霖雨蒼生
真緋間 優翔
霖雨蒼生
虫の音も寝静まり夜が一層深みをました刻。
開け放たれた窓の向こうに流れる川のせせらぎが、乾いた病室を満たしていた。
清潔な白百合色のシーツに寝そべる一人の少女。その瞳は宵闇を吸い込んだように黒く塗りつぶされている。
傍に寄り添うは知人か、家族か。なにせよ遠くない歳のこれまた少女が窓の縁に腰かけて話しをしていた。
「月が綺麗ですね」
しみじみと呟く声が清涼な空気に染みわたるようだった。
「私、青空よりも夜空が好きです」
空を見上げる少女の輪郭を、初秋の風が撫でるように吹き抜ける。
「夜空を見ていると、名も知らない場所で名も知らない誰かが私と同じように、この景色を眺めているんだって、愛おしいような情緒を感じます」
ありきたりですかね?と微笑む少女は浮かせた足をぶらぶらと揺らす。
「星を数えてみたりして、たまには月明りから目を逸らして宵の隙間にできた暗闇に想いを馳せたり」
横たわる少女の胸が微かに膨らみ、一息つく間もなく収縮した。その動きはさながら相槌のようにも見えた。
「そうしていると、ふと思うのです。きっと私が消えても、この景色は変わることなく現れて、あなたを照らしてくれる」
横たわる少女の瞳から、一点の星のような煌きが零れ落ちる。白い頬に軌跡を描きシーツを濡らす。
「昇る朝日が闇を光で染めてしまうように、大海原を包み込む霧雨が潮の流れを辿る暖かな風に流されていくように、私の面影も次第に朧げになって、どこにも存在しない空白そのものになってしまう」
再び少女の胸が膨張と収縮を繰り返す。無作為に放り出された彼女の手を窓から降りた少女が握った。
初夏に患う寒気のように冷たい眼がそれを見つめていた。
「もしも私の願いが叶うのなら、また貴方と同じ夜空を見たい」
胸の中に優しく包み込まれた少女の腕が震えだす。
「たとえそれが幾星霜、先のことだとしても」
願いを込めるように額に触れる。少女は腕を放し、再び窓の縁に立った。
「さようなら」
気がつけば、月明りに煌めく星は遠く流れ、東の空は無慈悲にも白みを帯びていた。
慌ただしく人が出入りする病室で、川を渡る少女の後ろ姿を見た者はいなかった。
川の流れをなぞるように、ふっと風が吹けばその面影はもうどこにもないのであった。
霖雨蒼生 真緋間 優翔 @mahimahito
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