夫と妻

◇鷹家当主・鷹 荒天(よう こうてん)


 我が国の長たる龍家の本邸、その地下深く。

 日の光の届かぬ、漆黒の空間の中にて、私は《彼の方》と相対していた。


 光の無い空間でありながら、その存在を認識できるのは、ソレが人ならざる、神たる存在であるからに他ならない。


 

 この国は、遠く離れた他国に比べて神々の力が強い。


 いや、距離が近いと言うべきか。


 人々は日々の善かった事を神に感謝し、悪かった事を神に向かって反省する。


 日々の習慣と言ってしまえばそれまでだが、それ故にか超常の出来事がよく起きる。


 例えば、生き別れの兄弟が色鮮やかな花々に導かれるように再会を果たし、

 死の縁にあった老人が、最後の一日に突然元気になり、家族との団欒を過ごしたり、


 普通では有り得ないだろう奇跡が、この国では度々見られる。


 ……当然、良い奇跡ばかりでは無い。


 雲一つ無い晴天の日、ある商家の母屋に雷が落ちて、その際に起きた火事が三日三晩燃え続けた事があった。


 ある武家の大層器量の良い一人娘が、一夜で蟇蛙の様な姿に変わった事もあった。


 まぁ、件の商家は貧しい者から舌先三寸で少ない財を奪い、土地から命まで差し出させるという外道であったし、

 武家の娘は己の美しさを鼻に掛け、自分よりも優れている者、美しい女性を破落戸を雇って襲わせていたというから、

 神々の下す罰が理不尽である事は少ない。


 ……そう、神の起こす厄災には、総じてそうされるだけの理由があるのだ。


 この国の長である龍家の当主だった男。


 即ち、青雲、いや光鱗殿の実の父親が突然の病に倒れたのも、ある一柱の神が原因である。


 ただし、それは彼自身に原因があった訳ではない。


 遥か昔、この国が出来た神話の時代まで遡った際の、我ら四家の祖先に対しての罰に、今の時代に生きる彼が巻き込まれたのである。


 我らは、未だ赦されず。



 かつて、一組の夫婦の神が居た。


 二人は仲睦まじく暮し、土地を潤し、肥えさせた。


 ある時、事故によって夫婦の片割れ、妻である女神が命を落とした。


 夫である男神は嘆き悲しみ、女神を生き返らせる為、冥府の国へと女神を迎えに行く。


 数多の試練を乗り越え、男神はとうとう女神の元へ辿り着く。


 

 よくある昔話だ、女神を生き返らせる事が出来る直前に、男神は女神を裏切り逃げ出す。


 怒り狂った女神はしかし、様々な妨害を受け、現世へ繋がる門の直前にてその追跡を阻まれる。


 この国では、その昔話が建国の理由となっている。


 道を塞がれた女神は、あらゆる手を使い、長い時をかけ、とうとう門を越えることが出来たが、憎い男神はとっくの昔に逃げ仰せており、何処に居るのか女神にはさっぱり分からなくなっていた。


