第2話 風見鶏亭にて
太陽が真上を超えて傾き始めた頃、冒険者の女性とリンカはトリナ村の門前へとたどり着いた。
「……ここが、村?」
リンカはそのあまりに質素な外観に思わず声を漏らした。
木材と石を積み上げただけのような壁に門と呼べるほどの扉もない。
(高校の方がこれよりマシだろ……)
申し訳程度に添えられた門番らしき男が二人、槍を持って警戒していた。
リンカは肩で息をしながら膝に手をついた。
止まった瞬間、途端に疲労が全身にのしかかる。
明け方から休みなく動かした体は崩れかけ一歩手前だった。
「身分証を」
門番が低い声で言った。
冒険者の人が一歩前に出ると、懐から一枚の証書を取り出して見せた。
「はい。これでいいかしら?」
「うむ……。え、は!? 神殿騎士!? こ、こんな村に何用で!?」
「ごめんね。話せないのよ」
「か、かしこまりました!……して、そちらの方は……?」
兵士がちらりとリンカに目線を飛ばす。
「魔物に襲われていたところを助けたの。この子からも話を聞きたいから通してくれかしら?」
「かしこまりました!」
呼吸を整えながらその一連のやり取りを見ていたリンカは、彼女に小声で問う。
「もしかして……めっちゃ偉い人でした?」
「偉くはないけど、すこしね……?」
そう言うと彼女は小さく微笑んだ。
「そういえば、お姉さんの名前……。聞いてもいいですか?」
「あ、そうだったわね。私はミラリエ、ミラリエ・クラリアーレよ」
「私は
「リンカちゃんね。よろしく。まずは宿でも行きましょう」
「はい!」と、リンカは答えた。
いよいよ村の中へ入ると……なんとも貧相だった。
露店もまばらで、品物も乏しい。
畑の脇で薪を割る老女、焚き火を囲む子供たち、「……コツ、コツ」と鍛冶屋の槌音が遠くに聞こえる。
どこか沈んだ空気が村全体を覆っていた。
「いくらなんでも暗すぎじゃないですか……?」
「最近、魔物の被害が増えてみんな疲れてるの」
ミラリエの口ぶりは軽いが、その視線は鋭く村の隅々を見ていた。
リンカはミラリエの言葉に沈んだ。
(夜のあれがいっぱいいるってことだよね? あぁ~もうっ! 絶対ヤバいやつじゃん……!)
昨日の一件で早々にマイホームを失ったリンカは、自分の未来が明るいものではないことを悟った。
現状、異世界に来たばかりで右も左も分からないただの女子高生。
唯一の救いは、今自分の隣にいるこの人――ミラリエだけだ。
(ミラリエさんとの出会いにマジ感謝だよ)
リンカが彼女を見ると、ちょうど目が合った。
ニッコリと笑うミラリエに、リンカもぎこちなく笑顔を返しながら村を進んでいく。
二人は村の中央に位置する古びた宿屋へと入った。
入り口には小さな看板が下がっており、「風見鶏亭」とだけ書かれている。
木の床がギシギシと軋み、受付には居眠りしている老婆が座っていた。
ミラリエが軽く声をかけると、老婆は驚いたように目を覚ました。
「二人で一つの部屋なら30シル、部屋が二つなら40シルだよ」と言った。
「リンカちゃん。お金は持ってる?」
「あ、ないです……」
「分かったわ。30シルでおねがい」
お金を置くと老婆はコクリと頷いて部屋の鍵を置いた。
「ホントすいません……!」
「良いの。気にしないで」
二階の一室に案内されたリンカは、ようやく腰を下ろした。
「はぁ……生き返る……」
カップの水をリンカは喉へ流し込んだ。
乾ききった喉が潤い、ようやく人心地ついた気がした。
部屋はベッドと机と洗面器があるだけの簡素な造り。
ミラリエは持っていたバッグを部屋の隅で広げる。
それを横目に見ていると、何に使うのか分からない物だらけだったが、重いことだけは分かった。
「お金、ありがとうございました」
「いえいえ、どういたしまして」
二人は落ち着いて向かい合った。
ミラリエは小さなポーチをゴソゴソといじると、包みをリンカに差し出した。
「あ、あの、これは~?」
リンカが戸惑いながら尋ねると、ミラリエは構わず包みをほどいた。
「昼ごはん。というより、食べ損ねた夜食かしら?」
黙って受けとって包みを開いた。
中には、茶色く乾いたパンと肉が入っていた。
「……固っ! これ、まさか石じゃないよね……?」
「ふふ、硬いと思うなら水に付けてふやかした方が良いわよ。無理やり食べて歯が欠けた奴を何人も見てきたわ」
ニヤリと笑うミラリエ。
何とも言えず苦笑しながら大人しく水でふやかす。
口の中でクチャクチャと音を立てるパンと、獣臭がすごいジャーキー。半分食べたぐらいから、えずきを必死でこらえながら噛みしめた。
――ハ、ハハハ。本当に、異世界……なんだ。
