第12話 遣らず。
ヒマちゃんとの会話もそこそこに、わたしは黙々と着替えて帰り支度を済ませる。そして、そのまま帰宅……とはいかず、一応胡桃が座っていたテーブルを確認しに行くことに。
「……。バイト、おわった」
手持無沙汰に二杯目のコーヒーをちびちびと飲んでいる胡桃に、わたしはそう声をかけた。
胡桃のことだからと思ったが、やはり彼女はわたしがバイトをしていた4時間もの間、ずっとここでわたしのバイトが終わるのを待っていたらしい。別に約束をしていたわけでも、この後なにをするでもないのに。
胡桃のこういうところ、忍耐力がある、とは、はたして言えるのだろうか。
「あ、まゆっ。おつかれっ!」
わたしを視認するや否や、胡桃は途端に頬を緩ませてわたしにおつかれをしてくる。
「……待っていなくてもよかったのに」
「いやいや。私も課題やってたし、退屈はしてなかったよ。それに、せっかくならまゆと一緒に帰りたいしね!」
……課題ねえ。まあ、そういうことにしておいてやるか。というか、もしかしたら本当かもしれないし、それはわたしが知らなくてもいいことだろう。
なんでもなんて知らなくていいし、知りたいと思えることだけ知っていればいい。羽川翼も似たようなことを言っていた。
「じゃ、帰ろ」
「うんっ」
胡桃はすっと立ち上がり、トートバッグを片手にテーブルを後にする。
まとめる荷物もなかったようだ。おい、と思う。
会計も事前にわたしが済ませておいたので、わたしたちは顔パスよろしく店員たちに軽く会釈をして――
「繭さんさよなら~。って繭さんが誰かとつるんでる!? いっつもソロなのに!」
言い方。
「え、ええっと。どうも~」
胡桃は気まずそうにしながらも、ヒマちゃんに挨拶をする。
「あ、ごめんなさい。変なこと言って引き留めてしまって。お疲れ様です!」
「ん、お疲れヒマちゃん」
「繭さんのお友達さんも、またいらしてくださいね?」
「あ、うん。ぜひそうさせてもらうね」
「じゃあ失礼しまーす」
「え? ちょっとまゆ――」
話が長引きそうな波動を感じたため、わたしは胡桃の手を引き足早にその場を去った。
「ま、まゆっ。どうしたのいきなり。ていうか、手……」
「ああ、ごめん」
言われ、わたしは胡桃の手をぱっと放す。
「……。そういう意味じゃ、なぃ」
ふいに、胡桃はなにやら不服そうな顔をする。なんだ、面倒くさい女である。
「……さっきの子、まゆの後輩?」
「ん? そうだけど」
「かわいい子だったね」
「たしかに、かわいいね」
「……」
瞬間、ジト目でわたしを睨みつけてくる胡桃。おまえが言わせたんじゃないか。
「……なんか、仲も良さそうだったし」
「まあ、割といい方ではある」
バイト仲間の中でヒマちゃんは、わたしと同性で年も近いから他と比べるとよく話す方だ。相対的に見てわたしとヒマちゃんは、仲がいい方ではあるんじゃないかと思う。
「……ふーん?」
すると胡桃は、ぷくーっと頬を膨らませ、そっぽを向き始めた。
「……」
……なにそれちょっとかわいい。胡桃のこの嫉妬顔、今度小説に使わせてもらおう。ついては参考までに、少しからかってやろうかな。
「胡桃」
「……なに」
「嫉妬してる?」
「……は、はぁ!? し、嫉妬!? わ、私が!?」
「ん」
「そんなのしてませんけど! そもそも誰に!? なんの根拠があってそんなこと!」
「だって胡桃、ヒマちゃんの話をしたとたんに不機嫌になった」
「不機嫌になんてなってないしっ! なってないもんっ! まゆの思い過ごしだし!」
「ん、大丈夫。ぜんぶわかってる」
「なにその態度!?」
「胡桃はわたしの親友。一番は胡桃」
言いつつ、わたしは胡桃の細い指に、自身の指を絡ませて恋人繋ぎをする。
「ふぇぅ!? ま、まゆ……!?」
「なに?」
「……あっ、え、あ。……ぅ。な、なんでもない」
やがて、ゆでだこのように耳まで真っ赤になった胡桃。こうなると、彼女はいつも顔を俯かせてしばらくの間押し黙ってしまう。
わたしは仕方なく、そんなゆでだこの手をつないだまま、とぼとぼと家への道のりを歩いていく。
刹那、ぽつ、と。
「……ん?」
鼻先に水気を感じて、わたしは空を見上げた。一面、灰色の雲。今日は雨の日だったのかもしれない。
実家にいるときは、おばあちゃんが毎日天気を教えてくれていたから困ることはなかったけれど、最近は天気予報も見なければ、ひとり暮らしを始めた影響で家に天気予報士もいなくなってしまった。
様々なことに無頓着なわたしは当然折り畳み傘なんて持っているわけもなく、見たところ、ゆでだこも同様。こりゃさっさと帰った方がよさそうだ。
というか昨日のわたしの髪がぴょんぴょん跳ねてたのって、もしかすると昨日の時点から天気はあまり良くなくて、湿気ていたからだったのかもしれない。
なんて、そう思い至ったのも束の間。
――ぽつ、ぽつ、ぽつぽつ。ザ、ザアァアアアアア。
「ぅえ? あ、雨!?」
ゆでだこも正気に戻る。などと言っている間もなく、わたしたちは一瞬で濡れ鼠になってしまった。今度は鼠である。ちゅーちゅー。
じゃなくて。
「う、うわぁ。けっこう酷いね。天気予報見てくればよかった。ってまゆ!?」
「ん?」
「す、すす、透けてる!!」
「……? わ、ほんとだ」
見ると、わたしの服は雨で濡れて、白い下着が透けて見えてしまっていた。
ああ、なるほど。今のわたしはバイト用にワイシャツを着ているし、それで下着が透けてしまったのだ。
「あ、あわ、あわわわ……! ど、どうしよどうしよ!」
胡桃は全身をあわただしく動かし、わたしを隠そうとしてくれている。もっとも、周囲には人っ子一人もいないため、ほとんど無意味ではあるが。それに。
「おちついて胡桃。わたしんち、すぐそこでしょ」
「えっ? あ、そうじゃん! よかった。じゃあまゆは早く帰って。風邪ひいちゃうよ」
「わたしはっていうか、胡桃もそのままじゃ風邪ひいちゃう」
「……ま、まあ。そうだけど」
「胡桃もうちでシャワー浴びていって」
「ふぇっ? そ、そんな……」
「ずぶ濡れの友達を家の前で見捨てるほど、わたしは薄情じゃないつもりだけど」
「で、でも。どっちか片方がシャワー浴びてる間、どっちか片方は結局風邪ひいちゃいそうだし……」
「なに言っているの」
「え? なにが?」
「一緒に入れば問題ない」
「……? うん? いっしょ?」
「ん、一緒」
「…………いっしょ?」
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