第10話 祥子の決意

 都風に飾られた祥子の部屋で待つことしばし、どたどたと慌てた様子で喬任がやって来た。


「しょ、祥子殿、あなたが都に帰りたくなっていると彩から聞いた!」

「え?」

「今ほど泣いておったと。その直後に俺を呼べと言われたと」


 どうやら彩に勘違いをされたらしい。祥子はすぐさま訂正した。


「違います。そうではなくて……」

「なくて?」


 祥子は気まずそうに奥の部屋を見る。つられて喬任もそこを見る。次の瞬間、喬任が「んぐっ」と喉を詰まらせた。


「早急に意思のすり合わせが必要かと思って……」

「そ、そうだな。そこは俺も思っていた。さすがに二人で隠し通すのは難しいと思い、さっき次朗に打ち明けたところだ。今夜のことも相談済みだ」

「そう、良かった」


 ということは、彩も知るところとなるだろう。ひとまず心強い味方ができたことに祥子はほっとする。すると喬任が微妙な顔をした。


「なに?」

「や、あからさまにほっとされるのも……」

「真面目に話し合うつもりあります?」


 こちらが必死だというのに、何をのほほんと。いらっとした顔を祥子が返すと、喬任が慌てて居住まいを正して言葉を続けた。


「まあ、とにかく。部屋を分けるのはまずいと次朗に言われてな。そこで畳を二つに分けることになった。寝所の準備は彩一人にお願いするから問題ない」

「畳を二つに、」

「祥子殿には指一本触れない! 背を向け、顔も見せない!」

「……」


 別にそこまで言わなくても。

 さっきの喬任の反応を棚に上げ、気持ちがもやもやとする祥子である。が、本題ではないので聞き流す。

 安岐に来るまでも、何度か寝泊まりをしており、喬任と一緒に夜を過ごすのは今夜が初めてというわけではない。要はあれの延長だと思えばいい。

(いや、そう思おう。でないと、もろもろ辛い)

 祥子が心の中で自分自身に言い聞かせていると、喬任がじっと祥子を見つめてきた。その真剣な眼差しに祥子はどきりとする。


「今度はなに? 寝所のことは分かりました」

「……さっき泣いていたと彩から聞いた。雑仕女たちが祥子殿の悪口を言っていたとか」

「そのせいではありません。ちょっと都の家族を思い出しただけです」

「それでも……来て早々、気分の悪い思いをさせた。悪口を言っていた雑仕女たちは配置を変える」

「やめて。まるで私が喬任殿に言いつけたみたいだわ。彩には黙っておいてと言ったのに」

「祥子殿に関して不都合なことは全て報告するよう彩に申しつけてある。むしろ隠されると判断に影響が出るので止めて欲しい」


 最後は為政者らしい顔で諭され祥子は神妙な顔で黙る。同時に、女主人としての自覚が足りなかったと反省する。

 確かに、国守の妻が聞こえよがしに悪口を言われ、それを甘んじて受けているようでは屋敷内の秩序は保てない。


「ごめんなさい。私がやり過ごせば済む話だと思って……」

「やり過ごす必要なんてない。祥子殿は俺の妻だ」


 あらためてはっきりと口にされ、祥子はたじろぐ。

(馬鹿ね。喬任殿は、私のあるべき立場の話をしているだけよ)

 そうこれは、国守の妻として相応の振る舞いをしろという話で、決して愛情をささやかれているわけではない。わけではないが、妻という言葉はそれなりの威力があって、気持ちが波立つ。

 高鳴る鼓動を必死で落ち着かせ、自分が果たすべき役割をあらためて祥子は考える。宮家の姫として、国守の妻として、自分が出来ること──。

 まずは誇りを持って堂々としていること。六ノ宮家が相手に通じようが通じまいが関係ない。そしてもう一つは、安岐に馴染むこと。いつまでも都人みやこびとの気持ちでいては、安岐の民と心を通わせることなどできないだろう。当面は、大きくこの二つだ。

 ふと、彩のことを思い出す。彩は都の礼儀作法も言葉づかいも知らないが、真っ直ぐで優しい素敵な女性だと祥子は感じた。同時に、祥子の中である決心が着いた。


「喬任殿、お願いがあります」

「なんだ?」

「明日にでも髪を切ろうと思います。準備をして欲しい」

「は?」


 意気揚々と宣言する祥子に、喬任は目を丸くした。

 都の女性にとって、黒髪は女性が美の象徴ともいえるものだ。長くて黒く艶のある髪が良しとされ、祥子も日々の手入れを欠かしたことはない。切る場合でも毛先を整える程度で、祥子の髪は自身の背丈より長い。

 喬任が今度はわなわなと震え出す。


「婚礼の宴さえまだなのに……いきなり出家!?」

「だから違います! 動きやすくなるためです!」


 どうしていちいち悲観的なのだ。祥子は喬任にぴしゃりと言って、膝一つ詰め寄った。


「彩が言っていました。安岐の女性は働き者で、髪は邪魔になるので結んでいるのだと。とすれば、髪を伸ばしたまま結びもしない私は、それこそ邪魔者以外に他なりません」

「その見事な黒髪を切ると言うのか?」

「ええ。意外と手入れも楽そうですし」

「いやいやいやいや」


 喬任がぶんぶんと頭を振る。そして難しい顔をしながら声を絞り出す。


「そんなの駄目だ」

「どうして?」

「宮家の姫が動きやすさを求めて髪を切るなど──聞いたことがない」

「だったら、私がその最初となります」

「しかし……」


 ええいっ、うだうだと。祥子はさらに膝一つ詰め寄った。

 こちらは身一つで安岐に来た。今さら何を惜しむというのだ。


「私は喬任殿の妻、でございますよね?」


 あえてそこを強調すれば、喬任がうっと言葉を詰まらせた。祥子は心の中で勝ちを確信する。


「国守の妻として、安岐の女らしく髪を短く切りまする」

「せめて婚礼の宴まで。ほら、切りたくなくなるかもしれないし」

「嫌です。今すぐ切ります」


 祥子は、喬任の反論をいっさい聞かず強引に押しきった。

 そして、まだぶつぶつ言っている喬任を叱咤して再び彩を呼び戻し、髪を切りたいことを伝える。当然と言うべきか、彼女は何があったのだと目を吊り上げた。


「喬任さま、私は祥子さまが泣いていらっしゃるから慰めていただきたいと、そうお願いしたはずですが?」


 腕を組んで座る彩の前に、喬任は神妙に座らされている。立場としては喬任が上だが、夫婦としての経験は彩が上なので、頭が上がらないらしい。


「わ、分かっている。だからこうして──」

「それがなぜ、髪を切るという話になるのです?」

「彩、私がお願いしたことなの。怒らないで」


 祥子がなだめると、彩は少し怒りを収めてくれた。しかし納得はしていない様子で、悔しそうに祥子を見つめる。


「今ほど、夫から事情を聞きました。もう彩は、情けなくて情けなくて……。だいたい、ふみで連絡をいただいてから何度も本当だろうかと思ったのです。あの朴念仁の喬任さまが都の姫を連れて帰ってくるなんて──」

「朴念仁とはあんまりだな」

「おだまりなさいませ!」


 ぎっと彩に睨まれて、喬任は大きな体を小さく縮こませる。さしずめ、大鷲に睨まれた鷹、と言ったところだろうか。

 彩は祥子に向き直り、深々と頭を下げた。

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