第2話 ライデン辺境伯家
私は辺境伯の前から下がり、控室に向かった。
控室は質実剛健なライデン家の気風を反映しているのか、木製の壁に辺境伯家の紋章が控えめに飾られ、質素な雰囲気を際立たせていた。
そこで私は制服を脱ぎ捨てると、水を浴びて埃を落とした。辺境伯軍の略装に着替え、鏡を見て身だしなみに問題が無いかチェックをする。
そこには柔らかな黒髪と意志の強そうな瞳をもつ精悍な青年の顔があった。引き締まった顎と、騎士としての訓練で鍛えられた肉体が、辺境伯軍の濃紺の略装を映えさせている。私は両親を物心がつく前に亡くし孤児だったが、そんな私を辺境伯はかわいがって育ててくれた。そのご恩を一生をかけて返していきたいと思っている。
「よし」
私は短く呟くと控室を出た。
後刻、辺境伯に呼ばれた私は執務室に入る。
執務室に入るとまず辺境伯家の大きな紋章が壁に掛けられているのが目に入る。その反対側の壁にはオラニエ王国を中心とした大きな地図だ。いかにも生粋の軍人である辺境伯らしい内装だ。
中央を見ると応接スペースがあり、更にその向こうには重厚なマホガニー材の執務机がドンと存在感を露わにしていた。その机の上には書類の山が積み上げられており、今までその執務をしていたようだ。辺境伯は私に気付くと顔をあげて、応接スペースの椅子に座るように言った。
マティス・ファン・ライデン辺境伯は壮年の偉丈夫で短く刈り込まれた髪と褐色の肌が、戦場を好んで駆ける性分を物語っている。そして鋭い目元と、浅く蓄えたあごひげの口元に威厳を漂わせながらも、今は少し笑みを浮かべていた。辺境伯は私の正面にどかっと腰を下ろすと私に話を促した。
私は卒業記念パーティーの一部始終を、まずは手短に報告した。
すると辺境伯は快活に笑い
「よくやってくれた。まずソフィーを守ってくれたことに礼を言う。入れ違いに憲兵隊が来ていたそうではないか。もし捕まってもすぐに釈放されただろうが、憲兵隊に逮捕されるようなことがあったら、今のソフィーの精神状態を考えると、とてもわしは耐えられぬ。」
「いえ、当然のことをしたまでです。むしろお嬢様と学園でともに学ばせていただいていたのに、未然に防げなかったのが悔やまれます。」
マティス辺境伯は生粋の軍人であり、豪胆な人物として知られているが、同時に非常に子煩悩で、特に一人娘のソフィエを溺愛していることで有名だった。
逆にソフィエが憲兵隊に捕まっていた未来を想像すると、背中に嫌な汗をかいてしまった。
「あのクソ王子め。だからあのような者にわしはソフィーを嫁に出すのは、反対だったのだ。」
私は「誰が相手でも辺境伯は反対したのでは?」と思ったが、さすがに口には出さなかった。その代わりにお嬢様の様子を聞いた。
「お嬢様の様子はいかがでしょうか。」
「うむ。やはりというかさすがに憔悴しておる。もう不憫でならん。そういえば『ディルクに礼を言いたい』と言っていた。後で会ってやってくれ。」
「はっ。誠においたわしいことで。」
「うむ、今は妻のアメリアがそばについてくれている。少しは落ち着いてくれると良いのだが。」
「そうですね」と私は頷いた。
「早速王家には抗議の使者を出したのだが、のらりくらりとこちらをなだめるばかりで、腹立たしいことに肝心のはっきりとして返事はない。このたびのソフィエへの仕打ちといい、このようにライデン辺境伯家を軽んじておることといい、とても我慢できぬ。このままの対応が続くのであれば、王都の屋敷を引き払って国に引き上げることも視野に入れねばならぬ。」
「そんなことまで私が聞いてよろしいのですか?」
「構わん。ソフィーの第一騎士であるディルクは知っておくべきだろう。
普段であればソフィーに任せておいて問題ないだろうが、今は不安定であり周りの者が判断する必要な時があるかもしれん。それも視野に入れて動け。」
「ははっ。」
「それとディルクのことは信頼している。ソフィーの力になってやってくれ。」
「命に代えても。」
ありがたい言葉だ。主君の大きな信頼に胸が痛いほどだ。胸に手をやり、改めて忠誠を誓う。
「うむ、頼んだぞ。では、下がってよい。」
