第30話 藩主 木内伊左衛門
『ザクラ藩は木内伊左衛門様が藩主をなさってるこの辺り一帯では一番大きな藩だ。藩主様はもうワシと同じ年くらいのじい様だよ。未だ家督は継がずに藩主の座に居座ってるご老体さ。』
店主はそう言うと白い顎髭を撫でながら呆れた顔をしていた。
『家督を継がずに居座ってるのか?そう言うのは幕府から何か言われたりとかしないのか。』
『まあ代替わりはそれぞれの藩に任されているんだろうからな。将軍様だっていちいちそんな事まで面倒見きれやしないだろ。』
『しかし藩としてはかなりの大きさだし、財政的には潤ってるんじゃないのか?ネリタだってあるんだしよ。』
『ああ、藩の財政で言えばこの辺りの藩では群を抜いているだろうな。民の数だって一番多いさ。まあだからこそだろうがな?守銭奴になっちまうってのは。』
『いくら藩が潤ったって民衆が苦しんでいたら何にもならないだろ?』
『本当その通りだな。しかし多額の財政は人をそうしちまうんだろうな。今の藩主の代になってからはこのザクラ藩は正直言って大して発展はしてねぇからな。藩だけが潤っている、そんな感じさ。』
店主はそう言うと茶を啜りながらため息を吐いていた。
どこの世界にもそう言う統治者は居るもんなんだな。金に執着し民をないがしろにし、自分達だけ肥え太っていく。最低な奴等だな。
『まあでもネリタがあるからそれが成り立っているとも言えるんだがな。ここが無けりゃとっくに藩としては成り立たなくなってるだろうよ。』
『まあそれだけこの街は人の往来も多いからな。藩の経済の中心ではあるだろ。』
『そこに通行税を掛けだしたのが、その木内伊左衛門ってぇ馬鹿殿って訳さ。』
『おいおい、そんな事を藩内で口にしたら首斬られちまうぜ?』
橋山がそう言うと店主は肩を揺らしながらクツクツと笑っている。
『まあザクラ藩の内情としてはそんな感じだよ。おめぇんとこの藩主様は立派な方だから羨ましいやな。』
『ああ、村木様か。あの方は民の事を第一に考えて行動してくれている様だからな。そんな馬鹿殿と比べるまでもねぇだろ?』
『へっへっへっ。お前さんも首を斬られるぞ?』
橋山は店を出ると改めて街の雰囲気の違いを感じていた。以前は毎日祭りの様に活気に満ちていたこの参道も、幾分寂しさが感じられる。参拝客の数にも影響が出ているのだろう。
橋山はそんな参道の様子を見ながら、ネリタの街を後にしたのであった。
◇◇◇◇
『ザクラ藩の藩主様はそんな馬鹿な事を始めたんですか?何を考えているんですかね?』
『ああ本当だよな。』
ネリタへの通行税の話を持ち帰ると皆それぞれに反応をしていた。
『まさか町人にまで税を掛けるなんて…どうかしてますよね。街から出たくても出られない人達が沢山いると思いますよ。』
ネリタの長屋街で暮らしていたお米はそう言うと、何とも言えない顔をしている。
それはそうだろう、街を出たら帰って来るのに二十五文も支払わなくてはならないと言うのは、貧しい長屋街の町人にとっては死活問題となる。ネリタから出たくても我慢する者も多くいる事だろう。また仕事などで出ざる負えない者は手痛い出費を被る事になるのだ。
『骨董品屋の店主は今にネリタ山から抗議が上がるだろうとは言っていたが。参拝客の脚にもかなりの影響が出てる訳だからな。』
『藩主、木内伊左衛門の上か。以前から守銭奴としてそりゃあ有名なお方さ。見てみろい、ザクラの街のあの立派なお城をよ。あの藩がいかに財政的には豊かかを象徴しているじゃぁねぇか。』
お菊の父はそう言うとケッと吐き捨て酒を煽っていた。店主の言う通り以前から問題のある藩主ではあった様だ。
『まあ民衆がいくら苦しんで居ようが、自分達の懐の心配ばかりして気にもしてねぇんだろうよ。』
『本当!そんな悪い御上には天罰でも落ちてしまえば良いのに!』
お菊はそう言うと、フンッと鼻を鳴らしむくれていたのであった。
翌日、橋山はその日もネリタへの行商へと向かった。ネリタの街へ入る街道には今日もまたお役人の関所による行列が出来ている。
辺りの人達も口々に愚痴を垂れている訳だが、そんな中一人の男が声を上げたのだ。
『なんで自分の家に帰るのに金を払わねぇとならないんでぇ!!いい加減にしやがれ!!』
男はそう言うと役人への掴み掛かり声を荒げている。
おいおい、いくら何でも役人相手にそれはまずいんじゃねぇのか?
