邪神降臨

「……所でジェウル君」

「なんでしょう」

「あの蛸、なんでビルに纏わりついてるんだと思う?」

「なんで、と言われましても……急に海から上がってきたんですよね」


 ケナが巨大な蛸への攻撃を仕掛けている最中、手持ち無沙汰になった守とジェウルの会話を、アルバートは魔術の構成に集中しながら聞いている。

 言われてみれば確かにそうだが、蛸の生態、ましてあそこまで巨大な物となると従来の生態と何が違ってもおかしくは無い。そういう事もあるのだろう、と流していたのだが。

 アルバートの乗っていた列車を振り回し、都市を破壊して回るのかと思いきやそういう訳でもなかった。東区の中でも被害は軽微に収まっている事だろう。

 一応、アルバートから見える位置にも車両の一部分であると思われるものが、ビルの周りに落下してはいるのだが。


「……そういえば、結界の外から来たんですよね、あの蛸」

「ほう、と言うと?」

「あー……僕が都市の外から乗ってきた列車が、結界に突入するみたいなアナウンスと同時にふっ飛ばされて。その原因があの巨大な蛸だったので」

「成程、となると結界の外から来たわけですか。内ならまだしも、妙ではあります」

「いやぁ、ただまぁこの街の近くは不可思議なことが頻繁に起きる。結界があるとはいえその影響を全て遮断できているわけではないのでしょう」


 巨大な蛸そのものに不自然さは無いが、やはり何故ビルにとりついたままなのかという疑問は解消されない。

 列車を襲うのが自らの近くを移動する物体に対する反射的な防衛から来る攻撃だったとして、その後の行動には繋がらないのだ。

 分からないが、其処には何かしらの意思が介在していてもおかしくない様にアルバートには思える。この街に詳しくない以上、それが何によるものなのかまでは分からないが。


 とは言え現状、この場所から出来る事はビルが壊れない様に魔術を掛け続ける事だけだ。

 アルバートは相当な魔力量の魔力を体内に保有でき、また魔力の扱いにも優れた魔術師であることには間違いないが、流石に300mはある巨大なビルに魔術をかけ続けるとなると話が違ってくる。

 やる事は同じなので深い集中が必要ではないが、意識を一瞬でも逸らすと魔術の構成が途切れそうになる。


「しかし災難ですなぁ。今日この街に来て、蛸に襲われた挙句ミハト探偵社に拾われるとは」

「あはは……まぁ、ミハト探偵社には元々所属する予定だったので……」

「となると街の外でのスカウト?優秀なのも頷けます。トラブルに関わりやすい部分も含めて」


 ミハト探偵社に勤めている人物がどのような人たちなのか、外から見た感想だけで何となくつかめてきたことに思わず苦笑いを零しつつ、三人はケナの戦いの行方を見守る。

 アルバートと守には点で何が起こっているか分からないが、優れた五感を持つジェウルには多少なりとも見えているようで、緊張からか彼の手には拳が握られていた。


「……っ!」

「なにか起こりましたか」

「魔法陣が唐突に表れて……ケナさんが……!」

「それは大変だ!アルバートさん、何かできませんか?」

「此処からだと……流石に……!」


 ジェウルの表情が一変する。ケナが蛸の頭に切りかかった直後、魔法陣によって防がれ、そのまま吹き飛ばされた様子を視認したのだ。

 何とかしなければならないが、当然守やジェウルにできる事は無い。この場で可能性があるのはアルバートだけだが、アルバートもビルに対して魔術を掛け続けるので手いっぱいだ。それに300m近く距離が離れている以上、魔術の効果範囲としても届きようがない。


 アルバートを助けてくれた時の様に、自分の体を浮かせることが出来るのならばそれで良いが、脚力だけで昇って行っているのを見るに、自分自身を浮かせるのは難しいのだろう。


「どうすれば……」

『──アルバート・エーゲンネヘイムだな?」

「はい……はい!?」


 どうするべきかと頭を悩ませていると、唐突に頭上から声が響いて、反射的に返事をしながら声の方向へと視線を向ける。

 其処にあったのは、一台のドローンだ。それもかなり大型で、人一人くらいならば乗れそうな大きさをしている。


 アルバートの顔と名を知っていて、わざわざこの場まで飛んでくる可能性のあるドローン。思考の中に不意に浮かんだドローンとそれを操作している人物の心当たりが、正解である事を祈りつつ叫ぶ。


『ケナはどこだ?まさかさぼってるわけじゃあるまいが……』

「ケナさんは上です!と言うか今落下してて……!」


 その言葉を聞き届けた瞬間に、凄まじい音を鳴り響かせながらドローンはビルの上へ向かって飛んでいく。

 アルバートにできる事は、その様子をただ眺めている事だけだった。



 ドローンは高度を上げながらビルのガラスの窓の近くを飛行し続ける。魔術の影響が微妙に蛸の腕にまで及んでいるのか、張り付いたままの腕に、足場にされたっきり宙に浮かんだ蛸の足だった物。

