あなたの作品がよまれない、評価されない理由は” 私は読者に何もあげ(て・られ)ない、私はこんなに欲してるのに”だ
水源
あなたはかすではない、ただの透明人間あるいはモブなだけ
ものすごく乱暴に言えば読まれないということは、ラノベの中で言う主人公などと同じ教室には間違いなくいるのに名前も書かれないような空気のような存在であるクラスメイトモブのように単に目に誰の目にも入ってないか、その作品が自分にとっても、他人にとってもただの時間泥棒であるか、だと思う。
(「止めてくれカカシ その術はオレに効く」)
あー、カクヨムとかは無名で他の作者さんとか読者さんとのつながりが無かったり、弱かったりするとそもそも作品が目に触れる導線がないので読まれないのは当然ってなっちゃうんですが、自分の時間が有限なように他人の時間も有限です。
故にカクヨムに限らすエンタメ全体がゼロサムゲームで時間と金銭というパイの奪い合いなわけですね。
エンタメは時間や金銭と引き換えに楽しみを提供する存在だと私は思ってます。
しかし、読まれない作品は”私は読者に何の感動も楽しさもあげ(て・られ)ない、私はこんなに欲してるのに”になってしまってるというわけです。
とはいえその限られた時間で読者の目に止まった上で心を動かさないといけないというのは実に大変なことです。
しかし、カクヨムのランキングなどを見ると星が何万もある作品は間違いなく存在していて、自分でも同じことはできそうにみえてしまうのですよねぇ。
ちなみにゼロサムとは、参加者の得点(利益)と失点(損失)の総和が「0」(ゼロ)になるゲームのことで、得点と失点の合計がゼロになるタイプのゲームです。
ある参加者の得点がプラスなら、他の参加者の失点は必ず同じ量だけマイナスになり、全体で合計するとゼロになるというのが特徴です。
麻雀で誰かが上がったら他の参加者はその出来上がった役に応じて自分の持っている点を上がった相手に払わないといけないというのが一番具体的でしょうか。
清澄の白い悪魔の
「カン!
もいっこ、カン!
もいっこ、カン!
ツモ、チンイツトイトイサンアンコーサンカンツアカイチ、リンシャンカイホー。
32000。
麻雀って楽しいよね」
とかですね。
(今だと咲ネタもわからない人多いか? もう15年前なんだよなぁ)
そういや咲はそもそも点数を±0にして上がるとかやってたな。
公営ギャンブルの競馬や競艇・競輪やオートレース、宝くじなども、いわゆる寺銭と言われる主催者の取り分を除くと、勝者が倍率や等級により得た配当金は負けた人が払った賭け金から出ているため、全体で利益はゼロになります。
無論絶対に儲かるのは胴元だけなんですけど。
話を戻しますが、作品を読んでもらうためには読者に対して小説を読む時間を確保してもらったうえで”センス・オブ・ワンダー”物凄く省略して言えば、その作品に触れて感じる、感動や驚き、不思議さ、斬新さ、楽しさなどが提供されないといけないわけで、まず作品に触れてもらったうえで、読者の心を不快・快などの感情で動かさないといけないわけですね。
だから多くの人に読まれようとするにはテンプレの方が良いが、あんまりひねりのないテンプレだとその数が故に埋もれてしまうという二律背反が生まれるわけですが。
小説を書いて読んでもらおうとすることは、ハガレンのエドの
「等価交換だ。
俺の人生半分やるから お前の人生半分くれ!」
位の覚悟が必要なのかもしれません……は言いすぎだとは思いますが、
「あなたの空いている時間を自分の作品のために使ってくれませんか?
どうにかしてあなたの心を動かしてみせますから」
ぐらいの考えは必要なんでしょう。
そして作者の中にはウィンリィのような
「ほんと馬鹿ね。
半分どころか全部あげるわよ」
と言って貰える人もいるんでしょうけどね。
そういえば、ツイッターで見た、
「インドで先生が自分の中で守るべきルールをいくつか教えてくれたんだけど、「盗もうとしてはいけません。たとえばギターが上手な人の周りに人が集まっていて、それを羨んでギターを始めるのはその人の"立場"を盗もうとしているということです。」と言っていて、なんか、ああ、と思ったな」
というツイートもう名付けます。
これはおそらくそこで本当にギターという楽器によって生み出される音そのものに興味が湧いて始めるなら良いけど、周りに人が集まっているという立場を羨んでギターを始めるのはよろしくないよというお話で、もちろんこれは例え話なのでギターに限った話ではなく小説でも言えることです。
·
集まる人の方の数やそこから生まれるお金を求めたら集客方法を考えるばかりで、ギターの技術を磨くことが解決にならなくなるし、そもそも自分にとってギターという手段があっているかもわからない。
さらには周りの聴いている人たちをその人から奪って自分の観客にすることも必要になるから、相手との終わりのない競争にもなって果てもなく苦しいだけだよっていう話かな?
さらに他人の何かを盗む(羨む)ということは”何かが足りない”という心の穴を、盗むという行為で埋めようとしているんだろうけど、仮に盗んだことでなにかを得ても、一瞬は、得たいものを得られたという高揚感で、満たされた気分になっても、上を見ればまだまだ上は居てホントに欲しいものは得られていないから、まだまだ足りないとなにかを得続けようとするんだと思う。
ハガレンの
「人は何かの犠牲なしに何も得ることは出来ない。
何かを得るためには同等の代価が必要になる。
それが錬金術における等価交換の原則だ。
その頃僕らは、それが世界の真実だと信じていた」
というものは絶対的に正しいわけではないけども、時間や金銭、努力といった何かを対価にして手に入れたものでないと充足感は満たされない気はします。
「俺はこれだけのものを差し出した。
代わりにこれだけの価値を手に入れた」
みたいな感じでしょうか?
一方的に何かを欲する、求めるのは、承認欲求ヴァンパイアなので、まずは等価でなくてもいいので時間と感動というものの物々交換を行える対等な人間を目指したほうがいいのでしょうね。
(「早く人間になりたーい」というネタを今やどのくらいがわかるだろう?)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます