第27話 旅立ち前


 その日の夜は、是長たちとともに夕餉ゆうげを囲んだものの、明日の出立に備えてそれぞれ早めに休むことにした。

 喬任と祥子も二人の部屋に戻る。部屋には、旅の荷物や着ていく物がすでに準備されていて、あとは出発するだけとなっている。

 本来であれば、このまま就寝するところだが、二人は皆が寝静まった頃合いを見計らい、こっそり屋敷を抜け出す。天花の花びらのある洞窟に行くためだ。


「祥子殿、寒くはないか」

「はい。大丈夫です」


 夜になると、めっきり冷え込むようになってきた。うまやで喬任が馬の準備をするのを待ちながら、羽織るものでも持ってくれば良かったと祥子が思ったその時、背後で人の気配がした。


「このような夜更けに、二人でどこへ?」


 はっと振り返ると、狩衣姿の是長が立っている。


「伯父上!」

「私も同行して良いか?」


 祥子たちを鋭く見据え、是長がしたり顔で笑う。

 完全に油断をしていた。喬任が祥子に駆け寄り彼女を胸の中に引き寄せつつ、苦虫を噛み潰したような顔をする。


「いかな右大臣といえ、人の屋敷を勝手にうろつかれるのは困ります。寝床に是長さまの姿がなければ、日野殿が心配します。どうかお戻りを」

「心配いらぬ。義信なら、私の高いびきを確認してどこぞへ出かけてしまった。明日も早いというに、若い者は休むということ知らん」


 図太い是長の言い分に祥子と喬任は呆れ返る。しかも、今とても重要なことをさらりと言った。


「日野殿がいないとはどういう──?」

「さあ? あやつなりに安岐を調べておる様子。が、核心には迫りきれていないようだがな」


 言って是長は悪びれる様子もなく笑い、鋭い視線を祥子たちに向けた。


「喬任、私はおまえだからこそ可愛い姪を預けた。隠し事は、私の判断に影響する。やめてもらえると助かるな」

「……」

「私を信じられぬか?」


 祥子は喬任の顔を見上げる。喬任は瞬きもせず是長を見返している。喬任の喉ぼとけがごくりと動き、おもむろに彼の口が開いた。


「日野義信は信頼できる者であるからこそ、連れてきたのではないのですか?」 

「政治に無関心で、ましな方だと思ったからだ。しかし、そうでもなかったようだ。義信があの様子だと、私の動きは太政大臣に筒抜けの可能性もある」

「そんな悠長な──!」

「悠長はどちらだ」


 是長がぴしゃりと言って捨てる。そして彼は不機嫌そうに鼻にしわを寄せた。


「祥子に一目惚れしたなどと体のいい嘘を。安岐は皇女が必要だった──違うか?」


 祥子が喬任の腕の中でびくりと震える。喬任は昨日のように大声で「違う」と反論しかけたが、しかし、是長の厳しい目がそれを許さなかった。


「先に相談があれば、それなりの手を打てたものを……おかげで、こちらは後手に回ってばかりだ」

「それは……申し訳なく思っています」

「全くだ。皇女と形だけの夫婦で良かったのなら、どちらにせよ、祥子を差し出した。おまえが勝手に皇女を探し回り、挙げ句、祥子に惚れたなどと大騒ぎしたせいで話がややこしくなったのだ。最初から皇女が欲しいと言ってくれれば──」

「是長さま、」


 喬任は思わず是長を止める。これ以上は聞いていられなかった。

 怒りに任せて発せられる是長の言葉は、全くその通りで言い返すこともできない。しかもそれは、結婚前に自分が祥子に発した言葉そのもので、どれだけ酷いことを祥子に言ったか、まるで責め立てられているような気持ちになる。

 あらためて最低なことを言ったものだと自己嫌悪に陥る。腕の中で小さくなっている祥子は、きっと是長の言葉に傷ついてしまったに違いない。


「……八代で何が起こっているのです?」


 やっとのこと是長に問う。ひとまず是長の苦言を打ち切り、そして話を先に進めたかった。


「今さらどうして八代は花びらの所在を探している? 八代は安岐をどうするつもりです?」

「分からない。それを知るために安岐に来た。まずは喬任、今の安岐の状況を正確に私に教えよ。話はそれからだ」

「……」


 しばしの沈黙。

 ややあって、腕の中の祥子がもぞっと動き喬任に向かって言った。


「喬任殿、伯父上を信じてみませんか?」

「祥子殿……」

「伯父上は確かに八代の人間で、喬任殿にとって油断ならない御方です。しかし、私たちのことを本気で怒ってくださっています。そこに嘘は感じられませぬ」


 切々と喬任に訴えつつ、祥子が是長を見る。


「伯父上、私と喬任殿はおっしゃる通り形だけの夫婦にございます。しかし、信頼関係がないわけではありませぬ。今はこうして安岐を守ることを第一に二人で助け合っております」

「うむ、分かっておる。見ていて頼もしいぞ、祥子」


 是長が満面の笑みを浮かべる。その笑顔にも、確かに嘘は感じられない。祥子が信じるというのなら、自分も信じてみようと喬任は思った。

 喬任はくるりと背を向け、厩で作業を再開した。 


「是長さま、馬をもう一頭用意します。夜明け前には戻りますので、遅れずついて来てください」

「ありがとう。重要な場所に案内してくれると思っていいか?」

「はい。あなたが──いえ、八代が探しているものが、そこにあります」


 その後、二頭の馬を走らせて和久山の西に広がる洞窟の森へと向かう。森に入ると、是長はそこかしこに積まれた石を痛ましい顔で見た。


「……あれらは墓石か。ひどい数だ」

「はい。敵も味方も多くの者が死にました。この森は私が死を覚悟した場所です」

「そうか、よくぞ生きていた」

「是長さま、こちらです」


 洞窟にたどり着き、祥子たちは馬から降りる。訝しげな表情の是長を誘い、洞窟の中に入れば、薄っすらと光る壁が足元を照らしてくれた。


「壁が光って──なんと不思議な……!」

「敵から逃れるために偶然見つけた洞窟です。なぜ光るのかは分かりませんが……」


 洞窟の最奥に到着する。すでに、あたりは芳しい匂いが漂っている。そして、平らな岩に鎮座するもの、呼吸をするがのごとく時折ボウッと燃え上がり火の粉を散らす花びらを見て、是長は息を呑んだ。


「これが天花の花びら──」

「ここで、熾火おきびのごとく燃え続けております」

「このようなところで……前国守はどうなったのだ?」

「花びらの傍らで骨となって朽ち果てておりました」


 是長が、目を見開く。そして、まじまじと花びらを見つめつつ呟いた。


「身の程を知らぬ者の成れの果て、ということか。花びらは、ここに御身をお隠しになったのだな」

「おそらく。私は、自分がここに迷い込んだことを偶然だとはおもっておりません。八代で祥子殿と出会えたことも」


 是長が全て了解したとばかりに黙って頷く。そして気持ちを落ち着かせるべく大きく息をする。


「えも言えぬ芳しい匂いだ。八代の天花も同じような香りを放つのであろう?」

「それは、そうでございましょう」


 何を当然とばかりに喬任が答えれば、是長が思案げにあごをさすった。


「あの、何か?」

「宝炎殿に一度だけ行ったことがある。当然ながら天花の姿を拝することはできなかったが──あそこは、なんの香りもしなかった」


 喬任と祥子は思わず顔を見合わせる。

 八代に出発する時間が迫っていた。

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