橋山同様に周りの者もみなそわそわしながらその様子を伺っていた。
『ええい!!無礼者め!!御上に楯を突く不届者である!!引っ立て!!』
『なんでぃ!!この野郎め!!何が御上だ!!こんちきしょうめ!!』
男は騒ぎ立てるも身体を縄で縛り上げられると何処かへ連行されて行ったのである。辺りは一時騒然としていたが、誰もが分かっていた結果だけに直ぐに平静を取り戻して行った。
橋山は黙って通行料二十五文を支払うと、リアカーを引き関所を通過して行く。
他の者たちも文句を言う様な者は誰一人として居なかった。相手は御上、当然の事である。
街の中へと入ると更に活気は無くなっており、参道を行き交う人の数も少なくなっていた。
『やはり影響が出て来たみたいだな。』
『ああ、もうこのまま行ったらネリタは終いだよ。参拝客も半分程に減っちまったぜ。たかが二十五文、されど二十五文ってやつだよな。』
大店の店主はそう言うと溜め息を吐いていた。
『ネリタ山のお偉いさんは動かないのか?』
『いや、もう寺の大僧正様が城の方へは出向いたみたいだぜ?だが藩主との話し合いは上手く纏まらなかったって事だろ。未だに通行料が取られているって事はよ。』
『ネリタ山の大僧正様と藩主様ではどっちが偉いんだ?』
『どっちが偉いと言われると、そりゃ藩主様になっちまうだろうな?大僧正様は所詮寺の住職だからよ。』
橋山はその話を聞き、これでは当分この問題の解決は無理であろうと悟ったのであった。
橋山が商店街の方を歩いてみると、長屋街の方からは荷車に家財を詰め込み一家で歩いて来る者達が見受けられた。どうやらネリタの街に見切りをつけ近くの村か街にでも引っ越す様である。
ちょっとそのザクラ藩のお膝元って奴を見てみたくなっちまったな。行ってみるか。
橋山はネリタの街を出るとその足で西へと向かい、ザクラ藩のお膝元、ザクラの街へと向かったのであった。
『かぁぁ。これがザクラ藩主の根城って奴か?ふざけてやがるな!』
橋山が見上げるのは、堀の向こうに聳え立つ大きな白塗りの城である。橋山がこの世界に来て初めて見る本物の城であったが、藩の内情を知ってから見るとその余りの異質さに反吐が出たのであった。
しかし流石に藩主のお膝下だけあって、ザクラの街自体は賑わっている感じはするな。
橋山は城から城下町の散策へと移ると、ネリタとは違う活気に満ちたそれを見てまた違和感を覚えてしまう。藩内の農村は重税に苦しんでいると言うのに、何故この街だけはこんなにも活気に満ちているのか。その何とも言えない気持ち悪さに橋山は辟易としていた。
ザクラの街を後にすると、橋山は途中の村の様子も伺って見る事にした。そこはやはり閑散としており村人達の様子も何処か途方に暮れている様なそんな悲壮感を感じてしまう。やはり藩からの重税に苦しんでいると言う話は本当なのであろう。
『ごめんよ。ちょっと見せて貰ってもいいか?』
『ああ、いらっしゃい。』
橋山が覗いたのは屋台で野菜を売っている店である。萎れた野菜のみが並んでおりどれも鮮度が悪く見えた。
『店主、随分と品が酷いな。』
『ああ、仕方ねぇさ。やっと採れた野菜は税として御上に徴収されちまったからな。残ったのはこんなのばっかりさ。悪いが冷やかしなら帰ってくれ。』
『ああ冷やかすつもりはねぇよ。並んでるのを全部くれるかい。』
『へ?全部?』
『全部でいくらだ?』
橋山がそう言うと、店主は口を開けたまま唖然としていたのであった。
『悪いが店主、この野菜は村で食うに困ってる連中にでも配り歩いては貰えねぇか?この様子ではそんな村人も居るだろ。』
『ああ、ありがとうよ。それじゃあ子供が多い家にでも配り歩いて来るさ。あんたぁ良い人だな。』
店主はそう言うと代金を受け取り頭を下げていたのであった。
橋山は村を後にすると東へと足を向ける。
向かった先はタゴノ藩藩主、村木宗忠の元であった。
◇◇◇◇
『うむ。ザクラ藩よりの民の受け入れか。それは構わぬが、受け入れるにはそれなりの準備が必要であろう。』
橋山は藩主村木へザクラ藩からの移民の受け入れを打診していた。
『何処か土地の提供をお願い出来ませんかね?移民用の村の下地は俺が拵えますんで。』
『橋山がそこまですると申すか。良いだろう。では土地は早急に手配しよう。何分うちの藩は土地だけは腐るほどに余っているからな。』
村木はそう言うとお茶を啜りながら笑っていた。
『ありがとうございます。土地が決まり次第直ぐに取り掛かりたいと思います。もうあの現状は見てられませんよ。俺に出来る事はやってやりたいと思いますんで。』
橋山はそう言うと、村木へと感謝の気持ちを込め深く頭を下げたのであった。
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