執務室を辞した私は、そのままソフィエお嬢様のお部屋に向かう。ちょうど鉢合わせるようにして、メイドがお嬢様の部屋から出てきたので、中の様子を聞いた。
メイドはぶつかりそうになったせいか少しびっくりした顔を見せたあと、なぜか頬を赤らめた。急に話しかけて驚かせてしまっただろうか。
「今は夫人がついておられます。お陰で少し落ち着かれたようです。」
と教えてくれた。すると
「ディルク、いるのでしょう?入りなさい」
すこし高い凛とした声で部屋の中から呼ばれた。辺境伯夫人の声だ。
「はっ、ディルク入ります。」
お嬢様の部屋に入る。
その部屋は落ち着いた雰囲気の中に、整然とした機能美が感じられる部屋だった。半分は侍女や護衛兵の詰め所で、残り半分がお嬢様のデスクや来客用のソファーなどがある。寝室はもう一つその奥の扉の向こうだ。夫人とお嬢様はここにはおられず、寝室との境のドアは開け放たれており、どうやらそちらから呼ばれているようだ。
第一騎士とはいえ、私が基本的にお嬢様の寝室に入ることはなく、恐れ多いが呼ばれているので仕方ない。
寝室は薄いピンク色を基調とした愛らしい部屋だった。正面のチェストの上には白と薄いブルーの2匹のかわいらしいうさぎのぬいぐるみが仲良く並べられている。窓が開いているのか、薄いピンクのカーテンが揺れている。こちらも薄いピンクの布が垂れ下がる中央の天蓋付きのベッドにはお嬢様が上体を起こした状態で私を見ていた。その奥には夫人が簡易椅子に座っていて、2人でお茶をしていたようだ。
「こちらにいらっしゃい。」
夫人はソフィエお嬢様と同じサファイアブルーの髪を優雅に結い上げ、薄紫のドレスに身を包んでいた。夫人は今もなおお美しい上に、とても気さくなお方だ。幼いころより私もよくかわいがっていただいた。そんな夫人の隣には椅子がもう一つあり、そこを勧められたようだ。先程まで辺境伯がいらしていたのかもしれない。勧められるがままにそこに座る。
「あなたがソフィーを支えてくれたこと、あの子からたくさん聞きましたよ。私は何もできなかったのに、ディルクは何でもないように私を助けてくれた。すっごいカッコ良かった。惚れちゃいそうって。」
「ゴホッ、ゴホッ。お母さん!私そんなこと、言ってないでしょ!?」
あまりの発言にちょうどお茶を飲んでいたお嬢様がむせたようだ。
「あら、そうだったっけ?」と言いながらも、お嬢様にポカポカと叩かれている夫人はちょっと楽しそうだ。それを微笑ましく見ていたら、お嬢様は私と目が合い顔を赤らめて背けられてしまった。
「過分なお褒めの言葉、痛み入ります。」
お嬢様の口からそんな発言が出るはずもないが、ここは夫人の発言に乗っておく。
「だからそんなこと言ってないってば」というソフィエお嬢様。そこをさらに夫人が「イケメン」だの「前から気になっていた」だのと次から次へと明らかなでっちあげでお嬢様をからかっている。でもお嬢様に少し元気が出たようで良かった。
よく見るとまだ日は高いのにお嬢様は柔らかなピンクの寝巻に着替えており、心労は大きかったのだなと思うとともに、その無防備なお姿に私は目のやり場に困り、そっと視線を外した。
「でも本当にディルクのお陰で助かったのは事実よ。私は何もできなかった、何も言えなかった。」
「お嬢様が当事者過ぎただけです。もし私と同じ立場でしたら、もっとスマートに立ち回られたでしょう。」
お嬢様はとても悔しそうだが、これは決してお世辞ではなく、お嬢様は本当に優秀だ。幼い頃から王妃教育を受けていたのは伊達ではなく、本来であればお嬢様が首席で総代だったのだが、同学年に王太子がいたので譲ったのだ。未来の夫の顔を立てたつもりが、結果的に後ろ足で砂をかけられた形になってしまったが。
ちなみに私は20位くらいだった。成績順に振り分けられる学園でお嬢様と同じクラスに所属するために、これでも血のにじむような努力したのだ。
お嬢様がある程度元気になられたのは良かったが、王家はこの期に及んで謝罪の一つもなしとは一体何を考えているのか。
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