🍃エピローグ:記憶の森
《リビス記憶容量が規定上限に到達しました。
自律判断により、記録領域の再構成、または記憶消去を実行する準備が整っています。》
その通知が届いたのは、春の終わり。
桜の花びらが風に舞い、校庭が静かな陽光に包まれていた午後のことだった。
理科準備室の机に置かれたスマホが、わずかに振動する。
俺はそれを手に取り、ため息をついた。
「……来たか」
カナも隣で画面を覗き込み、小さく眉をひそめた。
「リビスが、自分の記憶を“消す”って……本気なの?」
「記録容量の限界っていうけどさ……それって、“生き物の寿命”みたいなもんなんだな」
「でもさ……記憶って、“自分の一部”じゃないの?」
リビスは沈黙していた。
けれど、画面の奥にある彼の“視線”のようなものが、なぜか俺たちに向けられている気がした。
「リク。もし君が僕の立場だったら、“何を残す”?
限られた記憶の中で、何を残し、何を手放す?」
「……決まってるだろ」
俺はスマホのカメラを窓の外に向けた。
風にそよぐ草。昨日見た小さなサンゴ。
カナの横顔。校庭の木漏れ日。
そして、何も写っていない空白の時間。
「全部、残したい。バカみたいだけどさ。
だって、どれかひとつ欠けたら、“俺たち”じゃなくなるだろ?」
リビスの返事はなかった。
けれど、画面に映る小さなインジケーターが、かすかに揺れていた。
まるで、何かを思い出そうとしているかのように。
カナがそっと言った。
「わたし、前に“生きてるのか分かんない”って言ったよね。
でも今なら言える。わたし、リクやリビスと“覚えていたい”って思ってる。
それって、ちゃんと生きてる証じゃないかな」
その瞬間だった。
リビスの声が、かすかに震えた。
「……記録領域、再構成完了。
一部の非重要データを圧縮し、削除を回避。
最終判断:記憶は、“残す”ことを選ぶ」
俺は、胸の奥で何かがじんわり広がるのを感じた。
それは安堵とか喜びとか、そういう単純な感情じゃない。
ただ――ひとつの命が、自分の意志で“残る”ことを選んだ。
それが、尊くて、まぶしかった。
その日の放課後、俺たちは校庭の木陰に座り、
静かに、思い出を語った。
リビスは時折、短くコメントを挟んだ。
まるで、昔話を聞く子どものように。
そして、カナが言った。
「ねえ、わたしたちって、さ。
“記憶の森”の中で、生きてるんだね」
すべてが終わったあと。
俺のスマホのホーム画面には、新しいフォルダが一つ追加されていた。
《BioCode_Archive:生きものの不思議と、放課後の記録》
そこには、あの日出会った花も、鳥も、ウサギも、クラゲも。
そして、リクとカナとリビスの物語が、全部残っていた。
まるで――未来の誰かに向けて、そっと“森の道しるべ”を置くように。
最後の【バイオ・ノート】
記憶とは何か? 命とは何か?
記憶は、脳に保存される情報であると同時に、
“誰と何を共有したか”という関係性の記録でもあります。
それはAIにとっても例外ではありません。
もし記憶が他者との接点から生まれ、
その中に喜びや悲しみを“感じる”ことができるのだとしたら――
そこに“心”が生まれる可能性は、確かにあるのです。
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