は、彼らも戸惑い、あたしの「演出」に抵抗するような動きを見せた。騎士が元の主君を守るようなポーズに戻ろうとしたり、貴婦人が虚しく鏡を探すような仕草をしたり。しかし、あたしは許さない。


「だめよ、騎士さん。あなたの姫はもういないの。貴婦人、鏡に映るのは、あなたの醜い本性だけよ!」


あたしは、時に優しく囁きかけるように、時に厳しく叱咤(しった)するように、彼らに語りかけ、糸を操り、あたしの望む「演技」へと導いていく。観劇者の双眼鏡は、もはや必要なかった。彼らの魂の奥底にある感情は、あたしには手に取るように分かったし、それをどう料理すれば最高の「味」になるかも、直感的に理解できた。


数日後。あたしは、ついに「本番」の幕を開けることにした。冴島とシャノワールを、即席の舞台の前に座らせる。


「お待たせいたしました。これよりお目にかけますは、アンティーク冴島特別公演、天音メル演出、『ガラスの心臓を持つ道化師――ニュー・アレンジメント』。どうぞ、ごゆっくりお楽しみくださいませ」


あたしは、芝居がかった口調で口上を述べ、深々と一礼した。


そして、ショーが始まった。


あたしは、時にナレーターとして物語を語り、時に個々のマリオネットの「心の声」を代弁し、そして時には、あたし自身が物語に登場する謎の「案内人」として、彼らと対話する。


騎士は、亡き姫の幻影に苦しみながらも、道化師の歪んだ正義に利用され、新たな悲劇を引き起こす。貴婦人は、踊り子の若さを妬み、彼女を陥れようとするが、逆に自らの破滅を早める。踊り子は、刹那の輝きを放ちながらも、道化師の仕掛けた罠に落ちていく。


そして、道化師。彼は、全ての悲劇を嘲笑い、糸を引く。しかし、その笑いは常に彼自身のガラスの心臓を傷つけ、血を流させる。彼は、他者を不幸にすることでしか自らの存在を確認できず、その行為によって自らもまた深く傷ついていくという、永遠のジレンマに囚われているのだ。


あたしの演出は、柏木弦が描いたであろう元の物語の悲劇性を、さらに誇張し、歪め、そして、どこかグロテスクな美しさを持つものへと変貌させていた。それは、救いのない、しかし強烈に人の心を惹きつける、悪夢のような舞台だった。


クライマックス。道化師は、全ての登場人物が破滅し、舞台の上で孤独に嗤(わら)い続ける。しかし、その笑い声は、やがて嗚咽(おえつ)へと変わり、彼は自らのガラスの心臓を抱きしめ、苦悶の表情で崩れ落ちる。


「……これがお前の望んだ結末か、柏木弦? お前の絶望は、この道化師を通じて、最高のエンターテイメントとして昇華されたぞ。満足か?」


あたしは、舞台の袖から、あたかも天国の柏木弦に語りかけるように言った。


その瞬間、道化師のマリオネットの、あの嘲るような表情が、ほんの僅かに、和らいだように見えた。それは、あたかも長年の苦しみから解放されたかのような、穏やかな、しかしどこか虚無的な表情だった。


そして、他のマリオネットたちもまた、あたかも憑き物が落ちたかのように、だらりと糸を垂らし、静かに動きを止めた。彼らが発していた、あの独特の不気味な気配は、綺麗さっぱり消え失せている。


舞台は、終わったのだ。


あたしは、深く息を吐いた。想像以上の消耗感。しかし、それ以上に、歪んだ達成感が全身を満たしていた。


冴島は、いつの間にかカウンターから移動し、拍手もせず、ただ静かに舞台を見つめていた。その表情は、いつものように読み取れない。


「……お粗末様でした」

あたしが言うと、彼はゆっくりと口を開いた。

「いや……見事なものだったよ、メル君。君は、彼らの魂を救いはしなかった。だが、彼らの物語に、君自身の解釈という名の、新たな『命』を吹き込んだ。それは、ある意味で、どんな慰めよりも残酷で、そして美しい結末だったのかもしれないな」


彼の言葉は、称賛なのか、皮肉なのか。どちらでもいい。


あたしは、今はただ、この舞台の成功を、そして自らの「演出家」としての才能を、噛みしめていたかった。


マリオネットたちは、もう二度と、自らの意志で動くことはないだろう。彼らは、あたしというプリマドンナによって完璧に「演じきられ」、そして、その役目を終えたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る