シンボリック8





「らかんちゃん、エースやってよ」

「え」

 体育祭当日、同じバレーボールチームになった坪田さんにそう言われ、わたしは硬直した。なんで、と言うと、「だってらかんちゃんは背も高いし、運動神経もいいから」と坪田さんは言った。

「あんたたちも文句ないでしょう?」と坪田さんが尋ねると、急に矛先を向けられたチームの男子たちは慌てながらも頷く。

「でも、わたしバレーボールなんかまともにやったことないよ、体育の授業くらい」

「いいのよ。バレー部がいないから、上手ならかんちゃんの力が必要なの」

 小林くんもそう思うよね? と坪田さんは振り返る。小林くん、という言葉に胸がひゅっと鳴る。振り返ると目が合った。色黒で目が大きく、目尻の垂れた小林くん。

「おれも、恩田がいいと思う」

「やっぱり! 小林くんもそう思ってたんだ! なららかんちゃん、やってくれるよね?」

 しぶしぶ頷いて承諾した。もう、なんで登校しちゃったんだろう。体育祭など休んでしまおうと思っていたのに。えっらかんちゃん、体育祭なのー? とっても楽しみじゃん! とはしゃいだ母に髪を(無理やり)編み込まれ、背中を押されてしぶしぶ来たのはいいものの、面倒なことになったなあと思う。坪田さんと小林くんは笑い合い、他のみんなも頑張れよと声をかけてくる。小林くんは横顔も母に似ている。わたしはそれを気づかれないようにそっと見つめる。

「らかんちゃんナイスアタック!」

 それほど飛ばずにアタックできるのはわたしの身長がひょろりと高いから。母はわたしよりもずっと小さい。父の背が高かったのだろうか。身体を動かすことは好きだ。自分の身体が自分の思い通りに動くことがたのしい。ゲームみたいだもの。わたしは坪田さんからのトスを受けて何度も点を決める。点を決めては、さりげなく小林くんを振り返る。小林くんはわたしのことを見て、「恩田、ナイス」と笑う。小林くんに笑いかけられると、なぜだかわたしはうまく笑えなくなる。

 後衛に回ると、小林くんを後ろから眺める形になった。身長は稲葉と同じくらいだろうか。けれど稲葉よりも細身である。肩甲骨が浮き出ていた。小林くんはやわらかくトスをあげる。穏やかな表情。どうしてこんなに小林くんから目が離せないのだろう。小林くんとは深く話したこともない。ただ、顔の造形が母と似ているというだけで。恩田、ナイス。小林くんの先程の言葉が胸に残る。恩田。わたしの名前。恩田らかん。らかんって、呼んでほしい。小林くんにはらかんって、呼んでほしい。

「らかん! 危ない!」

 隣のコートからバレーボールが飛んできて顔面に直撃した。痛い、と顔を押さえたとたん、つうっと生ぬるい血が鼻から垂れてきた。坪田さんが駆け寄ってきてわたしの肩を抱える。小林くんに見られていること、小林くんのことを考えていて周りが見えていなかったことにわたしは赤面し、顔を手でおさえた。

「大丈夫?らかんちゃん」

「すごい音したね」

「保健室行った方がいいんじゃない?」

 女の子たちに囲まれ、わたしはまた赤面する。大事にされたくなくて。

「大したことない、洗い流してくる」

 そう言って鼻をおさえながら下を向いてコートを後にする。ついていくと言い張る坪田さんを制してわたしは体育館から出ようとする。

「本当に、大丈夫だから。試合を続けて」

「でも。誰かついていかないと。そうだ、小林くん行ってよ」

 なぜ!? わたしは坪田さんを見上げる。坪田さんはなぜかわたしに笑いかける。顔を赤らめて小林くんを見ると、ふたたび大きな瞳とぶつかった。

「恩田、おれ…」

「いいって。小林くんも戦力なんだからそこにいて。ほんとに、大丈夫だから」

 鼻の痛みと、大丈夫だから、という自分の言葉に少し涙が滲みそうになった。大丈夫?という言葉を使われると、いつもなぜだか泣きそうになってしまう。自分が可哀想な人間であるような気持ちになってしまう。大丈夫、と言い聞かせてきた人生だからだろうか。そんな大袈裟な。

 結 みんなを振り切りながらわたしは歩き出す。そっと後ろを見ると、小林くんがこちらを見ていた。小林くんは頷いたので、わたしも頷く。なんだかそれだけで少し痛みが引いたような気がしてくる。


「おまえ派手にやったな、面白いわ」

 からかうような顔でうろうろしてくる稲葉をわたしは見下ろす。蛇口を閉めて、濡らしたタオルを鼻に当てる。

「見に来てくれていたの?」

「ちげーよ!」と稲葉は大きな声で否定する。おれんクラスも試合だったから応援しに来たの。稲葉はそう言ってわたしの目を覗き込んだ。黒い瞳。小林くんとは違う瞳。

「なあ、おまえ好きな男とかいんの」

「……あのさ、わたし鼻血出してるの。急に来て聞くことじゃないでしょう、それ」

「あいつだろ、陸上部の」

「誰のこと言ってるの」

「とぼけんなよ」

 わたしが歩き出しても稲葉はぴょんぴょんついてくる。ついてこないでよ、と言ってもついてくる。体育館に戻ると、試合が終わった坪田さんたちが駆け寄ってくる。らかんちゃん、大丈夫だった? 心配かけてごめん、とわたしは言う。稲葉だけがむっつりと黙っている。奥の方でこちらを見つめる小林くんと目が合った。

「恩田、大丈夫か」と小林くん。

「大丈夫」少しうつむいて、わたしは言う。

「……でも痛かった」

「痛かったな」小林くんは笑った。

 体育祭は滞りなく終わった。わたしたちのチームはそこそこいい順番まで行った。準優勝。バレーボールチームは賞状をもらった。坪田さんが写真を撮ろうと提案して、みんなで撮った。小林くんとの初めての写真だった。


「わあ、らかんちゃんかわいい!」

 帰宅後、写真を見せると母は感嘆した。やっぱり行ってよかったでしょう!ねえ。わたしは頷く。

「たまにはいいかな、こういうのも」

「かわいくしていったかいがあったねえ」

 のんびりと母は言った。わたしもゆっくりと頷く。小林くんのうなじを思い出す。少しだけ甘やかな気持ちになるのを慌てて打ち消した。楽しい日だった。

 

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