四話
昼休み、美沙子と二人でお昼を食べようと弁当を鞄から出した。すると蓋に「超手抜きだよ。おいしいものが食べたいなら、自分で作りなさい」とメモが貼られていた。
「ありゃ、これから大変だねえ」
「ママ……。私が勉強で疲れてるの、知らないのかな」
「しょうがないよ。お母さんだって、毎日家事してるんだし」
「私も、美沙子みたいに料理教室に通っておけばよかった」
後悔しても、過去には戻れない。とにかく、努力するしかない。弁当の中身も、確かに手抜きで作ったものしか入っていなかった。
ふと、塚田は普段どんなものを食べているのか気になった。好き嫌いや、味付けも聞いてみたい。誰が弁当を用意しているのかも。本人に質問したら、答えてくれるだろう。優しい性格だし、隠す必要もない。ただ、「どうして知りたいの?」と聞き返されたら、どういう返事をすればいいのか。まさか好きだからとバラせないし、何となく……では変だし。恋は悩みが付きものと言うが、その通りだ。
家に帰って、歩にメモを見せる。
「ママ、まだ私、料理作ったことないんだよ。いきなりお弁当作れって言われても無理だよ」
「ママは、誰にも教わらないで作れるようになったけど?」
「ママと私は、違うの。基本を知らないんだから」
すると、歩はテーブルに何か置いた。レシピ本だった。
「これで勉強しなさい」
初心者用のレシピ本だ。もちろん、独学では身につかない。ドジだし、火事でも起きたら取り返しがつかなくなる。とりあえず、レシピ本を受け取って、自分の部屋に入った。
翌日から、一人きりの料理練習が始まった。キッチンのどこにフライパンや鍋が置いてあるかわからず、いろいろ聞きながら手を動かす。立派な奥さんになって、塚田に手料理を褒められるように、ただそれだけを頭に浮かべた。瞳は、素晴らしい妻だなあ。俺、幸せだよ。瞳がそばにいてくれて……。大好きな人の笑顔は、やる気を与えてくれる。
弁当は、さすがに歩が用意してくれたが、やはり手抜きなオカズばかりだ。腹がいっぱいにならず、苦手な運動は失敗の嵐。クラスメイトに「朝倉さんっ」と文句を浴びせられて、美沙子だけが味方だった。
「お腹ペコペコだから、しょうがないよね」
「そう言ってくれるの、美沙子しかいないよ」
「土日にあたしの家にきてくれれば、教えてあげるよ」
「え? いいの?」
「うん。親友が困ってるのに、放っておけないでしょ?」
「あ、ありがとう。美沙子、めっちゃ優しい」
ぎゅっと抱きつく。美沙子も笑って頷いた。
約束通り、美沙子の家に行った。すでに材料は買ってあり、簡単なカレーを教えてもらった。美沙子とお揃いのエプロンを腰に巻き、始まりだ。
「ニンジン、切って。ジャガイモ、切って。次は、お肉」
「こう?」
「そうそう。瞳、包丁使うの上手だね」
「上手かな?」
「あたしより、全然上手いよ。じゃあ、お鍋に入れて」
「よいしょっ。あとは?」
「あたしがやるよ。瞳はソファーで休んでて」
「わかった」
エプロンを外し、リビングへ移動した。テレビを観ながら待っていると、カレーの匂いが漂ってきた。
「できあがり。一緒に食べよう」
皿に白米を乗せ、カレーをかけた。スプーンですくう。
「うっわああああああっ。おいしいっ」
「自分で作ったから、おいしくなるんだよ」
「そうだね。美沙子のおかげだよ。ありがとう」
「いやいや。瞳が頑張ったから」
二人で、カレーをいただく。こんなにおいしいカレーは、生まれて初めてだった。
「次は、ハンバーグ作ってみる?」
「いいの? 作ってみたい」
「OK。材料、用意しておくね」
「楽しみ。いろんな料理、作れるようになりたい」
しっかりと約束して、美沙子の家から出た。
さっそく、歩にカレーをごちそうした。
「へえー。けっこう、おいしい」
「美沙子が教えてくれたんだよ。昔から、料理教室に通ってたんだって」
「そっか。優しい親友がいて、幸せだね」
「ママは、そういう親友いなかったの?」
「友だちはたくさんいたけど。瞳が美沙子ちゃんと仲良くしてると、羨ましくなるよ」
あまり、歩の学生時代は聞かない。独りぼっちで過ごしていたのかもしれない。もし瞳だったら、寂しいのではないかと思い、一緒に遊ぼうと話しかけるが。
