妖怪 庇借り

青月 日日

第1話

    出会い


 私は雷渡(らいと)大学生をしている

 午後四時を少し過ぎたころ、講義の帰り道で急な雨に降られた。


「ピカッ、ドカーン」

 

 公園の方に雷が落ちたようだ。


 公園を横切ると、生臭いにおいがしてアーチのオブジェが壊れかけていた。

 ブランコの方を見ると、小さな影が立っているのが見える。


 子供だった。

 

 傘もささず、服はびしょ濡れ。両腕を抱え、じっと震えていた。

 手に何かを握りしめているようだ。


「どうした? 迷子か?」と声をかけると、子供はゆっくりと顔を上げた。


 青白い肌。黒目がちの、どこか遠くを見ているような瞳。

 一瞬、ぞくりとしたが、目を逸らすことができなかった。


 口が小さく動き、掠れた声が漏れる。


「……おうちの庇(ひさし)かして……」


 不意に背筋が寒くなった。

 けれど、悪寒を振り払うように傘を差し出すと、子供は黙ってその中に入ってきた。


 手に握りしめていたのは、古びた懐中時計だった。

 金属はところどころ錆び、針は午後四時一分を指したまま、ぴたりと止まっていた。


 通り雨のようだったので、雨が止むまで、その子を家に入れてあげることにした。


 ドアを開け子供を家に入れるとき、うつむき加減の顔がニヤッと笑ったような気がした。


 暫くすると、雨が上がったので、子供に教えてあげようとすると子供の姿はもうどこにもなかった。


 自分のうちに帰ったのだろうと思い、さほど気にしなかった。


 その晩から、奇妙なことが始まった。


 誰もいないのにカーテンがゆれたり、視界の隅を影がよこぎったり、まるで子供が遊んでいる様だった。


 夜中、目を覚ますと、暗闇に薄く透けた子供の顔がこちらをのぞき込んでいた。

 昼間の子供の顔であった。


「うわぁ」

 

 叫ぶと子供の姿は消えていた。


 朝になると、体に重りをつけられたように動けなかった。

 吐き気と倦怠感、目の奥にじくじくした痛み――。

 日に日に、体調は悪化していった。


 それとは反対に、影だったものが、徐々にはっきりしだし、ついに、公園にいた子供の姿になった。

 子供は、部屋の中をわがもの顔で歩き回り、テレビを見たり、昼寝をしたり好き放題。

 雷渡の体調が悪くなればなるほど、子供は元気になっていった。


 三日目の夜、夢の中で誰かが囁いた。


「――――かえすのだ。」


 濡れたような声。

耳元にまとわりつき、離れない。


「――――かえすのだ。」


「―――をかえすのだ。」


「とけいをかえすのだ。」


 夢に老紳士が現れ、

 飛び起きると、窓の外にうっすらと白い影が見えた。

 影は公園の方角へ消えていった。


「時計?子供が持っていた古びた懐中時計のことか?」



    封印をした者


 雨の日が続いた。

 体はますます衰弱し、大学へ行く力さえ失われていった。


 あの子供の行動は更にエスカレート。

 お菓子を食べ、ジュースを飲み、遊び疲れて昼寝をしていた。


 ふと見ると、子供のポケットから、あの“古びた懐中時計”がこぼれ落ちていた。


 何故か、古びた懐中時計を公園へもっていかなければいけないような気がした。

 懐中時計を見ると午後四時一分を指したままである。

 ストックしていた食料を子供に食べつくされて仕方なく近くのスーパーに向かう

 濡れた舗道を歩き、いつも通り公園脇を横きる。


 壊れかけたアーチの下に、白い影が立っていた。


 骨のように細く、透き通った老紳士――霊のような存在だった。

 声は口を動かさず、直接頭に響いた。


「……そやつは、庇借り(ひさしがり)。人の家の庇(ひさし)を借り、その家の人の生気を吸う妖怪だ。」


 老紳士は静かに、雷渡の眉間を指差した。

 あの懐中時計が脳裏に浮かび上がる。

「その時計は、わしが作った庇借りを封印する鍵だ。」

「雷が落ちたすきに、奴に盗まれてしまった。」

「7m以内でリューズを押せば、庇借りを縛りつけることが出来る。」

「だが、これでは、封印は不十分じゃ」


「完全に奴を封印するには公園のアーチで、わしに“かえす”のだ。」


 老紳士の輪郭が、雨に滲んで揺れた。

 あの「かえすのだ」という声――

 それは、庇(ひさし)借りに蝕まれながらも、懐中時計を守ろうとしていた霊能力者の精神体の叫びだったのだ。

 雷渡は、重い決意を感じながら「懐中時計をかえす」とつぶやいた。



    時計を奪う


 家に戻ると、遊び疲れたのか、庇借りは昼寝をしていた。


 あの子供――いや、庇借りは、人の形が崩れ始めていた。

 影が滲み、黒い煙のように揺れている。


 ふと見ると、庇借りのポケットから懐中時計がこぼれ落ちていた。

 雷渡は無意識に懐中時計を拾い上げる。

 庇借りがめをさました。

 雷渡の手に懐中時計が握られているのを見ると鬼のような形相で


 「とけいをかえせぇーっ」


 庇借りが跳びかかる。

 ぎりぎりで庇借りをかわせた。

 庇借りから滲み出た黒い煙が辺りを覆っていく

 喉をふさぐような圧迫感。

 目の前が滲む。


 それでも、必死にリューズを押し込んだ。


 カチリ――。


 針が微かに跳ね、午後四時を指す。


 途端に、庇借りの動きが鈍った。


「今しかない……!」


 重い体を必死に動かし、胸のポケットに懐中時計を押し込み、雷渡は玄関へ走った。

 背後で影が呻き声を上げ、追いかけ来る。

 だが時計に縛られているせいか、早くは動けないようだ。


 外は急ににか雨が降りはじめていた。

 通り雨なのか、何故か今は妙に心強かった。


 ずぶ濡れになりながら、公園へと走る。


 アーチを見上げつと、あの老紳士が白くかすんで、静かに待っている。

 手のひらをこちらに向け、差し出して。


――あと少し。


 胸ポケットの中で、懐中時計がかすかに震えていた。



    封印・虹と別れ


 公園の中央、錆びたブランコの前で立ち止まる。

 老紳士が、静かに手を差し伸べていた。


 雷渡は、震える指で懐中時計を取り出す。

 冷たく湿った金属の感触に、意を決して時計を突き出した。


「――かえすよ。」


 その一言が、闇に吸い込まれていく。


 時計に触れた瞬間、公園の空気が一変した。

 地を這うような呻き声。

 黒い影――庇借りが、時計へと吸い込まれていく。


 恐怖、憎しみ、妬み……さまざまな感情が、渦巻きながら。


 やがて、すべては静まり返った。


 閉じた懐中時計を抱えた老紳士は、ふわりと微笑んだ。


「ありがとう。」


 その声は、もう震えていなかった。


 雲間から光が差し込む。

 雨はいつの間にかやみ、空には淡い虹がかかっていた。


 雷渡は、立ち尽くしてそれを見上げた。

 身体中の力が抜け、ゆっくりと膝をつく。


 老紳士は、懐中時計を胸に抱えたまま、虹の彼方へと消えていった。

 まるで、永い永い旅を終えたかのように。


 静かな風が、頬を撫でる。


 左手で雨を拭うと、腕時計の小さな音きこえる

 文字盤を見ると

 生きた証のように、午後四時一分を指して動いていた。

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妖怪 庇借り 青月 日日 @aotuki_hibi

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