 それらを器用に避けつつドローンの上側にも取り付けられたカメラが、落下している猫耳の少女を正確に捉えた。


「遅いにゃああああ!」

『お前が先行しすぎなんだよ、アホか』


 同じタイミングで猫耳の少女、ケナもドローンの存在に気が付き、空中で体の向きをどうにか制御しつつ、落下地点の真下に構えたドローンへと着地する。

 衝撃音が響き、ドローンが一瞬だけ大きく沈み込むように高度を落とすが、直ぐに安定してその場に浮遊する。

 ドローンを足場にして着地したケナの方も無事だったようで、ドローンの上で座り込んでいる。


『で、何があった。見た限りでは順調に蛸の足を切り裂いていったようだが』

「アイツやべーニャ。多分外なる神とかそっち系のなんかだったニャ。ビルの中に居た人間とか、後多分PCとかをニャ」

『はぁー……』


 カメラの近くに取り付けられたスピーカー越しに、重いため息が聞こえてくる。また面倒事か、と言わんばかりに。

 そして説明されるまでもなく、その事象、或いは簡易的な儀式だったらしい蛸のビルへの張り付きは既に終了し、次の段階へと移行していた。


 ──切り裂かれた蛸の触手が、液状化したようにドロドロになって蛸の頭があった場所まで昇っていく。自然とカメラアイがそちらを追って、ケナもまた上空へと視線を向ける。

 無数に折り重なった魔法陣が、立体を為して組みあがる魔儀球マギアスフィア。その中心に触手の何本かを切り裂かれた蛸が文字通りに浮かんでいる。

 浮かんでいるだけではない、儀式の中心にあって、形が変貌していく。蛸と言う形状は残されたまま、頭の部分が文字通り頭部に。触手の部分はあたかも髭の様に見え、胎内で揺れる胎児の様に縮こまった肉体が形成されていく。


 悍ましき胴体と四肢、筋肉の代替を為しているのであろう触手が肉体を構成して、鋭い切っ先の尾が編まれる。赤色の体色は失せて、忌避感を与える緑と青が暗く入り混じった物に、頭頂部から変じていく。

 空間が揺れている。水面が荒々しく震えて、まるで世界が、その存在が生まれる事に恐れを抱いているように。混ぜっ返したような空気感が喉の奥を詰まらせて、それが進化の最後を予期させた。

 海棲生物には決してあるべきでない巨大な翼がその怪物を包む殻のように背中から生じたのならば、宙の果てより来たりし水の邪神に似せて作られた何かは、猛々しく産声を上げた。


『GAAAAAAAAA!!!』

「五月蠅いニャああああああー!?」

『本物の邪神ではないらしい、正気を失うようなことは無さそうだが……』

「言ってる場合か!?あんなのを作り出すのはどう考えても異端魔術協会の仕業ニャ……!」

『だろうな。さて、どうする?』

「……とりあえず下まで降ろして」


 地上に向かって降下するドローンとケナは、遠隔であれこれ言いあいながらビルよりも高い場所で浮かび上がった100mを超す巨体の邪神擬きを、一体どうするべきかと考える。

 とは言え、一匹と一台でできる事はたかが知れている。あれは最早そういう次元の生物ではない筈だ。


 十数秒ほどで地面の近くまで降りたのならば、ケナはドローンの上から飛び降り、その場にいる全員を招集する。


「つーわけで集合ニャ。新人も魔術はもう大丈夫ニャ」

「いやはや……なんです?アレ」

「私が知る訳ないニャ。異端魔術協会のアホ共がなんかしたんじゃないかニャ」

『十中八九そうだろうな。この手の魔術は、奴らの得意分野だ』

「不審な人物は見当たらなかったそうですが……」

『現にああなってしまっている以上、何処かで何かが行われたことは間違いない。魔法陣の起動も確認した』


 揃って宙に浮いたまま、動く様子のない邪神擬きを眺めている。魔術を解除してケナ達の所へ合流したアルバートも、また。

 翼の生えた巨人の頭を、蛸に丸ごと変えてしまったみたいだ。それでいて無性に不気味で、見ているだけで気分が悪くなってくる気がする。晴れた青い空の下に浮かんでいるのが、この上ない位には不気味に映る。

 見ているだけで精神に何かしらの異常をきたしそうだと、アルバートは直ぐに視線をそらした。


「なんとか出来るんですか、アレ。というか、そのドローンの方は」

「こいつは深山。探偵社のビルに引きこもってるハッカーにゃ」

『自己紹介は後に回すとして。出来るか出来ないかでいえば、出来る』

「本当ですか?探偵社の方々であっても、とても……そうは見えませんが」


 ジェウルの怪訝そうな表情と疑問に、アルバートも思わず頷いてしまう。確かにケナの実力は凄まじい物があるし、彼女が所属している組織のメンバーと言うだけで、深山と言うらしいドローンを操っている人物もハッカーとして手練れなのだろうという事は容易に想像が出来る。

