第2話 マイラ・グランヴィルが幸せになるために2

 王子様とは現実に存在しているのかと、その時は頭がぼんやりしており、意識もどこかへ吹っ飛んでしまいそうだった。

 屋敷から初めて王宮へ連れてこられた際、これが目的と言わんばかりにこの国の王子というものへの挨拶を求められた。礼儀作法は物心ついたときから訓練させられているのもあり、所作そのものは完璧だという自負はある。それでもやはり緊張するものだ。

 赤いマントをひらめかせながら、金色の美しい髪、まだまだ子供だというのに優雅さすら感じさせるその顔つき、強い意志が宿る瞳の少年が微笑を浮かべて話しかけてくる。

「ほう、君がグランヴィル家の娘か」

 尊大な物言いだが、間違いなく記憶にあるしゃべり方をする幼き王子。このエイゲレス王国において将来を背負う最重要人物とも言える。またもし記憶にある通りなら――

 マイラ・グランヴィルが将来嫁ぐとされる、エイゲレス王国第一王位継承者フィリップス・エイゲレスその人だ。

(ていうかとうとうゲームと同じ人物が出てきちゃったわよ! いや、王子の名前は前々から知っていたからもしやとは思ってたけど、この顔は……それにこの王子は……)

 この時点で父親が会わせたのは、つまりそういうことだろう。遠くない未来に娘を王族へ嫁がせる下準備をしているということなのだ。

 まだ王子もマイラも幼い子供ではあるが、政治というのは年齢に関係無く巻き込まれるものだと、この時から強く思い知らされることになった。

「マイラ、これからもよろしく頼む」

 尊大な物言い自体、この王子本来の気質ではない。上に求められる本質というものを、このフィリップスという王子は既に理解しているのだ。実際、彼は優しく相手を気遣う好青年だった――ゲームの中では、だが。

 なんという聡明な王子なのだろう、と感心してしまう。前世の記憶を引き継ぎ、恐らくは意思すらも乗っ取ってしまっただろう彼女ですら、彼の頭の良さには驚かされるばかりだ。その時は何度か話しただけだが、こちらが求める返答や配慮された行動、そして所作の全てに国の代表になるべく教育された者の気品が確かにそこにあった。

「君と話しているのは面白いね。本当に私と同世代――失礼、私の方が少し上だね。けれどまるで大人と話しているみたいだ」

「え、そうでしょうか」

 少し慌ててしまう。

(いやいや、中身が本来のマイラじゃないとかバレるはずないわ。落ち着きなさい私……!)

「また、君と話せることを楽しみにしている」

 実際、この後もこの王子はちょくちょく自分へと会いにくることになる。

 その度に彼女は必死に頭を回して会話をすることになるのだが。


『貴族としての嗜み』とばかりに教育詰めの日々を送ることさらに四年、さすがに姿見に写る自分の顔が完全にゲームのマイラ・グランヴィルと同じだと認めるしかない程にそっくりとなり、そして脳が成長するにつれて前世の記憶がますます甦ってくる。両親も間違いなくゲーム内に出てきた悪役令嬢マイラ・グランヴィルの両親そのままであり、ゲームの背景ぐらいしか知りようもなかったが屋敷の中も確かにそっくりな部分が多い。

(あはは、私、本当にマイラ・グランヴィルなんだ)

 だとしたら自分はあのゲーム通りの運命を辿ることになるのか。そもそもこの肉体に本来宿るべき魂は自分ではないのではないか。どうして自分がここにいるのか、何年経ったところで疑問がつきることはないし、そしてそれに答える者もいないだろう。

(神様の悪戯にしてはたちが悪い。もしそうなら意味があると考えましょう。私がマイラへ転生した理由なんてさっぱり思い浮かばないけれど)

 何にしろ本来のマイラ・グランヴィルであるべき人格を自分が上書きしたような状態なのだろう。

(いえ、そもそもマイラ・グランヴィルの人格なんて最初から生まれていないのかしら。――いえ、違うわね。前世とやらの記憶があるだけで私自身がマイラ・グランヴィルということに? それともマイラ・グランヴィルという人格は心の中のどこかにある?……どちらにしろやることは決まってる。今度こそ『私』は)

 前世の記憶が本物ならば――少なくとも現時点において前世の自分が学生時代から社会人になってまでずっとプレイし続けたゲームと同じ舞台設定、キャラクター、今後の話が展開されるのならば、マイラ・グランヴィルがやることはただ一つだった。

(今度こそ『彼女』に幸せな人生を歩んで欲しい)

 その為には何をすればいいのか、彼女はまだまだ幼い容姿を見つめ返しながら思いを馳せるのだった。


「魔術の才能、ありませんなぁ」

 そこそこ年齢のいってそうな男性教師からそうはっきりと断言されると、さすがに認めざるを得ない。

「そ、そんなにありませんか? ロード先生……?」

 屋敷に呼ばれたこの男性はエイゲレス王国でも屈指の実力と豊富な経験、そして知恵を持つ大魔術師として有名な人物だが、それ故に彼が断言をするというのはそれだけの意味がある。