孤独は、とても悲しい世界だ。誰にも見向きもされず、避けられて生きていく。他人の冷たい態度。近づくなという視線。傷つくし、辛い。それでいて、相談に乗ってくれる相手はいないのだ。ずっと、悲しい気持ちを抱えたまま歩いていくなんて、瞳だったら耐えられない。美沙子と出会って、確かに幸せな日々が続いている。
ある日、クラスメイトたちがおしゃべりをしていた。
「塚田くんの試合、来週の日曜だって」
「強いチームと戦うんでしょ?」
「大学生だって。負けなしの塚田くん、勝てるかな?」
「たぶん勝つよ。大学生のチームでも。ていうか、負けて残念がる塚田くんが想像できない」
「見に行かない? 応援したいじゃん」
「あ、いいね。行こう行こう」
それ、私も行っていい? と言いたくなったが、美沙子とハンバーグを作る約束をしたとブレーキがかかった。クラスメイトは、「かっこいい塚田を見るぞっ」と盛り上がっている。空しい思いが胸にあふれた。
「私も、大好きな塚田くんの試合、見たい。一度も行ったことないし」
独り言を漏らす。練習試合は必ず見に行くが、実際はどんなプレーで大活躍しているのだろう。
こういう時、好きな人を優先するか、親友を優先するか迷う。わざわざ材料を買って、美沙子は瞳とハンバーグ作りを楽しみにしているはずだ。それを断って試合に行ったら、ギクシャクしないか。それとも、優しい性格だから何も言わないか。瞳と塚田を仲良くさせたいと願っているし、背中を押してくれるかもしれない。
「……当日の朝に、電話してみよう」
そっと自分に言い聞かせた。
「ちょ、ちょっと。あたしが行くなっ、なんて答えると思ってるの? 早く行ってきなさいっ」
「え? そうなの?」
「聞くまでもないでしょ? あたしが、普段どんなこと考えてるのか」
日曜の朝六時、パジャマ姿で美沙子に聞いてみると、即答された。驚いて、目が丸くなる。
「そ、それじゃ、行ってくるっ。思いっきり応援するっ」
「よしっ。頑張れっ」
「ありがとうっ」
すぐに着替えて、バッグにタオルとスポーツドリンクを放り込んだ。渡せるかどうかわからない。けれど、もし……もし塚田が気づいてやってきたら、お疲れさまと笑ってあげたい。その時、手ぶらだったら気が利かないと思われてしまうので、この二つを持つことに決めた。
電車に乗って、試合が行われる学校へ向かう。クラスメイトの話から、となりの駅の大学だと知っていた。瞳は、バスケのルールも技も全くのド素人なため、とにかく塚田の姿を目で追うだけだ。
瞳が座る席は、かなり遠くて塚田の顔が見えなかった。ボンヤリとしかわからない。けれど、かっこいいのは走り方、ボールの投げ方で伝わる。
「塚田くーんっ。頑張れーっ。アイラブ塚田くーんっ。私の王子様ーっ」
周りにいる人間など頭から消えていた。横に座っていた人は、少し驚いたかもしれない。
試合は、ギリギリセーフで勝った。最後に塚田がシュートをして、逆転勝利。キャーッと歓声が上がり、瞳もバンザイで大喜び。
「やったやったっ。さすが塚田くんっ。サイコーッ」
ピョンピョンジャンプし、さらに横に座っていた人は驚いたはずだ。
試合終了後、選手たちが待合室のような場所へ戻っていった。ハッと気づき、瞳もドアの前に立つ。しかし、なかなか選手は出てこない。一時間待ってもドアが開かないので、結局そのまま帰った。タオルもドリンクも渡せず、残念な気持ちがいっぱいだった。
電車の中で、美沙子に勝利したこと、行ってこいと背中を押してくれた感謝を電話で話す。
「そっか。よかった。まあ、塚田くんが負けるわけないもんね」
「一回だけでいいから、試合してるところ見たかったの。タオルとドリンクも渡せられたら……」
「今日が最後の試合じゃないんだから。また応援して、その時に渡せばいいじゃない」
「そうだね。美沙子の言う通りだ」
はははっと笑う。歩が羨ましいと言っていたが、瞳はとても友人に恵まれている。
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