 女神は消えぬ怒りと憎しみを周囲に撒き散らし、辺り一面は毒と瘴気で草木はおろか、虫の一匹も生きていられない有り様だった。


 その現状を憂いた神々の命を受け、四人の若者が女神に戦いを挑み、冥府へと通じる大穴へ女神を落とし、これを封じた。


 そして、その大穴の上に屋敷を建て、若者の一人が居を構えた。

 女神の怒りを己に向けて、他の者達を守るために。


 一人の若者は、いつか女神が復活した時のため、それを押さえ込むために武を磨き続けると誓った。


 一人の若者は、女神の毒と瘴気で荒れた土地を癒すため、そして万が一再び女神が現れた際に厄災が世界全土に広まらないようにするために術の研鑽に努めると誓った。


 一人の若者は、裏切られ、傷付いた女神を慰めるため、女神の為の祭事を行うようになった。



 これが、我が国の始まり、四家の始まりである。


 そして、私は今、女神の前に立っている。


 女神を慰めるためではなく、


 現世の手前で、身動きが取れなくなっている彼の方を、


 冥府へと御返しするために。 



 暗く、冷たい大地の底。


 体は凍える程に冷たいのに、体内の臓腑は焼け爛れるのではないかと思う程に熱く、痛い。


 女神の周囲を漂う瘴気が、酸で溶かすようにジワジワと私の皮膚を焼いていく。


 あぁ、怖い、痛い、冷たい、熱い、


 恐ろしい、恐ろしい、恐ろしい、恐ろしい。


 今すぐにでも逃げ出したい気持ちを、それでも私は押さえ付けながら、一歩ずつ、女神へと近づいて行く。


 脳裏に浮かぶのは、愛しい我が子達の姿。


 けれど、それは怒り、嘆き、悲しむ姿。


 女神のいる場所、現世と冥府の境に向かわんとする私を、


 諌めようとして、説き伏せられた青雲。


 力ずくで止めようとして、返り討ちにあった白雷。


 地下への道を塞ぐ先回りをしようとして、それを読まれて簀巻きにされた紅雹。


 泣きながら必死にすがり付き、それでも振り切られた月雨。


 皆、私を思い、止めようとしてくれた。


 私は、それを拒んで、此処にいる。


 我が鷹家は、最早祭事を行う事は叶わない。


 三人の子には、私の血は流れておらず、残りの一人は、女神を鎮める処か、敵対させる能力を得てしまった。


 今しかないのだ、女神を冥府へと御返しし、子供達の暮らすこの国を守るには、


 私が、自身ごと女神を連れていくしかない。


 我が子らよ、愚かな父で、すまない!


