第5話 間接キスと。

 なんて益体もないことを考えていると、もはや何度目かになるがふとわたしと目が合った胡桃くるみは、またもや伏し目がちに目を逸らしてきた。


「さっきから胡桃、わたしのことばかり見てるけど」

「えっ? そ、そんなこと」

「もしかして」

「……な、なに?」

「おなかすいてる?」

「……うん?」


 わたしにそんなことを言われた胡桃は、目をぱちくりとさせる。


「胡桃、わたしの分しか作らなかったから、ごはん食べてきたのかなって思ってたけど。オムライス食べてるわたしのこと、ずっと見てくるし」

「……ん、ん~。あ~。あーね~。ごはんは、食べてきたんだけどね~。美味しそうにオムライス食べてるまゆ見てたら、ちょっとだけお腹すいちゃったってゆーか~」


 白々しいにもほどがある彼女のその演技に、わたしは便乗してあげることにした。……今朝の選考のこともあって、今日はなんだかむしゃくしゃするのだ。


「ふーん。じゃあ、はい」


 するとわたしはおもむろに、銀色のスプーンでオムライスを一口分掬い、胡桃に向かって差し出した。


「うぇっ!? え、え?」

「なにその締め上げられた七面鳥みたいな声」

「な、だ、だって……!」

「おなかすいてるんでしょ? はい、あーんして」

「で、でも……」


 彼女は相変わらずトマトみたいに顔を真っ赤にして、スプーンとわたしを交互に見やる。


 差し詰め間接キスになっちゃうだとか、あーんが恥ずかしいだとか、そんなところだろう。


「なに躊躇っているの? 胡桃が作ってくれたオムライスなんだから、遠慮することはない」


 言いつつ、わたしは胡桃が逃げられないよう、彼女の手の甲に左手を重ねて彼女に迫る。


「ちょ、ちょっと。まゆ、ちかいよ……!」

「そう?」

「そう、だって。普段はまゆ、パーソナルスペース宇宙みたいに広いじゃん……」


 その言い草に、わたしは少しだけムッとしてしまう。

 宇宙みたいに広いって、それは少々言い過ぎだろう。まるでわたしが人嫌いのコミュ障みたいな言い方はやめてほしい。


「そんなことない」


 わたしはそれを証明するように、より一層、ぐいっと胡桃に顔を近づける。彼女の甘い髪の匂いが、ふわっと鼻腔を抜けていく。胡桃の端正な顔は、文字通り目と鼻の先だ。


「ほら、あーん」

「ま、まゆぅ……」


 胡桃の頬は上気して、目もとろんと溶けてしまっていた。へにゃへにゃと、体に力が入っていないことが見てわかる。


「……っ」


 胡桃のその姿に、わたしはおもわず見入ってしまう。


 ……なんか、ドキドキする。嗜虐心がくすぐられるっていうか。もしかしてわたしって、Sなんだろうか。


「……んっ」


 わたしは彼女の頬に手を当てて、胡桃のさらさらの髪をそっと耳にかけてやる。


「あーん、して」

「……ぅん」


 諦めたのか、従順になった胡桃は、恥ずかし気に薄い唇を開く。

 サーモンピンクの、綺麗な口内があらわになった。

 小さな舌がちろっと覗く。


 うず、と、わたしの心になにかが這う。


「……」


 ここでもし、わたしが彼女にキスをして。

 抵抗の余地なく、彼女を貪り尽くしたとして。


 果たして彼女は、どういう反応を示すだろう。彼女は一体、どうなってしまうんだろうか。


 その経験はきっと、わたしの小説執筆において、多分に活きることだろう。それはきっと、わたしの血肉となり、わたしの成長を促すのだ。

 ……知りたい、と、切に思う。


「……」


 しかし。

 わたしはそれらの欲求をぐっと抑えて、そして彼女の口の中に、ようやく銀色のスプーンを差し込んだ。


「……んっ」


 やがて、いくらか軽くなったスプーンを、わたしは彼女の口から引き抜いていく。


「……」


 そっぽを向きながら、黙って咀嚼し続ける胡桃。


「どう。おいしい?」

「…………まぁ。でも、ちょっと。味、うすかった、かな」

「そう? わたしは、ちょうどいいと思ったけれど」


 確かめるように、わたしはお皿のオムライスを少し削り、ぱくっとひとくち。

 そんなわたしに、胡桃は一瞬目を丸くしていたが、わたしは気づかないふりを続けた。


「…………」

「……? どしたのまゆ」

「……なんでも」


 わたしはスプーンをお皿に置き、そう答える。


「……」

「……?」


 たしかに胡桃の言う通り、ほんの少しだけ、味が薄かったかもしれない。

 と、そう思った。


 ただ、それだけだ。

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