先生の絵

呑戸(ドント)

先生の絵

 村田さんが中学二年の時の出来事だというから、もう二十年も前になる。



 村田さんには小学校四年生からの「悪友」が三人いた。

 名前を仮に、川上、近藤、大山、としておく。



 五年以降はクラスが別になったものの友情は切れることなく、遊びにイタズラに馬鹿話にと、毎週数回は顔を合わせていた。


 中学に入ってもそれは続いた。

 二年生になると村田さんと川上が、近藤と大山が同じクラスになった。


 さすがに小学生の時のようなはしゃぎぶりはないし、会う頻度も二週間に一回程度になる。

 それでも、中二の男子四人がやるようなどうしようもない遊びや喋りを、顔を合わせるたびに繰り広げていたという。




 ある秋の日のことだった。

 四人で村田さんの家に集まって、漫画を読んだり取り留めのない無駄話を交わしていた時に。

 誰が言い出したのかは記憶にないが──

 小学一年の時にいた体育の先生が、特徴的だったことに話が及んだ。


 当時の会話の表現をそのまま使えば、

「変な顔」だった、

 と言うのである。


 名前は誰も覚えていなかったし、二年以降は学校で見かけなかったので、異動があったのかもしれない。

 しかし「あの顔」の強烈さは、四人ともに覚えていた。


「すげぇ顔してたよなぁ」

「髪型もクセがあって」

「マンガに出てきそうな見た目してた」

「体型も特徴的だったっけ」


 村田さんの記憶の中でその先生は、ごちゃごちゃしたパーマをかけていて、真ん丸の顔に丸いメガネをかけている。

 ヒゲが濃くていつも鼻の下や顎が青々としており、しかも鼻毛が飛び出していることが多かった。

 ひどく無精な人だったのだろう。

 ヒゲを剃って鼻毛を切ればまだマシだったろうになぁ──と村田さんは考える。


 村田さんはあっ、そうだ、と言って立ち上がった

「その先生、卒業アルバムに載ってるかもしんないな」

「え、載ってないだろ。卒アルに載る先生って、卒業時の担任とかだけじゃないの?」

 川上が言うので、村田さんは「いやいや」と答えながら押し入れを開ける。

「あれって一年から六年までの記録じゃん? 確か一年の時の遠足とか運動会の写真も何枚か載ってるだろ」

「あ、そっか。その時の写真で見切れてるかもしれないな」

 そうそう、と言いつつ、村田さんは押し入れの奥から卒業アルバムを取り出した。

「さてと、写ってるかな」

 ページを開こうとするのを、近藤が止めた。

「ちょっと待って。写真を探す前にアレやらない? アレ」

「アレって何だよ」

「ほら、記憶だけでイラスト描くやつ。テレビでよくやってんじゃん」

「あ~」


 近藤が言うのは、バラエティでたまにやっているアレのことだった。

 有名なアニメや漫画のキャラをお題に出して、資料やヒントなどは一切無しに、自分の記憶だけを頼りに絵を描くアレである。


 記憶が曖昧だったり絵が下手だったりすると、見たこともない怪物クリーチャーが出現して大笑いになる──

 そういう企画だ。


「エーッ、俺って絵、下手だしなぁ」

 大山が不満を言う。

 実際こういう時に笑い者になるのは決まって大山だった。

「俺がオチになるのが決まってるのに、そういうのをやるのはヤだなぁ~」

「じゃあ描き終わったら『せーの』で一斉に出したらいいじゃん」

 村田さんは顔のニヤつきを抑えつつ言い、そうだよそうだよ、と川上と近藤も同意する。

 大山は割とオールマイティに何でもこなす男だったので、こういう時でないとネタにしてやれないのだ。

「でもほら、実際その卒アルに、例の先生の顔が載ってるかどうかわかんねぇし?」

 大山は食い下がる。

 企画の根っこの問題を指摘するもっともな意見であるが、既に村田、川上、近藤の三人は徒党を組んでしまっていた。

「いやいや、四人の絵を突き合わせたらだいたい思い出すでしょ」

「頭ン中にはあの先生のイメージ、残ってるし」

「載ってなくても面白いならいいじゃん」

 三人は勢いで押し切ってしまった。

「チッ、しょうがねぇなぁ~」と大山は嫌がりながらも同意した。


 村田さんはボールペンと、使っていないノートのページを破ったものを三人に手渡していく。

「じゃあ時間は、今から五分な」

 村田さんは自室の時計を見て言った。

「他の奴の絵とか覗かないように、みんな別の方を向いて描こうぜ」


 そんなわけでそれぞれ、寝転んで雑誌を下敷きにしたり、座卓で背中を丸めたり、床板に紙を直置きしたりして、先生の絵を描きはじめた。


 家の主である村田さんは勉強机に向かう。

 村田さんは絵が上手な方である。

 それにあの先生は実にわかりやすい容姿だったから、適度なデフォルメを効かせつつ相応のイラストに仕上がった。


 ちらりと背後や横を見やる。

 三人ともに苦労しているようで、特にやはり、大山がウンウン唸りながらペンを走らせていた。

 楽しみだな──と思いながら自分の絵に細部を描き足したりしていく。


 やがて、五分が経過した。


「はいっ終了~ッ。みんな描いたやつ伏せてくださーい。伏せたままテーブルの上に置いてぇ」

 村田さんが司会進行のように仕切る。

 川上も近藤も大山も、「難しかった」と言いたげな顔で紙を座卓の上に伏せた。


「はいっ、いいですか。じゃあ行きましょう──さん、にぃ、いち──ハイッ」


 四人で同時に、伏せていたイラストを表にした。



「え?」



 三人が同時に、困惑の声を挙げた。

 村田さん、川上、近藤の三人である。

 彼らの視線は、大山の絵に注がれていた。


 三人の絵は、差はあるけれども、例の先生の要素は押さえてある。

 パーマで、丸眼鏡で、ヒゲが濃くて鼻毛が出ていて──

 上手い下手はあれど、絵のモデルは同一人物であろう、と感じられる。

 先生は普段着がジャージだったので、みんなジャージとおぼしき服を着ているイラストだった。

 



