第10話 必要経費。
間違えることなく、しっかりとアイスコーヒーとミニシロノワールの注文を取ったわたしは店員の作業スペースへ戻った。
すると、キッチンはなぜかもぬけの殻。わたしは仕方なくキッチンに入り、シロノワールとアイスコーヒーを作り始める。
「繭ちゃん、さっきお客さんと話してたけど。13卓の子って繭ちゃんの友達?」
キッチン越しに、中上さんにそう話しかけられる。
中島さん、いたんならキッチンに入ってほしかった。
「……そうですけど」
作業の手は止めず、わたしは声だけで返事をする。
「ふーん、そっか」
彼はそれだけ呟くと、おもむろに銀盆を持ち、ホールへと出て行ってしまった。
わたしはそんな彼の背中を訝し気に眺める。
……なんだったんだ一体。ていうか、なぜキッチンに入ってくれないんだ。キッチンに入ってほしい。キッチンに入ってくれ。
やがて約1分後、ミニシロノワールとアイスコーヒーを作り終えたわたしは、たまには愛想でも振りまいてやるかと思い至り、自ら胡桃にオーダーを持っていくことに。
「……君、繭ちゃんの友達なんだって?」
ホールの奥からそんな声が聞こえてきたのは、わたしがオーダーを運び始めようとする、正にその直前のことだった。
……なるほど。今はお客さんも少ないし、となるとこんなにも声が聞こえてしまうものなのか。
「……え? まあ、はい。まゆは高校からの親友、ですけど」
しれっと親友とか言っている胡桃。あいつはあいつで、少し厚かましいところがある。
「……へぇ! じゃあ、そんな繭ちゃんの親友の君に訊きたいことがあるんだけど」
「……なんです?」
「……繭ちゃんって今、彼氏とかいるのかな?」
「……」
……はあ。ついに訊かれてしまった。いや、訊かれたのはわたしじゃないが。しかし、わたしのことではあるし、つけが回ってくるのもわたしのところだ。
……めんどくさいな。
できれば、対人関係のごちゃごちゃや、その他面倒ごとはすべて回避したいというのがわたしのモットーとするところだった。わたしはいつだって、わたしのリソースは小説に対してだけに100パーセント割きたいと、常日頃から考えているからである。
余計な面倒ごとを持ちかけられ、あまつさえそれに対処することで、本来小説の執筆に回されるはずだったわたしのリソースを無為に浪費されてしまう。それがわたしには、とてつもなく億劫に感じられるのだ。
「……彼氏、ですか?」
胡桃は中山さんの言葉を反芻し、そして――
「……いますよ? まゆに彼氏」
「……」
……えっ? いるの? わたしに彼氏。
「……え? いるの? 繭ちゃんに彼氏」
心のライム読みやめろ。
「……そんなに驚くことですかね? まゆ、黙ってれば超絶美少女ですし、彼氏いないほうが不自然だと思いますけど」
「……そ、そりゃあ」
「……そうだ、なんなら写真見ますか? まゆの彼氏の。この前二人でジブリパークに行ってきたらしくて」
「……」
「……あ、でも人様の写真を勝手に見せるのは良くないですね。すみません、今のなしで」
「……はぁ」
「……というわけですけど。訊きたいことっていうのはこれだけです?」
「……へっ? あ、そう、だね。ごめんね、手間を取らせて」
「……いえいえぜんぜん。今後とも、うちのまゆをよろしくお願いしますね」
「……あ、ああもちろん。じゃあね」
「……」
二人の会話が終わったのを皮切りに、わたしはオーダーを運び始める。
シロノワールのソフトクリームが溶け始めているけれど、まあ胡桃だし。ご愛敬で済ませてほしい。
道中、中俣さんとすれ違う。
抑えているつもりなのだろうが、彼は気まずそうに表情を歪ませ、軽く会釈をしてきた。
やがて胡桃の座るテーブルまで辿り着くと、わたしはアイスコーヒーとミニシロノワールのお皿をことりと置く。
「あ、まゆ。ありがと」
「ん。それはそうと。わたし、いつの間に彼氏なんてできたの?」
中村さんに聞かれても面白くないため、わたしは声を抑えて胡桃に問う。
「…………。聞いてたの?」
対する胡桃は、そんなわたしの言葉に目を大きく見開いていた。
「よくもまあ、あんなにもすらすらとまくしたてられるものだと感心した。少し、意外ではあったけれど」
あんなにも自然と嘘をつけるだなんて、日頃の胡桃からはあまり想像できない姿だった。
「……余計なこと、しちゃったかな?」
「ん? べつに。むしろ感謝してる。胡桃は面倒ごとを一つ、解消してくれたんだから。ありがとう」
「……んぁ。そ、そんな」
「じゃあ、わたしは仕事に戻るから。ごゆっくり」
「え? ま、まって」
そうわたしが引き返そうとすると、胡桃はわたしを引き留めてくる。
「なに?」
「伝票は? 私、これで注文終わりだよ?」
「ああ。それならわたしが払っておくよ。今日はわたしのおごり」
「ふぇ? な、なんだって急に」
「いいでしょべつに。日頃のお礼」
「……お礼って」
「それとも、わたしにおごられるのは嫌?」
「そ、そんなことありえないけど!」
「だったら、おとなしくおごられて」
「……まゆが、そこまで言うなら。じゃあ、ありがとう。……今度、またお返しするから」
「ん、楽しみ」
胡桃はどうやら腑に落ちていない様子だ。わたしもわざわざ言葉にするつもりもないが、胡桃のこういうところ、わたしは素直に尊敬する。……まあわたしもこうなりたいとは、とてもじゃないが思えないけれど。
とはいえ、胡桃へのせめてものお礼として、この場はおごりにしてやろうと思った。
こういうのは、人生の必要経費というものなのだ。
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