 が、だからと言ってあの巨体を何とか出来るとは思いにくい。あまりにも予兆なく生じた変化に、対応の余地が残っているとは思えなかった。

 あれが何を引き起こすのかは分からない。だけど都市が破壊されて、大勢死ぬのだろうことは容易に予想が付いた。

 ──それは避けたい、と思う自分の感情にも、また。


「んー、まぁ近くで見ないと分からないかニャ?」

『そうかもしれんが、まぁ手短に説明するとだな……』

「一つ、アレは邪神そのものじゃニャい。二つ、ビルの中にいた人は取り込まれたけどまだ生きてる」

『三つ目はあれその物が現時点で起動し続けている魔術だという事だ。流石にあの速度で魔術を完成させられたら、俺たちの出る幕なんて始めからない』

「???……つまり?」


 邪神ではなく、逃げ遅れた人たちはまだ生きている。そして魔術は現在進行形。此処までの情報を羅列されて、アルバートは頭に疑問符を浮かべている。

 ジェイルも同じ様な様子だが、守は何かに納得したように頷いていた。


「成程。時にお宅の所長さんは?」

『“私が出るまでもない”とでも言うだろうよ』

「まー、確かに所長が吹っ飛ばしたら中に居るだろうまだ生きてる人たちもついでに吹っ飛ぶし」

『そういう訳で、早いとこアレの解決に移る。時間を掛けすぎてアレが完全に顕現したら、最悪の場合はE.A.R.の所の“執行部隊”がやってくるだろ』


 どうにもついていけない話の内容だったが、少なくともあの邪神擬きを何とかする方法そのものは存在しているのだと判断してよさそうだった。

 具体的な手段としてどうすればいいのかまでは分からないが、ケナや深山が分かっていれば何とかなるだろう。


「つーわけで私たちは魔術の破壊に動く。おっさんたちはどうするニャ?」

「できる事もありませんしねぇ。救護の要請だけして見守りますよ」

「ん、分かったニャ。じゃ、行くぞ」

「はい……はい?」


 何が何だか分からないまま呼びかけに応じた次の瞬間、アルバートはケナに後ろから襟元を掴まれる。

 良く分からないまま抵抗せずにいると、ケナは深く体を沈み込ませて、アルバートをひっつかんだまま再度ビルの壁に向かって跳躍した。


「おわぁぁぁああぁぁー!」

「2回目だからそろそろ慣れろ!」

「そ、んな事っ、言われても!」

『で、どうするんだ』


 アルバートをひっつかんだまま跳躍し、そのままビルの側面を駆けあがるケナに追従して、ドローンも高度を上げていく。

 正直先ほどまでケナが乗っていたのを見ていたので、ドローンに乗せてくれればいいんじゃないかと思いつつも、変に暴れると落ちそうなので大人しくしておく。


「アルバート!お前物体の記憶に干渉できるんだよニャ?」

「そう、ですけど!?」

「なら魔術のする事も出来るニャ?」

「……!そういうことか……!できますけど、接触が必要です。後時間!」

「そっちは何とかするニャ。深山!」

『了解した、此処からはこっちで連れていこう』


 凄まじい速度でビルを駆けあがったケナと、崩れたビルの最上階にたどり着くまでに交わしたやりとりで、アルバートもおおよそ自分のやるべきことを察した。

 魔術はまだ完成していない。つまり干渉の余地がある、という事だ。すでに完成した魔術は痕跡を消し、アレは邪神として暴れまわるだろう。その前に魔術そのものを停止ないし破壊できれば、邪神を止めることが出来る。


 ケナにその手段は無いが、アルバートならばできると踏んで、時間を惜しみ何も言わずに引っ張ってきたのだろう。

 納得は出来たが、それはそれとして事前の説明が欲しかった、と言う無言の抗議は、壊れたビルに辛うじて残っていた屋上に放り投げられたことで中断された。


「具体的にはどのくらいかかるニャ?」

「あの巨体から探し出すとなると……最短でも3分ほどです」

『こっちの方でもアクセスは試みるが、正直生物に付いてる以上得意分野とは言えない。お前が飛び回って感覚で見つける方が速いかもしれないな』

「ま、精々鬱陶しいハエとして飛び回る事にするニャ」


 やるべきことは定められた、後は何とかするだけだ。失敗すれば、多分この都市位は軽く滅ぶのだろうと苦い笑いを浮かべておく。

 最後の作戦会議を終えて、一人と一匹と一台は、未だ胎児の様に丸まったままの邪神擬きを、ビルの上から見下ろした。

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