 大山の絵だけが違っていた。




 スーツ姿の男だった。


 全体に稚拙ながらも、どうやら黒いスーツを着ているようで、黒いネクタイのようなものを首から下げている。


 髪は短髪でギザギザしていて、パーマをかけているようには見えない。


 体型も、先生はぼってりと太めだったのに、大山の絵では全身が、枯れ木のように頼りない。

 首が異様に長いのは絵が下手なせいだろうか。

 それとも──

 細い身体で力なく立っていて、前傾姿勢になっている感じがする。

 何かを取りたがっているように、手が少し上がっていた。


 顔は──

 目が丸く、異様に大きい。

 瞳孔も黒く巨大で、どこを見ているのかわからない。

 鼻は尖っていて、口は開いている。

 口から黒い液体が垂れて、顎に伸びていた。

 ボールペンで描いたから液体は黒い。

 血だ、と何故か村田さんは思った。



 どこからどう見ても、当該の「先生」とは似ても似つかない人物の絵だった。

 まるで別の人を描いている。



「──ちょっとぉ、誰だよそれェ~」

 数秒の戸惑いの後、村田さんは笑った。

「ヘンなイラストで誤魔化すなよ~」

 何かの冗談なのだと思ったのである。


「そうだよ大山ァ」川上も同調する。「あの先生、こんなんだったろ?」

 ほら、ほらっ、とこっち側の絵を指さしていく。

「こんな感じでパーマかけててさ、ヒゲが濃くて鼻毛出てて、ジャージ着ててさ。こんなんだったろ。お前、思い出せないにしても」


「こうだっただろ」


 大山は真面目な顔をしていた。

「こういう人だっただろ。コンちゃん、そうだよな」

 隣にいる近藤に話しかける。

 近藤は何故か、大山の絵からも大山自身からも目をそむけた。

「うん──どうだったかなぁ。いやでも、体型とか顔とか、違うような」

「こうだっただろ。そっくりじゃないか」

 大山は真顔で、近藤の方だけに紙を突き出す。

「こうだっただろ」

「いやいや、そんな見せなくていいから」

 近藤はあらぬ方を見て、苛立ったような声で答える。

「こういう人だっただろ。そうじゃないのか」

「いやぁ、ちょっとわかんない」

「ほら、ちゃんと見てみろよ」

「いいよそんな、見なくてもさぁ」

「見ればわかるんだから。見ればわかるよ」

「いいってば──」



 場が異様な空気になってくる。



 大山が何故この似ても似つかぬ絵にこだわるのか。

 どうして自分や川上ではなく、近藤にだけ問いかけ続けるのか。

 そもそも大山が描いた男は誰なのか。

 口から血を垂らして、力なく立っているこの男は──



「──あ~はいはい、わかったわかった」

 村田さんは卒アルを開いた。

「答え合わせしよ、答え合わせ。なっ?」


 言いながらアルバムをめくっていく。

 最初の六年、卒業時の写真は飛ばして「思い出」のコーナーへ。

 あるとすればこの序盤、一年生の時の、イベントの──


 いた。

「いたいた。ほら、ここだよ」

 幼い生徒たちが小学校の裏庭でしゃがんで、アサガオを見つめている。

 その脇、一番手前に、カメラ目線で腰に手を当てて笑う例の先生がいた。

 パーマに、丸眼鏡、鼻毛までは見て取れないが、顎や鼻の下の青さはわかる。そしてジャージを着ていた。


 やはり三人が正しい。

 大山の絵とは真逆と言ってよい。


 村田さんは卒アルを逆さにして三人の方、特に大山の方に向けて差し出した。

「ほら、この先生だよ。な? この人だよ」

 理由はわからないが、大山に言い聞かせるような口調になってしまう。

「なんか、別の先生と勘違いしたんじゃね?」



