夏の幽霊。

夏堀 浩一

夏の幽霊。

 「時計もカレンダーも存在しなかった時代、昔の人は月とか星とかの天文学を使って季節を知り、やがて時間の概念を作り上げていったの。」


 彼女は頭上に広がる夜空を見て言った。遠い空に浮かんでいる、海に溺れて見た夜光虫のような星を映す天球は、僕らのちっぽけさを教えてくれた。地球という天体に座っているふたりは、静かな草原の中で考え出した。


 「永遠があるとするなら、それはどんなものだと思う?

私も、君も、いつか死ぬでしょ?

今住んでる家も、この草原も、きっと壊れて無くなるんだから、

だから、すべてが虚しいじゃない。でも、それでも君と過ごした夏は楽しかったし、明日は夏休みが終わって学校。思い出も、悲しさも、ちゃんとここに存在するのに、なかったことになってしまうのが、どうしても受け入れられない。」


 僕は夜空を見たまま追憶に耽った。この夏を思い出す。君を初めて見た日のこと、明け方に起きる朝顔、木漏れ日の浮かぶバス停、君と海に行ったこと、そこで見つけたシーグラス、夜祭を抜け出した畦道、振り向く君の浴衣。そう、小説も映画もドラマも詩も音楽も何もかもが言い足りなかった。そう思えた。これから君のいない毎日を生きて、大人になって、この日を忘れてしまったら、君との夏が遠くなって行く。


 「私は、ひとの体には魂があると思っているの。例え死んでも、身体は消えちゃうけど魂は消えない、ずっとどこかを浮遊したまま、いろんな時代を旅してさ。また大切な人と会えるんじゃないかって。」


涼しい夜風が頬を撫でた。夜空のような君の黒い髪が靡いた。横を見ると、夜空を見上げてる君が映った。

 彼女は、学校で見るよりずっと大人びていた。

  それでもふと、何か僕の中に心臓を杭に打たれたような寒さを感じた。それは桜が散ってしまった四月の終わりに似ている。君が消えてしまうのではないかと思った。虚ろげな双眸、少し不安げに結んだ口元、澄んだ声。僕らよりもずっと大きな何かに。


 すべてが儚かった。


 夏の終わりも、彼女の生命力の比喩として存在するのではないかと思うくらい、今にも無くなりそうだった。


 「もう帰らなきゃ」

 彼女は立ち上がった。夜空に溺れている。

 スカートについた夏草を落として、歩き出した。僕は夜空をもう一度だけ見上げて、彼女の後についていった。道の果てまで等間隔に並ぶ誘蛾灯、鈴虫の声、この道が終われば、きっと会えなくなる。

 

   さようなら


 ふたりで手を振って別れた。

 僕は俯いて夜道を歩いた。一台の白い軽トラックが僕の横を通り越していった。次第に遠のいて行くその音をずっと耳元で聞いていた。アスファルトをサンダルで歩く音、両脇に広がる若草色の田んぼ、家々の明かりが近づいてきた。


それからのことはあまり憶えていない。きっといつものように部屋でラジオを聞いて、窓から外を眺めて、絵日記を描いて寝たのだろう。月明りに照らされながら瞼を閉じて、それから次第にうつろう頃、最終電車の音が聞こえた。


 「この花はね、夏水仙って言うの。」

 彼女は鳥居の隅に咲いている綺麗な花を見て言った。

 

 「花言葉は、再会の願い。」

 僕は唇の端だけで微笑んだ。

 夏が終わっていく、空が高くなる、花ひとつ持ってバス停で立っている。

 

 君の声が聞こえる。

   

   そんな僕の儚い夢だ。

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夏の幽霊。 夏堀 浩一 @Alto710

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