3−3

「あ、そうだこれ。……郵便受け、いっぱいだったぞ」

 ベッドの上に座る真田に、俺は郵便受けからとってきた手紙やチラシの山を差し出した。

「持ってきてくれたのかぁ? わるいなぁ」

 真田はやはりのんびりとした動作で受け取り、それらを一つずつゆっくりと、しかしどこかぼんやりとした様子で見始める。

「家から出られないんならさ、飯とかはどうしてるんだ?」

「えぇ? そりゃあ、デリバリーとか出前でなんとかなるしぃ……」

 なんとなく、この家に来ていた時に何度もやってきた、間違い配達のことを思い出してしまった。

 今はあの配達が間違いではなくなったのかと思うと、なぜか背筋がゾクリとざわつく。キッチンに積まれていたあのゴミ袋の山のいくつかは、デリバリーなどで届いた食べ物の梱包によるゴミだと思うと妙にそわそわした。

 生きていればゴミは必ず出るものである。でも家からは出られないのでゴミ捨てが出来ず、ああしてゴミ袋が山のように溜まっていくのだ。

「食べてるならいいけど、キッチンのあのゴミはヤバいだろ。その、身体にも良くないだろうし……」

「んー、そうなんだけどぉ」

「そのやる気がないってのも、部屋が散らかってるせいなんじゃないか?」

「えー、そうかなぁ?」

 やんわりとキッチンの様子や体調について指摘してみたが、真田は意に介さずといった状態で、なかなか難しい。

「……いやーでも、なんかさぁ」

 郵便物を一つずつ確認していた真田が、突然バラバラと手に持っていた郵便物を床にぶちまけ、ばたりとベッドに仰向けに横たわった。

 なんだか気力で元気に見せていたのが、ついに電池切れになってしまったような。

「おい、何してんだよ」

 俺は慌てて散らばった郵便物を拾い上げようとしゃがみこむ。改めて顔を近づけて見た床は、あんなに綺麗に整頓されていた頃の面影もなく、ありとあらゆるゴミで散らかっており、その下のフローリングには奇妙なシミまで出来ていた。

「オレ、このままこの家に、溶けちゃうんじゃないかなって」

 ぼんやりと天井を見つめながら、真田が呟くように言う。

 俺はその言葉に全身がゾッと総毛立つのを感じた。なんだかこれは、すごく、よくない気がする。

「……なに、言ってんの」

「でも、それもいいかなぁって」

 どう返せばいいのか分からなかった。

 真田はどこか恍惚とした表情で天井を見ている。

 いくらこの家が好きだからと言っても、そんなふうに考えるのは異常だ。しかしもう、手遅れのような気がする。

 だって今、こうして真田と話をしているだけなのに、逃げ出したくてたまらない。

「……その、病気かなんかなのかなって思ったから、食えそうな物を買ってきたんだけど」

 もう下手に現状を伝えたり、説得をしたりする気持ちにはなれなくて、俺は差し入れの入ったビニール袋を真田に見せる。

「コレ、食ってくれよ」

 ぼんやりとした表情のまま、ぐるりと真田の目だけが動いてこちらを見た。俺を見ているのか、ビニール袋を見ているのか、もう分からない。

「あー、後で食うからおいといてぇ」

 真田がそう言いながら、ゆるゆるとした動作でベッド脇のミニテーブルを指さした。

「……ちゃんと食えよ」

 俺は言われた場所に積み上げられていたゴミの山を片付けると、持って来たビニール袋をそこに置く。

 それからもので溢れたゴミ箱にかけられたビニール袋を取り外し、ベッド周りの床に落ちていたゴミを拾っていれはじめた。ゴミの中で過ごしていたら、ただでさえ良くない体調が悪くなりそうだし、なんとかしなければと思ったのだ。

 床にはゴミだけでなく、スマホも落ちていたので、それもちゃんと拾い上げ、ミニテーブルの上に置いてやる。郵便物を床にばら撒いたように、スマホも俺と電話で話した後、床に放り出したのかもしれない。