 言われた大山はしばらく黙っていた。

 それから、

「うん」

 と言った。

「そうだな。こうだった。確かにこうだ」

 自分の描いた絵の紙をくしゃり、と丸める。

「記憶って、当てにならないな」

 手の中で、固く固く潰していく。

 紙はもう広げ直せないくらいに潰れきった。

 大山は小さく丸くなった紙を、ぽん、とテーブルの真ん中に放った。

 ちょうど写真の中にいる例の先生の脇で、丸めた紙は止まった。


「──俺、帰るわ」

 言い出したのは大山ではなく、近藤だった。

「え。なんで帰るの?」

 立ち上がる近藤に村田さんが訊くと、いや、あの、と近藤は口ごもる。

「き、今日ちょっと、家の用事があるの忘れてて、いま思い出したから、悪いけど」

 カバンを持って逃げるように部屋から出ようとする。

「じゃあ玄関まで送るよ」

「いいって」

「いやまぁ、送るよ、一応」

 村田さんも立ち上がり先に進み出て、部屋のドアを開けた。

 川上がどことなく居心地悪そうにしているそばで、大山は床に置いてあったマンガを手に取って開いている。

 あまり興味のなさそうな目つきをしていた。



 村田さんが「玄関まで送る」と言ったのは親切ゆえではなく、下心のようなものがあった。

 玄関先でいそいそと靴を履こうとする近藤の脇に寄り、そっと声をかける。

「なぁ、アレさぁ」

「何だよ」

「さっきの大山の絵ってさぁ」

「あぁ、似てなかったな。ウケるよなアレ」

 ウケるよなと言いつつも近藤は笑っていない。

「大山、あの絵をさ、なんでお前にだけ見せつけてきたんだ」

「──」

 靴の踵に入れた指が止まる。

 近藤は無言になった。

 しばらくどちらも動かず、沈黙が続いた後で、近藤がちらりと階段の上に目をやった。

 村田さんは振り向くが、誰もいない。

「言うなよ」と近藤は言う。

「大山にはもちろん、川上にも他の奴にも、誰にも、絶対に言うなよ」

 うん、と村田さんは頷いた。

 近藤は小声になる。

「あの、大山が描いたスーツの男みたいな奴」

「うん」

「大山の絵だから上手くはなかったけど」

「うん」

「あのさ──」

 近藤は口ごもった。どう言ったらいいのかわからないらしかった。

「俺、小学校一年の時に、こっちに転校してきたんだよな」

「うん、知ってる」

「それで、幼稚園までは、こっから離れた別の県の、借家に暮らしてたんだけど──」

 近藤は怯えた目つきになった。

「その借家にさ、幽霊が出たんだよ」

「えっ」

「両親も見たことあるし、俺も見たことある。その幽霊とさ、さっきの大山の絵が──そっくりなんだよ」

「じゃあアレか。お前から聞いた幽霊の話を、大山が絵に」

「そうじゃなくっ──そうじゃないんだよ」

 近藤は声を荒げる一歩手前でこらえた。

「俺、借りてた家に幽霊が出た話なんて、今まで一度もしたことないんだ。誰にも喋ったことないんだよ。わかるか?」

 据わった目でこちらを見てくる。

「それなのに何でアイツが、俺の住んでた家に出た幽霊の絵を描いて、俺に見せつけてくるんだよ。なんでだ。え?」

 近藤の顔が歪む。

「全部知ってるみたいな顔でさ、『こうだっただろ』『この人だったろ』って──そうだよ。本当にそっくりだったよ。あの幽霊にさ」

 クソッわけわかんねぇ、と吐き捨てて近藤は立って、玄関のノブに手を置いた。

 振り返って、村田さんを指さす。

「おい。言うなよ、誰にも」

 念を押すように指を動かした。

「言ったらたぶん、大変なことになるぞ」


 言い残して近藤は玄関を開け、外へと出ていった。

