左手は、添えるだけへの応援コメント
なるほどな論理だと思いました。
わかりやすかったです!
ところで、女性の場合、他人に相談した段階で意思は決まっていると言いますね。
AとBどっちがいい?って訊くけど、心ではAと決めている。
だからAもBも否定されたら怒ります。彼女はAを否定される事が嫌なのです。
左利きの場合、右手は添えるだけになるのですか?
作者からの返信
七月七日-フヅキナノカさん
仰る通りの傾向は間違いなくありますね。
が、100のうち100がそうとは限りませんので、男女問わず使える場面があります。
また、あくまで私の場合、社会的役割、使命は「相談者に対し、相談者の精神状態思考状態を自覚させること」や「相談者の視野を広げること」ですので、怒ろうと怒るまいと、共感を度外視した建設的議論的反応を優先します。私に相談を持ちかける時点で、それはそういうものだ、と思うようにしています。それが私の価値です。
もちろん例外はあります。本論内では書ききれていませんが、相談事のジャンルや、相談者──被相談者の関係値によっては、この助言論を実践せずに完全共感軸の聞き手に回ることもあります。
本音では、「自分の中で決断が確固としているのに他人様に相談を持ちかけるのは、その他人の時間をただ奪っている場合もあるが、その自覚はないのかね?」と思ったりもします。
また、相談者の立場があまりに不明瞭な場合は、野暮とはわかりつつも、「あなたはただ聞いて欲しいだけ、共感を求めているのだけ、既に答えは決まっているのか、あるいは他者の視点を求めてこうして相談するのか、どっちだ?」とストレートに聞くのも無しではないと思います。
相談者は、他人に相談する時点で、あらゆるタイプの反応がある、つまりは相談者にとって気持ちのいい反応が必ずしも得られるとは限らない、という覚悟の上で、身の上を曝け出さねばありません。でなければただの傲慢、時間泥棒になってしまいます。究極的には「ただ聞いて欲しいだけならAIに聞かせろ」です。
まぁ、論なんて大袈裟に言いつつ、実際の助言の現場では、私は何も考えません。本能でその時々の然るべき対応をします。
「あなただから、聞いてほしい」というエモな要素を組み取れる場合は、全ての論理を放棄して、寄り添う、ことだってあります。
左利きの場合、右手は添えるだけになるのですか?
→鏡に映せば左手も右手になりますので、各々に合ったお好きな手を添えてください。
そしておかえりなさい😉
また会えて嬉しいです、長文がそれを証明しています。
左手は、添えるだけへの応援コメント
追い詰められて焦っている🐏💦がよかったです。
作者からの返信
ヤマシタ アキヒロさん
コメントを、ありがとうございます。合掌🙏
時に人は、追い詰められて何かブレイクスルーを起こさねばならぬことが、あると思います。