屋上を、まもっている。
扇氏.shanshi
第1話 屋上にいる理由は
学校の4階からの高さは、どれぐらいあるのだろう。
フェンスに寄りかかったまま、すぐ下の光景を前にふとそんな事を考えた。この学校は町の真ん中にあり、周辺に山がないため風が心地よい程度に吹いている。フェンスが時々軋んで、その音がこの屋上の静けさを際立たせている気がした。
下には、学校の周りをぐるっと一周している、車一台分通れるほどのコンクリート舗装の道がある。頭の中で飛び降りてその硬そうな地面に着地するのを考えてみると、足がなんだかジーンとした…気がする。
俺はどれだけ暇なのだろう。
もう少しだけ目線を前にやると、大きな紅白の玉が、グラウンド上を転がっていた。あの大玉、横から見ると図体があってよいのだろうが、如何せん屋上から見るとなんとも迫力に欠ける。だから大玉よりも玉だ。
グラウンドでは数十のテントがトラックを囲んでいる。かなりの盛り上がりだ。さっきまではただの喧騒にすぎなかった歓声が、いざ体育祭の全貌を目に捉えると、その声の矛先が具現化された気がして、盛況に進化していた。
「あれ、赤組だけが自分たちの色の玉を運んでる」
盛況に一本、槍を刺すように鈴みたいな声が聞こえた。
「他の組は自分たちの色じゃない玉を運んで、士気に関わるんじゃないかな」
なぜかそいつは、学校の体育祭に「士気」なんて大層な概念を気に掛けていた。いや、それを大層というのは俺が体育祭に入り込めていないことの証明かもしれない。とにかく、彼女は丁度2分前の俺と同じ事を考えていた。
「そんなこと気にしてないだろ、別に」
俺は3m先の彼女を見ながら、そう言った。彼女は体操服の上からグレーの上着を羽織っており、俺と同じようにフェンスに寄りかかってグラウンドを見ていた。
なぜ彼女が、というか、なぜ俺が体育祭の真っ最中に校舎の屋上にいるのか、ということについての理由は、それは俺たちがお仕事中だからだ。俺たちの“お仕事”、それは得点掲示だ。
我が校の体育祭は4色の組に分かれたクラス対抗戦である。そしてそれぞれの組の得点は、この屋上にある得点掲示板に貼り出される。生徒はそれを見ながら今の状況を把握するのだ。しかし掲示されている得点はリアルタイムで反映される必要がある。それには、掲示板を付きっきりで管理する人間が必要になる、それが俺とこの彼女だという訳だ。
「しっかし今年は、この仕事にお前がいてくれて助かるよ」
「そういえば、去年の体育祭は、先輩が一人でやってたんでしたっけ?」
「あんときはまだ体力もなかったからなー。全身激痛で後夜祭なんてまともに楽しんでる暇も無かったわ」
「うへー…。私なら絶対バックレてますよ。」
「そこでほんとに逃げ出せるメンタルがあれば良かったんだけどな」
「部長としての責任感、ですか?」
「そんないいもんじゃない…けどそういうことにしといて」
ジジっとトランシーバーが鳴いた。向こうから連絡がある予兆だ。俺はトランシーバーのスピーカーを耳に近づけた。その音を聞いた彼女も、俺の方へたたっと走ってきて、俺の耳とトランシーバーを挟むように顔を近づける。
「『大玉転がし』の得点結果だ。赤組プラス50点、黄組プラス30点、緑組プラス10点、青は変動無しだ」
「あ、勝ってる、赤」
彼女が呟く。
俺は地面に置いていたメモ用のノートにそれぞれの加算点を書いた。
「繰り返すぞ?赤組プラス50点…」
機織先生が同じ内容を繰り返す。俺がノートを見て、報告と齟齬がないか確認する。
もう今日で10回は繰り返しているルーティンだ。ほぼパターン化されている。
メモとの相違がなかったので、今度はこっちから声を送る。
「了解です。貼り替えます」
「頼んだー」
と気の無い返事が返ってきた。
「じゃあ赤、変えますねー」
「頼んだ。50点な」
