夜がそっと明ける

なゆお

夜がそっと明ける

夜、私は帰路に着く。


偶然にも、今日は会社が早く終わってしまったのだ。


だから、私の足はとても軽く、今すぐ走りたいとまるで体が言っている―――はずだった。


私は昨日の残業帰りのようにとても足が重かった。


別に昨日のように疲れている訳ではない。

これは、逃避だ。


今から会う、彼から。





彼の住むアパートまで着き、階段を登る。


ガチャっとドアが開く。


その先にいたのは、彼の隣に住んでいるオバサンだった。


つかさず、いつもの癖で会釈をする。


オバサンは「こんばんは」と言い、私の隣を通り過ぎる。


私はそれに答えることは無い。

いつも会釈だけはするのだが、挨拶だけはした事がない。


私はその行為をしている言い訳を考えながら、彼の部屋へと行く。


ガチャ。


相変わらず、鍵は閉まっていない。

彼の部屋に初めて入った時は驚きだったものだった。

扉に鍵をかけずに出かけていくなど。

しかも長期に渡る泊まりの時さえも鍵をかけずに行ったのだった。


だがしかし、それで部屋の中にある何かが盗られる訳では無かった。


何度か入った形跡はあったが、それだけだった。


それほどまでに、彼の部屋には何も無かった。


私はそんな虚無な空間を見ながら冷蔵庫に入っているであろうチューハイを取り、ベランダへ行く。


彼がいつも考えたい時にする行為だ。


酒を飲みながら夜の街を見る。


別にタワーマンションに住んでいる訳ではないので、夜景が綺麗だの、光が小さいだの言えない所なのだが、彼はそうすると、落ち着くといつしか言っていた。


「あぁ、君か。こんばんは」


「こんばんは」


自己紹介が遅れてしまった。

私の名前は友利。

彼の名前はかがり


でも、覚えなくてもいいかもしれない。

何故なら彼は私の事を「君」と呼ぶし、私も彼の事を「あなた」と呼ぶ。


そんなふうに呼びあったのはいつだろうか忘れた。


よく、妻が夫に対して「あなた」と言うが、私のは違う。前者が暖かい言い方なのだとしたら、私の言い方は冷たい言い方なのだろう。


「…それで、受かったの?」


「…受かったら、こうしてないだろう?」


「それもそうね」


彼は成人してから一度も会社に入れていなかった。

しかも、働いてもいなかった。


どうやって生きてるのか不思議だ。


彼はよく、運が悪いと言うが、本当にそうだと思う。


社員に優しいと言われ、合格率が80%の所に言っても残りの20%を引いてしまうし、ものすごくブラックで入るのを止めとけと言われる程の会社でも、彼は、入れなかった。


だから、いつもの繰り返し。

私と彼とベランダから外を見ながら酒を飲んで、受かったか、受かってないか。


ただ、それだけ。





それから何ヶ月か経った。


また、彼の部屋へ行く。


今回はオバサンには出会わなかった。

何故か、不安を覚えていしまった。





「あ、来たのか」


彼はそう言って私を迎え入れた。

私はいつも通りベランダに体重を預ける。


彼と私の距離は離れていて、ベランダの柵の端と端で並んでいた。


「いつから、こんなに離れるようになったんだろうね」


びっくりした。私の口から本音が出てしまったのかと思って、慌てて口を抑えた。


だけど、口を開いていたのは彼の方だった。


「顔に書いてあったよ」


私はそんなにも分かりやすいのだろうか。

いや、日々の疲れで顔をコントロール出来てないだけだろうか。


「僕も、あまり覚えていないんだ」


彼は優しく語りかける。

私はただそれを聞くだけ。


「いつから付き合ったのかも、何年付き合ってるのかも」


私も、覚えていないような口調がイラつく。


実際、私は覚えていない。

けれどそれが分かってしまう彼に対して、何処と無く気持ち悪さを感じていた。


「こんなに小さい柵なのにさ、ものすごく離れた気がするんだ」


確かに、私と彼の距離は近い。

近いのだが、遠い。

遠く、遠く、とても遠い。

近くにある家の灯りは見えるのに、

私から彼への好意が、見えない。


「だからさ、君がもし、もしもだよ。もしも、君が僕の事を必要としないなら、僕は君の前から消えるよ」


私はその言葉に体を震わせた。


「考えといて。僕は、君がそれでいいのなら、その選択を尊重するよ」


私は持っていた缶を潰して空き缶ゴミに捨てて部屋を出ていった。


私の進むスピードは速く、家に進んでいた。


いつものように家に帰れる嬉しさを抱えた足運びではなく、


彼への怒りと悲しみを踏みつけるように、否定するように、ただ意味もなく進んでいるだけだった。







それから何ヶ月経っただろう。

もしかしたら、1年経ったかもしれない。


覚えてやしない。

ただ覚えているのは、あの日から今日まで彼と一度も出会わなかった事だ。