 袋はあっという間にいっぱいになってしまい、ぎゅうぎゅうに押し込んでクチを縛る。

「キッチンのゴミ、俺が少し出しておくからな」

「ああ、わるいなぁ」

「鍵、ちゃんと掛けておけよ」

「おー」

 ベッドに寝転がり、天井をぼんやりと見つめたままの真田が、ゆっくり手を上げて小さく左右に振った。

 俺はそれを見届けると、ゴミをまとめた袋を片手に、また迷路のようなレイアウトのリビングを通り抜け、キッチンに戻る。

 そしてすぐ、大きなゴミ袋をキッチンの戸棚から探しだし、積み上げられたゴミ袋を可能な限り一つにまとめ始めた。逃げ出したい気持ちと、何とかしなければという気持ちでグチャグチャになりながら、ゴミ袋をまとめる。

 俺はたくさんまとめたゴミ袋を持てるだけ持ったまま玄関を出ると、逃げるように階段を駆け下り、小道を大通りのほうへ向かって走った。

 慌てていたのと混乱していたせいだろう。向こうから歩いてきた青いワンピース姿の女性に気付かず、ぶつかりそうになってしまった。

「うわっ」

「きゃっ」

 なんとか直前で身体を捻り、ぶつかることは避けられたものの、すれ違いざまに女性が小さく悲鳴をあげる。しまった、と思いつつ、俺は慌てて頭を下げながら振り返った。

「す、すみません!」

 しかし反応はない。

 あれ? と思いながらゆっくり顔を上げると、そこに女性の姿はなかった。

「……は?」

 おかしい。声も聞いたし、着ていた鮮やかな青いワンピースの色も覚えている。確かにいたはずの人間が、そんなに一瞬でいなくなるものだろうか。

 そこでふと、よく配達先を間違えていた配達員も、鮮やかな青いジャンバーを着ていたことを思い出してしまった。

 青。青。青色。

 鮮やかな、配達員の着ていたジャンバーと同じ青。

 ただでさえ真田のことで気味が悪くなっていたのに、あんなに住みたいとまで思っていたはずなのに、今はもうアパート自体が怖くてたまらない。

 アパート前に植っている花盛りを過ぎた紫陽花が、薄暗い影の中で見せる、枯れて茶色く痩せ細った姿のそれすらも気持ち悪い。

「なん、なんだよ……!」

 呟くようにいって、俺は再び駆け出した。可能な限り早く、この場を離れたかった。

 小道を大通り側に出ると、すぐ近くの電信柱のところにゴミ収集場所がある。俺はそこに真田の家から持ち出した大きなゴミ袋をいくつも置いた。

 それからすぐに小道のほうではなく、広くて人の多い大通りのほうを、自分のアパートに向かって走り出す。小道を通ったほうが近道ではあるが、まだそれなりに陽の高い時間のはずなのに、今は一人であの路地を通り抜けられる自信がない。

 逃げるように走って走って、自分の家にたどりついてようやく、落ち着けた気がした。

 玄関を入ってすぐのところで、俺は崩れるように座り込む。たぶん、高校生の時以来の全力疾走だった。

「……連絡、しなきゃ」

 まだ荒い呼吸を落ち着けながら、俺はポツリと呟く。

 あの状態は、自分だけでどうにか出来る問題ではない。

 誰かに手伝ってもらわないと、真田をあそこから助け出せる気がしなかった。

 俺はひとまず、今回真田の様子を見にいくきっかけにもなった、寺町に連絡をしようとスマホを取り出す。

「……ヒッ!」

 画面を見た俺は、小さく悲鳴を上げて思わずスマホを放り投げた。

 スマホの待ち受け画面に、メッセージの通知が出ていたのだが、それが真田からだったのだ。


〈真田:また来いよ〉


 短いただの別れの挨拶。それだけなのに、妙に恐ろしくて、メッセージを開くことができなかった。

 俺は何度か深呼吸をし、心を落ち着ける。

 それから、真田からのメッセージはそのままに、連絡先を交換したばかりの寺町宛にメッセージを打ち始めた。

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