これもパターンだ。彼女が赤組と青組の得点を、俺が黄組と緑組の得点を貼り替えている。得点はグラウンドの向こう側からでも見える必要があるためかなり大きく、貼り替えはかなりの重労働なので、仕事は俺だけでいいと言ったのだが。
「いや、私します、その仕事」
と、彼女が言ってくれたので、遠慮せず手伝ってもらうことにした。去年のトラウマもあるし。
どうして彼女がこの仕事をしようと思ったのかは知らない。彼女は俺と違い、クラスの競技にも出るわけだから、そこまで体力を削っておくのもどうかと思っているのだが。
それでも彼女は目の前にいるのである。
軍手をつけ、得点が1桁ずつ書いてあるボードを取り外しながらそうぼんやりと思っていた。
すると急に、グラウンドの方から歓声があがった。俺が驚いてそちらを見てみると、
「うおー!よっしゃ!緑抜いたぞー!」
といった声が赤組のテントから聞こえてきていた。彼女の方を見たら、今まさに赤組の得点を貼り替えたらしく、赤組の掲示板に掴まったまま、目を大きく見開いていた。そしてすぐに、
「なんか、おもしろいですね?」
「やりがい感じた?」
「はい、けっこう」
そう言ってこちらを見てはにかんだ彼女の笑顔は、なににも遮られることなくそこにある青空と溶け合って、1枚の絵のように綺麗だった。まるで自分がプロのカメラマンになった気がした。
初めて会った時とは、また違う顔だった。
トランシーバーから機織先生の声が鳴る。
「岸山、三栗ってそっちいるか?」
「いますよ」
「大玉転がし終わったから、そろそろ降りてきたほうが良いんじゃないか?出るんだろ?障害物走」
「げっ…もうそんな時間?」
左腕の腕時計を見ると、確かに三栗が出場するらしい『障害物走』の集合時間が迫っていた。
彼女がこっちに来て、俺が持っているトランシーバーのボタンを勝手に押して、顔を近づけて言った。
「教えてくださって、ありがとうございまーす」
…
沈黙。
俺もなにか一言ぐらいは返ってくると思っていたが、よくよく考えると先生からしたらそんなに言うこともないかもしれない。
それはそうと、さっきから距離が近い…。これはその…なんか、なんだかよろしくないというかなんというか。
「ボタン押せてませんでしたかね?」
三栗がそんなこと気にしてないと言わんばかりに飄と話す。
「いや、押せてたと思う。別に言うことないんじゃない?」
「ほんの少しだけ寂しい」
「てか、集合時間くるぞ?お前は早く走ってパン食ってこい」
「私、犬ですか…!?」
「人間だと思ってる」
「私もです」
「早く行きなさい」
それを聞いた三栗は「はーい」と言い、羽織った上着をひらりとさせてターンし、屋上のドアへ向かっていく。
「今日は仕事手伝ってくれて助かったよ、ありがとう」
彼女は振り向いて、なにを言ってるんだ?という顔で言った。
「私、お昼屋上来ますからね?じゃ、熱中症とかもろもろお気をつけてー」
配慮もできるし、敬語も使えるのが三栗の良い所だ。というか最後になんか言ってたか?
彼女がクラスメイトと仲良くできているのか、親でもないのに気になってくる。
ガチャリ、とドアから重たい音がなって、屋上はまた静けさを取り戻した。
「まぁ、こっちとしてもなんとなく嬉しさはあるのだが」
そう言った瞬間にまた、ドアがカチャッと軽く開いた。びっくりしてそっちを見ると
「絶対勝つんで、赤組の得点ボード、スタンバっててください!」
そういって笑った三栗は、今度こそ屋上からいなくなった。
おもしろいやつだな、とつくづく思うと同時に、なぜ彼女はここを気に入ってくれているのだろうと思いを巡らす。
俺と三栗が、この仕事をしている理由は、俺たちが掃除同好会に所属しているからだった。
屋上を、まもっている。 扇氏.shanshi @yawara888
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