 「女神よ、鷹家が当主、鷹 荒天が、冥府への旅路、お伴致します!」


 叫び、女神にしがみつく。


 瘴気に身を焼かれながら、


 毒に臓腑を侵されながら、


 冷たい、つまらない物を見るような目をした女神を、背後の大穴へと落とすため、足を前へと動かし続ける。


 〈おろかなり〉


 頭に声が響き、それが女神から発せられたと理解する前に、私は地面へと倒れていた。


 〈ぶざまなり〉


 立ち上がろうとする。

 腕が動かない。


 〈こっけいなり〉


 這いずろうとする。

 足が動かない。


 〈みじめなり〉


 とにかく動こうとする。

 体に力が入らない。


 女神が声を発する度に、私の体は力を奪われていく。


 〈わらわは、わらわをうらぎったあれをゆるさず〉


 〈わらわをふうじた、あれのまわしものをゆるさず〉


 〈わらわは、わらわのあたまのうえでさわぐ、なれらをゆるさず〉


 声が響く度に、力が抜ける、血が冷える、心が削られる。


 〈あぁ、なれらに、〉


 〈生きる価値無し〉


 声が、響くのではなく、耳に聞こえた、私は己が死ぬのだと確信した。



 『駄目ですよ、貴方?』



 声が聞こえた。


 懐かしい声だった。


 力を失い、視力さえ失くした中、声のした方に顔を向ける。


 〈なれは、なんだ?〉


 〈なぜ、ここにいる?〉


 女神の声が響く。


 それでも、声のした方へ這いずりながら体を向ける。


 『まぁまぁ、こんなにお召し物を汚してしまって』


 腕に力を入れて、体を起こす。


 〈うごくな、うごくな〉


 『お顔も泥だらけではありませんか』


 足を動かし、立ち上がる。


 〈なぜだ、なぜ動く!〉


 声のした方へ、歩く。


 〈動くな! 動くな!〉


 〈妾に近寄るなっ!〉


 「晴燕せいえん、君、なのか?」


 名前を呼ぶ、


 妻であった女性の名を。


 『はい、貴方』


 目は見えず、それでも彼女が確かに己の前にいると感じる。


 「何故、君が此処に?」


 『何故って、此処は冥府へと続く道ですもの』


 『私が此処にいるのは自然な事でしょう?』


 言われてみれば、その通りだ。


 むしろ、私が居る方がおかしいのだ。


 そう思っていると、徐々に視界が開け、


 『ごめんなさい!』


 目潰しを食らった。


 『今の私は、貴方に見せられるような姿をしていないの』


 『どうか、目を閉じたままでいて下さいな』


 そんな彼女の声を聞きながら、私は目潰しの痛みで悶絶していた。


 「晴燕、君、そんな愉快な性格だったっけ?」


 『ごめんなさい、猫を被ってました』


 『いつかは素の自分を見せないとって思っていたのですけれど……』


 機会を逃し続けてあんな事に……。


 そう言って、彼女は俯いた。……気配がした。


 〈な、な、なにを、何をしておるか!〉


 女神の声が聞こえる。


 あぁ、当初の目的をすっかり忘れていた。


 「晴燕、すまないが目を開けて良いかい?」


 妻に呼び掛ける。


 『出来れば、女心を分かってほしいのですが』


 妻が応じる。


 「私は、冥府へと向かう身だ」


 「君の姿を見たとしても、現世へ逃げるような事はしない」


 そう言って、私は目を開き、


 『えいっ』


 目潰しを食らった。


 「……ここは、夫婦がお互いの姿を見つめ合う場面じゃないかなぁ?」


 目から液体おそらく血液を流しながら私は問う。


 『女心だと、言いましたでしょう?』


 悪びれた様子もなく、妻は返す。


 『大丈夫、目が見えなくとも、私が貴方を支えますわ』


 『妻として、今度こそ』


 言って、私の手を握る。


 冷たい、生気の感じられない手を、


 私は握り返す。


 あぁ、もっと早く、今の君を知っていれば。


 家族六人で、楽しく暮らす未来もあったのだろうか……。


 「まさか、子供達だけでなく、君の事でも心残りが出来るとはね……」


 『子供達の事は無理でも、私の事は、これから取り返せますわ』


 『これからは、私達ずっと一緒なんですもの』


 冥府への道を前にした状況で聞くと、中々に恐ろしい発言ではあるが、


 「あぁ、そうだね」


 私は、微笑みながらそう返した。



 

 〈ふざけるな〉




 声がした。


 〈ふざけるな、ふざけるな〉


 女神の声がした。


 〈ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!〉


 怒りに狂い、我を忘れた女神がいた。


 〈何故だっ!?〉


 〈何故お前達は共に在れる!?〉


 〈妾はできなかったのに!〉


 〈あれは妾から逃げ出したのに!!〉


 〈妾は裏切られたのに!!!〉


 〈どうしてお前達は夫婦でいられる!?〉


 〈ずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!〉


 女神は狂乱し、瘴気と毒をを撒き散らす。


 倒れそうになる私の体を、妻が支える。


 『我を失っている今ならば、彼の方を連れていく事ができますわね』


 『……本当に、貴方も逝くつもりですか?』


 問う妻の声に、


 「もう、君を一人にはしないさ」


 私は返した。


 「では、行こう」

 『はい、貴方となら』


 「『たとえ、冥府の底までも』」


 言って、妻と二人、女神へと飛び掛かる。


 〈っ!〉


 〈このっ、離せっ!〉


 「女神よっ、御身の冥府への旅路、」


 「鷹 荒天と」


 『鷹 晴燕』


 「『我ら夫婦がお伴致します!』」


 叫び、女神ごと大穴へと飛び込む。


 〈いやだっ! いやだっ!〉


 〈はなせっ! はなせっ!〉


 落ちながら、尚も女神は暴れる。


 〈いやだっ! はなせっ!〉


 〈うわあぁぁぁぁぁん!!!〉




 〈どうして、……貴方〉

 



 泣きじゃくる女神は、冥府へと落ちる穴の中、小さく呟いた。


 

 

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