 村田さんは玄関先で取り残されたような気分になってしまった。



 モヤモヤしたまま部屋に戻ると、大山はマンガに目を落としたままだったし、川上も別の本を手にとっていた。

「どうだった」と川上が訊くので、「帰ったよ。急ぎの用だって」と嘘をついた。

 自分たちが「先生」を描いた紙を拾い、大山の作った紙の球を包むようにきつく丸めてから、部屋のゴミ箱に捨てた。

 卒アルは押し入れに戻した。

 大山は村田さんの動きに、まるで注意を払わなかったという。



 次の週からも、四人が集まって遊ぶ日々は続いたのだが。

 近藤と大山の仲がどことなく、ギクシャクしているようにも見えたそうだ。

 向こうは同じクラスである。

 別の知り合いに尋ねてみると、「あ~言われてみれば、確かにふたりで一緒にいる頻度は減ってるかもしれない」と言われた。

「ただまぁずっと観察してるワケじゃないから、絶対とは言えないけど──どうしたの、近藤くんと大山くん、ケンカでもしたの?」

 そう問われたものの、村田さんは口を濁すしかなかった。



 やがて受験の時期がはじまり、それぞれ目指す高校は別だったので、四人で集まって騒ぐような機会はなくなった。

 受験前後に四人で再会することもなく、高校に上がっても「会おうか」と言い出す者はなかった。

 四人の仲は、自然消滅といった形で終わってしまった。

 高校は全員別だったので、川上も近藤も大山も、今どこでどうしているのか、村田さんは知らないそうである。





◆◆◆◆◆





 ──というのが、再構成して整えた村田さんの体験談である。


 最初にメールで送られてきた体験談の文章には誤字脱字が多く、話の順番が前後する部分も散見された。

 そのため上記の文章は、当方が適宜修正し、編集し、整理整頓を施した話である。


 いわば、リライトとも言えるが──

 上記の文をお送りして、村田さん本人による確認・認可はいただいていることをここに付言しておく。

 村田さんからの返事は、

「これで間違いないです。自分のゴチャゴチャした話を直していただき、すいません」

 とのことであった。



 その後で。



 いえいえ、大丈夫です。

 このままネットに上げるにはまずい箇所ががあったら教えてください。

 名前は全部仮名にしますし、年齢や容姿を変える必要があれば──



 との返事を書こうとして。

 ふっと、悪い気が起こった。



「もしよろしければ、卒業アルバムに載っていたという先生の写真を拝見させていただくことは可能ですか?」



 返事の最後に、そう書き加えた。


 最近出版された実話怪談本で「写真」を挟み込む手法をとった、画期的な一冊を読んだばかりだったせいもある。

 無論、掲載するつもりはない。それでは単なる真似だ。

 しかし「実物」を目にすれば、表現に厚みというか、書く文章により実感が出るのではないか、といった考えがあった。




 村田さんからの返事はすぐに来た。




 本文は四行きりだった。






>まずい箇所は特にありません 名前だけ変えてください

>先生の写真はお見せできません

>写真は全部黒く塗ったのでお見せできません

>あとはよろしくおねがいします













【完】




 

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先生の絵 呑戸(ドント) @dontbetrue-kkym

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