「はい、お嬢様には魔術の才能がこれっぽっちもありません。使えませんな。天地がひっくり返ったならばお使いにもなれましょうが、魔法でもない限りそんなことは起こりませんからなぁ」

「言いたい放題言いますわね……」

「事実を隠したままだと悪影響になりかねません。魔術自体の知識を得ておくのは良いでしょう。豊かな人生は多くの知識に支えられるものですからな。しかしお嬢様が魔術を使うのは……ううむ、今までの特訓結果を見る限り、実にとても非常にもの凄く難しい」

「そこまで言う!」

 確かにマイラは言われた通りに魔術を発動させることができなかった。しかもこの魔術講座も今年で二年、いい加減何か一つでも唱えられなければいけないというのにだ。

 メイドとしていつも部屋の隅にいたメイが密かに魔術を唱えていたのは忘れない。この授業を盗み聞きして覚えたみたいで、真面目に真正面から教えてもらっているマイラより才能があるのだと思ったらしく、時折「私がお教えしましょうか?」などとマイラに進言してくるぐらいだ。とはいえ夜は夜で別の勉強をしているため毎度断っている。

(でも、まぁ)

 確かにそれでは『魔術が使えない』と判断されても致し方ない。

「では魔術の知恵を教えてください。授業内容はこれまで通りで構いません」

「ほ、こちらとしては助かりますがな。君のお父上に進展がないと言われたら、それこそ立つ瀬も無いというもの。ではもうしばしワシの知恵を授けるとしようかのぅ」

「助かります、ロード先生」

「うむ、まだまだひよっこだけれどもその意気や良し」

 ここで『魔術の授業もおしまいだ』と言われるのが一番困るので、マイラは密かに安堵する。国中を探したところで彼以上に師事すべき魔術師などいはしないだろう。

 こうしてマイラはこの世界の魔術についてもしっかりと学んでいくことになった。


 あと数日で十五歳の誕生日が訪れる。

 それまで彼女が表立ってやってきたことは特にない。父親と母親の言われるがままに貴族たる者の教育を受け、ふさわしい振る舞いを習い、この世界における上流社会の在り方を学んできた。ゲームをプレイするだけでは見えてこなかった、せいぜい想像の範囲内に過ぎなかった詳細部分が明るみになっていくにつれ、マイラは少しずつ気持ちが昂ぶるのを抑えられなかった。

 この世界は近代ヨーロッパには至らない社会構造に近く、実際今は新大陸を求めて船を出す事例が数多く存在し、これらは近世ヨーロッパにも似た大航海時代のようである。この世界を今まさに生きている人達にとって今が大航海時代と呼んでいるかどうかはさておき、未だ見たことのない港では一目では見渡せない程の大きな船が停泊していることなど日常茶飯事だという。またこの国に至っては世界各国を植民地化しているらしく、教育の一環として世界史の講義を受けると、マイラが想像していたよりも世界情勢について深く勉強することができた。この辺についてもゲーム内では曖昧な部分であり、彼女にとっては未知なる部分だ。

(ただ一言に近世ヨーロッパといっても、たしか三百年ぐらいあるわよね。一括りにするのは難しい……)

 そのぐらいの歴史があれば近世時代の始まりと終わりには違いがあると思うのが当然だといえば当然だと、マイラは自分の不勉強さに項垂れる。前世ではそこまでしっかりと勉強をしていなかった自分を恨むが、今更どうしようもないと嘆息するしかなかった。

(やってたのは引きこもってのゲームばっかりと、社会人になってからも会社の理不尽さから逃げるようにゲームばっかり……しかも同じゲーム。マイラ・グランヴィルが悪役として登場するRPGだ。面白かったのは面白かったけど、どうやってもマイラ・グランヴィルの破滅コースは免れなかった。マイラ・グランヴィルが唯一生き残る手があるとするならば、それは主人公が負けた時……)

 とはいえ、すでにこのマイラ・グランヴィルは当時のゲームとは性格がかなり違っている。ゲームのマイラは確かに悪役と言えるキャラではあったが、今の自分が同じことをするかと言われると、さすがに首を横に振るだろう。

(せっかくなんだし、このマイラ・グランヴィルはちゃんと幸せになってもらわないと。だってゲームではあんなに酷い目に遭ったんだから。何より私の推しはマイラ・グランヴィルなのよ)

 最終的に主人公の仲間になるキャラクターは幾人もいるのだが、マルチエンディングを謳っていたそのゲームはそれぞれの登場キャラにマイラ・グランヴィルを殺させるというシーンが存在する。当然それだけのことをしでかしたマイラ・グランヴィルが悪いのかもしれないが、さすがにもう少しマイラが救われるエンディングがあってもいいのではないかと、ずぅっと心の中に靄が罹り、それ以上に鬱憤が溜まっていた。

「ゲームはゲーム、私は私、か。そうよね、そう、ゲームとは違うからやり直しもないし」

 自室の窓から外を見上げる。一見して晴天が広がっているものの、遠くの方は黒く濃い雲の塊があった。もうすぐこの辺に雨が降るのかもしれないなと思いながら、彼女は自分がすべきことを、この世界でどうやって生きていくべきかを頭の中でまとめていったのだった。

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