小さな白い詩織の手

馬村 ありん

小さな白い詩織の手

 誰もふれていないのに、廃タイヤのホイールがへしゃげる。まるでティッシュペーパーのようにその形を変えていく。詩織の超能力を目の当たりにして、僕と健は歓声をあげた。

「どうやったらそんな力が使えるようになるんだ?」

 人気のない河原に僕の声が響き渡った。

「生まれつきだから……」

 突き出した小さな白い手を引きもどし、眉根をよせて詩織は言った。

「いいなあ。うらやましい」

 健が言った。

「……そうかな」

 詩織はうつむいて、長い髪の中に小さな顔を隠した。その細い髪が夕日にきらめく。

「俺なら絶対誰かに自慢するよ。六年の岩田のことバキバキにしてやるのにな。武もそう思うだろ」

 健は言った。

「それこそあいつだよ。『マニキュアの殺人鬼』だって殺せるんじゃないか?」

「確かにそうだな。詩織、やっつけに行こうぜ!」


「……誰それ?」

 詩織がそう言ったものだから、僕は呆れた。

「知らないの? 何のために集団下校になったと思ってんだよ。先生から話あったろ」

「私、学校に行ってないから……」

 前髪に隠されたつぶらな瞳がうるんだ。

「詩織の家は家庭教師を雇ってるんだよな。父ちゃんが医者で金持ちなんだろ。一日家にいたら『笑っていいとも』も見れるよな。羨ましい」

 健は目を輝かせた。

「なにそれ?」

 詩織はたずねた。


「そんなことより、『マニキュアの殺人鬼』だよ」

 僕は説明した。

 僕らの暮らす青前町では、子供を狙った連続殺人が起きていた。いずれも絞殺によるもので、塾帰りなど遅い時間を歩いている子供が狙われた。上は十四歳、下は十歳まで男女合わせて四人の子供が犠牲になった。

 犯人は一度だけしくじったことがある。殺そうとした子どもを逃がしてしまったのだ。それで、白いコートを着て、その手に赤いマニキュアを塗っていたことが子どもの証言から明らかになった。

 以来、『マニキュアの殺人鬼』と呼ばれている。


「集団下校になったのもそのせいなんだよ。お迎えが来てみんな家に帰ったぜ」

 じゃあ、僕と健はなぜここにいるのかということになるが、それは両者の親とも放任主義だったことによる――今の言葉で言えば、ネグレクトというやつだ。

 それなら詩織の家もそうなのかということになるが……そういうことだと思ってくれていい。

「僕たちは、ここで殺人鬼をやっつけるための武器を探してたんだよ」

「そうそう。形のいい流木が落ちてないか。あと硬い石はないかとかね」

 そうして、この河原にやってきた時、詩織と出会ったというわけだ。詩織の手の中で拳大の石が粉々に砕けるのをみた。僕と健は詩織にかけより、木片とか空き缶とか手当たり次第に破壊させては大喜びした。その後、三人で話をして、健とは幼なじみで、僕とは同じ五年生であることがわかった。


「それじゃあ、今夜駅に集合な。殺人鬼をぶっ倒そうぜ」

 健は言った。

「詩織は夜これる?」

「大丈夫だと思う。お父さん夜いつも遅いから。お仕事してるの」

「決まりだな」


 時刻を迎えた。リビングからはテレビの音声と母親の話し声が聞こえてくる。薄暗い廊下からリビングに視線をやると、母親は電話機を膝の上にのせて、熱心に話をしていた。母親はテレビを見ながら友人と電話をするのをこよなく愛する。

 音を立てないように僕は玄関でスニーカーを履いた。

「ちょっと武どこ行くの」

 母親の声がした。慌てて振り向くと、受話口を片手に母親がこちらに視線を向けていた。

「健のところ」

「ふうん」

 母親は通話を再開させた。安堵の息をついて、僕は玄関のドアを開いた。


 五月だというのに、夜は寒かった。僕と健はパーカーだけの薄着。詩織は白いピーコートを着ていた。

 僕たちはさっそく殺人鬼を呼び寄せることにした。

 僕は囮だ。裏通りをぶらぶら歩き、犯人を引き寄せる。少し離れたところから二人が見守る。犯人が近づいてきたら詩織が攻撃する。


 しばらくは何も起きなかった。そもそも出会える保証もないのだ。しかし、三十分ほど経った頃だろうか。パチンコ屋の駐車場にいたとき、何者かが僕の背後に姿を現した。ちらと視線を走らせた。

 背の高い男だった。キャップを被り、全身をロングコートが覆っていた。そして何より、その手にあるマニキュアの赤い色が目立っていた。

 ――殺人鬼だ。

 両手が僕の首に伸びてきた。男の細い目が歪む。

「詩織はやく!」

「詩織?」

 その時犯人の声を聞いた。か細い声で、いささか震えていた。

 次の瞬間、男の巨体がアスファルトの地面に倒れた。天を仰ぐその顔面は蒼白で、両目はカッと見開いていた。

「お父さん⁉︎」

 悲鳴が上がった。

 詩織からだった。

 僕と健は顔を見合わせ、それから詩織を見た。詩織は父の亡骸を前に泣いていた。

「そんな……嫌だ……お父さん」


 僕と健は逃げ出した。自分たちの犯した罪の重さに耐えきれなかったのである。その後、詩織と二度と会うことはなかった。このことは二度と話題に出ることはなかった。大人になった今でも、暗い思い出として記憶の隅にある。

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