第3話 孤高の才女

静かだった。

この教室にいても、誰の声も、自分には届かない。


——白雪理央は、そんな空間に慣れていた。


「ねえ理央ちゃん、今度のテスト、また満点取るんでしょ?」

「すごーい! 理央ちゃんに教えてほしいな〜」


笑顔を浮かべて近づいてくるクラスメイトたち。

けれど、その瞳にあるのは“敬意”ではなかった。

――媚び、憧れ、あるいは、距離。


彼女たちの言葉に理央が笑顔を返すことはない。

必要最低限の対応だけでやり過ごす。

それが彼女の“日常”だった。


「……また、ひとりだね」


放課後。誰もいない教室で、理央は独り言のように呟く。

誰かと深く関われば、感情が揺れる。

それが面倒だった。

完璧であることは、孤独と表裏一体だと、理央は理解していた。


けれど――最近、少しだけ視線が向く先があった。


天城悠真。


地味で、無能で、空気のような存在。

誰とも話さず、授業中も淡々とノートを取っている。

けれど、その“気配の薄さ”が、逆に妙に引っかかった。


(どうして、彼だけが……私に似てる?)


ある日、何気なく見た数式の途中式。

解き方が、理央自身とほとんど同じだった。

その時、彼女の中で何かがわずかに揺れた。


(偶然……じゃない)


ただの成績上位者なら気づかないで済む違和感。

けれど理央は知っていた。

彼の中に、確かな“理屈”と“構築された思考”があることを。


「……隠してるのね。自分の力を」


それは、理央が誰よりも知っていた“選択”だった。


かつて、理央も同じだった。

中学時代。自分が目立つことで、他人の嫉妬や軽蔑、偏見を浴びた経験がある。

だからこそ、努力の末に“孤高”という選択をした。


(だけど、彼は違う。私よりも、もっと……深く隠れてる)


その理由が、ただの無関心とは思えなかった。

――なぜなら。


あの瞳は、誰よりも他人をよく見ている。

見ないふりをして、すべてを“許している”。


それが、気に入らなかった。


(本当の自分を隠して、誰からも気づかれずに生きていく……そんなの、ずるいわ)


だから、声をかけた。


「天城くん」


思わず名前を呼んでいた。

彼が驚いたようにこちらを見た。その瞬間、理央の中で何かが弾けた気がした。


(この人を知りたい)


それが“興味”なのか、“対抗心”なのか、それとも……


ただ――理央は、ようやく気づき始めていた。


彼を“見下していた”自分が、どれほど浅はかだったのかに。


そして、彼に惹かれていく自分の心が、少しずつ揺らいでいくことにも。



その夜。

机に向かいながら、理央は自分のノートを閉じた。


テスト勉強など、今の彼女には造作もないこと。

けれど頭の中では、今日の彼の表情ばかりが繰り返されていた。


(変わるかもしれない。……私の、世界が)


孤高であることに意味を見出していた自分が、いま、他人の存在によって揺さぶられている。

それは、初めての感情だった。


(“興味”…じゃない。これって――)


胸に浮かんだ言葉を、彼女はかき消すようにベッドに潜り込んだ。

けれど、心のざわめきは、眠っても消えてはくれなかった。

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