第8話 彼氏彼女。
その後、胡桃と別れ一度帰宅して身支度を整えると、わたしはバイト先の喫茶店へと向かった。
ちなみに、わたしのバイト先は言わずと知れた喫茶チェーン店、コメタ珈琲だ。去年の6月に働き始めたから、もう少しで一年が経つ。おかげさまで今ではホールキッチン、どちらも任されるようになってしまった。いい迷惑である。
接客は苦手だし、フードの調理は面倒くさいし、わたしは一生コーヒーを淹れるだけの妖精になりたいと常々思う。
とはいえ、コメタ珈琲で働き始めたのも、喫茶店で働くキャラクターを小説に登場させたかったからで、そのシーンの執筆も既に済ませた。最近は社員の人にもっとシフトに入ってくれと煩わしいことを言われるようになってしまい、そろそろ潮時か、なんて考えているわけだけど。
そんなこんなでお店に到着したわたし。
エプロンを付け、ハンディと呼ばれる注文を取るときに使う端末をポケットに入れて、さっさと準備をする。
「おはようございまーす」
我ながら気の抜けた挨拶をしながら、レジ後ろにある作業スペースへと出ていった。
「お、
すると、レジ後ろ付近でたむろしていた店員のうちの一人、黒髪のイケメンがわたしに挨拶を返してくる。中島さんだ。……中里さんだっけ。
「おはようございます」
間違えてもいけないので、名前は基本呼ばないようにしている。これ、天宮流。
「なんか眠そうだね。夜更かし? 何してたの?」
イケメンは飄々と馴れ馴れしく、わたしが夜更かしをしたと決めつけて話を進めてくる。
「べつに、昨夜はちゃんと寝ましたよ。眠そうなのがデフォルトなんです」
「たしかに。繭ちゃんの目、いつもジトっとしてるもんね」
ほっとけ。
「……あはは。そうですかー?」
「そだよ。つか繭ちゃんまだ敬語~。俺ら同い年なんだし、タメでいいって言ってんじゃん」
「……あー。でも、わたしのほうがこのお店では後輩ですし」
「いやいやそんなん関係ないって。それを言うなら繭ちゃん、もう俺と同じくらい仕事できるでしょ? 敬語だと距離感感じて寂しいわー」
距離感を感じるな。じゃなくて。
わたしが彼に対して敬語を使っているのは、中咲さんと必要以上に仲良くなりたくないからなのだが、どうやら察してもらえてはいなかったらしい。
「……わかりました。これから気をつけますね」
「気を付けますって、早速敬語~」
「…………気を付けるね」
「おう」
わたしのその言葉に、中沢さんは満足げににっこりと笑う。
こういう手合いは、たまに敬語を崩してやると安易に喜んでくれるので、御しやすくて非常に助かる。
「じゃあ、ホール回ってきます」
「ほい。いってらー」
わたしは中川さんとの会話を打ち切ると、銀盆を持ってホール状況の確認のためにホールへと出ていった。
「……繭ちゃん、今日も可愛いな~」
「……だなー」
すると、背後から中村さんともう一人の店員が、ひそひそとわたしの陰口をたたく声が聞こえてくる。まだ距離もそんなに離れていないのに良い度胸だ。実際めっちゃ聞こえるし。
「……彼氏とかいたりすんのかな」
「……お前またそんなん言って。いい加減訊けばいいだろ」
「……ばっかお前。それ俺に訊かせに行って、自分だけ得しようとしてるだろ」
「……バレた?」
「……お前な。ていうか実際、繭ちゃんて彼氏いないと思うんだよな」
……おお、当たってる。やるな中町さん。
「……その心は?」
「……繭ちゃん、顔は抜群に可愛いけど、身長もちっちゃいし胸もなければ愛嬌もないじゃん?」
……。
「……だからさ。いくら顔が可愛くても、付き合うには至らなさそうっていうか」
「……はあ、なんだそれ。あんなに可愛いんだったらその理屈は適応外だろ。大体、繭ちゃんはちっちゃいのがいいんじゃん」
「……マジかお前。もしかしてロリコン?」
「……ちげえよアホ!」
「……なんかドン引きだわー」
「……うるせえよ! 繭ちゃんの低身長はなんていうか、天使みたいで可愛いんだよ! デカケツ巨乳至上主義の中里にはわかんないと思うけどな!」
あ、中里さんだったか。ニアピン賞だ。
それはそうと、中島さんと横にいる男店員はいつか絶対ボコボコにしてやろう。
「……」
くだらない言い合いをしている彼らをわたしは思考から完全にシャットアウトして、ホールの確認を続ける。
今日はなんだかお客が少ない。忙しくならなさそうで嬉しい。最近コラボ商品がおわったのが影響しているんだろうか。昨日だったっけ。
「お、まゆー」
「……ん?」
瞬間、大変聞き覚えのある声がして、わたしは声のした方へと振り向いた。
「やっほ」
「……なんでいるの」
そこにはやはりと言うべきか。
胡桃が当たり前のように席に座っていた。
「……え、ええっと。来ちゃった」
にへらと不器用に笑う胡桃。
「……」
なんだそれ。おまえはわたしの彼女か。
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