まさか食べ物で思い知らされるなんて。
(うぐっ! コンビニのパンとおにぎりって、神だったんだな……)
「ねぇ、リンカちゃん」
ジャーキーをかじりながらミラリエが切り出した。
「あなた、どこから来たの?」
「えっ……。そ、それは……その……」
答えを濁そうとして、リンカは口ごもった。
異世界から来た。なんて真顔で言えなかった。
「まぁ、無理に答えなくてもいいけどね」
彼女は目を細めてリンカの顔みる。
「じゃあさ、なんであんな場所にいたの? あの小屋は、元々あそこにあったかしら?」
「それは、たぶん……スキル、かな?」
「スキル……?」
「私、“マイホーム”っていうスキルがあって、それで家が出てきて……。まぁ、昨日みたいに壊されたわけだけど」
リンカは素直に答えた。
嘘をついても仕方ないし、ミラリエは命の恩人でもある。
「……ふぅん。スキルで家を出す、ね」
ミラリエは興味深そうに見ると、リンカに尋ねた。
「じゃあ、これからどうするの?」
「どうするって、言われても……」
リンカは手元のパンを見つめた。
「私、ここから、遥か遠くからやって来たばかりで……良く分かんないし……どうやって生きていけばいいかも、さっぱり……。お金もないし」
その声には不安が滲んでいた。
異世界で目覚め、スキルを頼りに家を出したら破壊され、命からがら逃げ延びて……。
未来のことなんて想像も出来ない。
「そっか」
ミラリエは短く返すと、窓の外に目を向けた。
それから二人の間には沈黙だけがあった。
日が傾き山吹色の光が村を静かに照らし始めた頃、
「じゃあさ、私が教えてあげよっか?」
ミラリエはそう言った。
「え、え?何をですか……?」
「決まってるじゃない。ここで生きる為のすべを……ね?」
思ってもみなかった提案にリンカは少し考える。
(もうっ! ホントミラリエさん神なんだけど!?)
ついでに、実は私、異世界からやってきたんです……。
と、言えたらどんだけ楽だっただろう。
でも今は……彼女の好意に甘えよう。
そして、いつか、この恩を何倍にもして返す!
リンカはそう思った。
「よ、よろしくお願いします」
「ふふ。ええ、こちらこそよろしくね」
ミラリエは優しく微笑んだ。
※
微かに差し込む朝日が、部屋の窓辺を優しく照らしている。
その光に当てられてもぞもぞと身を起こす。
「……ん、朝……」
リンカは大きく伸びをした。
隣で寝ているミラリエがぼんやりする視界に映った。
彼女を起こさないように、慎重にベッドから抜け出す。
ぼさぼさの髪を軽く整えて階段を下りた。
ロビーでは例の老婆が変わらず受付に座ってウトウト……。
「あの……顔洗える場所、ありますか?」
声をかけると老婆は片目を開き、「裏手に水桶がある」とだけ答えてまた目を閉じた。
宿の裏には大きめの桶があり、水が張られている。
顔を洗うと冷たい水が肌を引き締めた。
まるで現実だと言わんばかりに。
「……やっぱ夢じゃないんだよね」
寝る前にミラリエが言っていた言葉を思い出す。
『朝食は宿代に含まれてるから、ちゃんと食べてね』
(そういえば……。ごはん……)
期待してもいいの……?
昨日食べた石と肉。不安しかない。
起きているのか謎の老婆に朝食をお願いしようと戻ると、
「おはよう、リンカちゃん」
「お、おはようございます……」
気づいたミラリエがちらりと目を上げ、にこっと笑った。
(なんでけろっとした顔でそこに座ってるの……!?)
寝ていたはずなのに既に余裕の表情で席についている。
顔を洗ったばかりなのに目をこすって確かめる。
「ほれ、姉ちゃん達、朝食ができたよ」
朝食まで頼んでるし……。
やはり人間じゃないのかもしれない。
促されるままにリンカも席に着いた。
湯気の立った粥と、焦げ目のついた魚の切り身のような一皿。
質素な見た目だけど、香りは悪くない。
それどころかお腹に急かされる始末だ。
「……いただきます」
ひと口食べて、ほっと息をついた。
味は薄いけどあったかくて沁みる。
昨日のアレより100倍はマシだった。
(……美味しい)
良かった……ミラリエさんのアレが異常なだけだった。
綺麗に平らげて静かに息を吸った。
お腹も満たされて頭もスッキリしてきた。
余裕が生まれ、自然とこれからの『するべきこと』を思い浮かべる。
考えなきゃいけないことが山ほどあった。
そして、一つの結論に行きついた。
「まずは、お金……だよね」
さっそく、引きこもり生活が遠のいた瞬間だった。
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