第3話 胡桃はたぶん、むっつりだ。

「冷蔵庫、開けていい?」


 家に入るや否や、手を洗い終えた胡桃くるみはわたしにそう訊ねてくる。


「いいよ。好きに使ってもらって」

「ありがと」


 言いつつ、胡桃は我が家の冷蔵庫を開け中身を確認する。


「……玉ねぎと卵と、トマトジュースと水。しかない」

「一味唐辛子なら常温で放置してある。ほらそこ」

「誰が一味の居場所を訊いたか!」


 なるほど、訊いていないらしい。


「……ねえまゆ。今更だけど、いつもごはんどうしてるの?」

「うん? べつに普通。パンとかお米とか食べてる」

「それだけで?」

「一味かけてたべてる」

「気持ち悪いっ!」


 失礼な。

 パンやごはんに直接一味唐辛子をかければ、効率よく唐辛子を摂取できるし、なにより辛い物を食べれば頭が冴えわたる気がして、執筆がとてもはかどるのだ。


「不摂生にもほどがあるよ」

「……」


 胡桃はそう言うが、けれどわたしだって、毎日トマトジュースやビタミン剤を摂ることは欠かさないし、水だってしこたま飲む。もっともすべて頭を働かせて小説を書くためなのだが、しかして健康には自信がある。


 とはいえわたしが今、胡桃に対して変に言い返そうとしなかったのは、胡桃の言いたいことがそうではないと分かっているからだった。


「……はあ。じゃあオムライスでも作るかな。トマトジュースを使ったチキンライスのレシピを、いつだったか見たことがあるし。こんなんでもギリ作れるでしょ」

「…………オムライス」


 やった、とわたしは内心ガッツポーズをする。

 子供舌だと馬鹿にされるのも癪なので、あまり人には言わないけれど。

 オムライスはわたしの大好物だ。


「まゆ、オムライス好きだもんね?」

「…………べつに」


 なぜバレている。言ったことないのに。


「ふふっ」

「……」


 思わず顔をしかめていたわたしに、何が面白かったのか、彼女は吹き出すように小さく笑う。やがてキッチンに立って料理を始めた。

 フライパンや包丁、卵を解かすためのボウルなんかを手際よくぱっぱと用意していく胡桃。


 これは余談だが、胡桃はわたしよりも、この家の台所事情に詳しい。この家の家主は悔しい。

 おっと、韻を踏んでしまった。わたしの底に眠るラッパー魂が。


「ていうかまゆ。さっきの話の続きなんだけど!」

「……ん?」


 視線はフライパンに、胡桃は声だけをわたしに向けてくる。


「その恰好のことだよ! 脚出しすぎ!!」

「はぁ」

「まゆの脚はその、雪みたいに真っ白で、細くてしなやかで。……き、綺麗だけど」

「……」

「で、でも! だからこそ露出には気を付けるべきっていうかっ!」

「あのね胡桃。わたしだって外に出るときはしかるべき格好をするよ。こんな太もも丸出しなのは家の中でだけ。このほうが過ごしやすいし」

「ちがくて! いやちがわないけど! やっぱりちがくて! え、ええっとっ!」

「……?」

「……そうじゃ、なくて」

「……」

「……ほ、ほら。まゆ、身体強くないじゃん。だから、そんな格好してると、冷やしちゃう、っていうか」


 胡桃は、またもやお母さんみたいなことを言い出した。

 けれどまあ。胡桃の言いたいことは、ニュアンスとしては伝わっている。だからわたしは、いつもと同じように、それに気づかないふりをした。


「たしかに。胡桃の言うことにも一理ある」

「わ、わかってくれた?」

「ん」


 頷き、わたしは少しだけイジワルをしたい気分になって、とてとてと部屋の中のクローゼットへ。タンスを漁り始める。


「まゆー? なにしてんのー?」

「少し着替える」

「……うん? 着替え?」


 わたしはタンスから取り出した薄手のタイツを片手に、キッチンにいる胡桃へと寄っていく。そして、パーカーに隠れるショートパンツに手をかけた。


「……えっ!? ちょ、ちょっとまゆ!?」

「ごめん。気にしないで」

「き、気にしないでって……!!」


 再び耳まで真っ赤に、慌てふためく胡桃をよそに、わたしはショートパンツを一気に降ろし、片足ずつあげて脱ぎ終える。やはりパーカーに隠れて見えないけれど、今のわたしは下着丸出しだ。


「なっ、なななな、な……!!」


 当の胡桃は、金魚みたいに口をパクパクとさせて茫然としている。


「胡桃、わたしじゃなくて前見なきゃ。まがりなりにも火を使ってるんだし」


 うちのキッチンはガス式である。


「えっ? あ、いや。そ、そうなんだけど。な、なんでいきなり脱ぐの!?」

「なんでって。胡桃が冷えるって言うから、タイツ履こうと思って」

「じゃ、じゃなくて!! わ、私がいるじゃん!!」

「胡桃しかいないから、脱いだんだけれど」

「ふぇ? え、あ、いや、ええっと。そ、そ、そうだよね!」


 胡桃は一瞬、わたしのパーカーの裾。もとい、わたしの太ももの付け根を一瞥すると、澄まし顔を装ってフライパンへと視線を戻す。


 そんな彼女の一連の行動を見届けたわたしは、床に座り込み、手に持っていたタイツを履き始めた。


「……」

「……」


 かちゃかちゃと、コンロとフライパンがぶつかる音。ジュージューと、チキンライスの水分を飛ばす音。

 そして、タイツの衣擦れの音が、閑静な我が家には響き渡る。


「……」

「……」


 床に座り込み、タイツを履いている都合上、わたしの下着は先ほどからチラチラと顔を出してしまっている。

 一方で胡桃は、律儀に目の前のフライパンにのみ集中していた。

 もっとも、瞳がきょろきょろと挙動不審ではあるが。


「……」

「……」


 するする、するすると。わたしはタイツを持ち上げていく。


「……」

「……」


 するする、するする。するする、するする。


「……」

「……」


 やがて両脚の膝まで履き終えると、わたしはおもむろに立ち上がり、太もももタイツで覆っていく。

 胡桃はチキンライスを作り終えて、今は解いた卵をフライパンに落としていた。


「……」

「……」

「……」

「……」


 ぱちっ、とタイツを引っ張って音を鳴らす。


「……っ」

「履けた。あったかい」


 最後に、わたしはショートパンツをタイツの上から履いた。


「……ま、まゆ?」

「ん?」

「履き、おわった?」

「うん」

「私も、その。……オムライス、作り終わった」

「ん、お疲れさま。ありがとう」


 視線が合わない。胡桃はその場で顔を俯かせて赤面している。

 仕方なく、わたしはひょこっと顔を出して、くだんのオムライスの具合を確認することに。


「……」


 お皿の上に載る、成形されたオムライス。

 ケチャップ風の香ばしい匂いが食欲をそそる、金色のそのオムライス。だが。


「……すこし、失敗しちゃった」


 胡桃にしては珍しく、卵がぐちゃぐちゃだった。

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