だが、今日は彼に会いに行く。


歩くスピードはいつもよりも速く、でも、いつもより遅かった。


彼のアパートへ行き、部屋へ入る。


そこには、見慣れた風景…ではなく彼が部屋の角で泣いていたではないか。


流石に心配になって、彼へと近づく。


「ちょっと、大丈夫?」


「…、あ、あぁ、友利、友利ぃ!」


彼は私を抱き締めて泣き始めた。


だが、私はそれを剥がした。


「ごめん、そういう気分じゃない」


「えっ…?」


彼は子供がおもちゃを欲しがるような顔をした。


「もしかして、僕が必要ないのか?」


その質問に私は首を縦に振った。


そして彼は一瞬、絶望した顔をしたが、すぐさまいつもの優しい顔に戻って、「ちょっと待ってね」と、私に言ってどこかへ行った。


私は、早く帰りたいのだが、まぁここは待つとしよう。


しばらくして、彼は何かを持ってきて私にそれを差し出した。



「…これは?」


「僕の銀行の通帳だよ」


私は驚いた。

彼はそんなの知らないと言うように、私の手に押し付けた。


「雀の涙程しかないけど、使ってよ」


私は、恐る恐るその中身を見た。


すると、そこには車3台は買えそうなくらいの金額が書いてあった。


「えっ?」


「実は、バイトだとか、家のもの売ったりとかしてお金を何とか稼いでいたんだ」


驚いた。

彼がこんなに持っていること、そして、バイトとして働いていること。


私は、選択を少し誤ったかもしれない。


私が彼と別れた理由は、彼が働きもせずに酒を飲んでいると思ったからだった。


でも実際そうではなくて、お金をちゃんと稼いでいて、しかもそれを私にあげようだなんて。


「気にせず受け取ってよ。何せ、僕は君の前からいなくなるのだから」


私は恐れた。

彼が何かしようとしている事を、肌で感じた。


私はそれを受け取って、早々に家を出た。


「じゃあね、今度は、こんな形で…」


彼が何か言っていることを聞かずに。





数年後…。


私はとあるバーで酒を飲んでいた。


「いやー!友利さん!今回も良かったですよ!」


「いえ、そんな事は…」


この人は、私の同期の義彦さんだ。

私はこの人にはとてもお世話になっている。


「まぁまぁ!とりあえず、飲みましょう!」


私は義彦さんに連れられてこのバーに何回か来た。


最初はアルコールの度数が高くて開始早々潰れて女性の店員さんに笑われながら送られたのはいい思い出だった。


私は、素直に言うと義彦さんの事が気になっていた。


「あの…義彦さん、質問なんですけど…」


「ん?なに?」


だから、私は進むことにした。


「義彦さんって付き合っている女性とかいるんですか?あの、他意は無いんですけど、女性の接し方になれてるなぁって思って」


そういう通り、義彦さんは女性の扱いになれていた。だからうちの部署ではかなり人気がある。


「鋭いね!そうだよ!」


はい、分かってました。


でも、私だけ、


私だけをこのバーに誘ってくれていると言ったから、少しだけ、期待したのに…。


「ちなみに、誰なんですか?」


「あそこにいる人だよ」


義彦さんが指差した先には女性の店員さんがいて、ニコッと此方に向かって微笑んでいた。



「えっ、あの人って」


「そう、いつもお世話になってるよね」


そう、私が潰れた時に笑って送ってくれた人だ。



「えっと、彼女さんの前で言うことじゃないと思うんですけど、嫉妬とかされないんですか?」


「されないよ。だって彼女も知ってるんだ。俺が…言い方は悪いけど、モテている事」


「はぁ、」


「まぁ、仕方ないよねって割り切ってるんだ」


「でも、誰かに盗られたりとか心配されないんですか?」


「されないよ」


義彦さんは言い切った。


「だって、彼女も、僕も、信用しているんだもの」


その言葉を聞いて、彼女の方を見るとこちらに向かってウインクをしていた。


それに対して、義彦さんはぎこちないウインクで返していた。


「それに、秘密だけど、もっと信頼出来る物を送ろうとしてね」


彼がバックから取りだしたのは、黒い箱。

その中に入ってるのは、水色の宝石が入った指輪。


「今回の商談が上手くいったら言おうとしてたんだ。よかった」


私は、何もよくない。


「もし良かったら、式の時に、友人スピーチを頼めない?何せ君は、結婚のキューピットだからね」


独特な言い回しで私にお願いする彼の目を見る。


とても、純粋で、真っ直ぐな目だった。


「ええ、良いですよ 」


何も、良くないのに、私はそう答えた。






しばらくして、私は彼のアパートにいた。

彼のお金は使っていない。

そうしてしまうと、何か、ダメな気がしたから。

ガチャ、

扉が、開かない。



いつもなら開いてる彼の部屋か開いていない事に疑問を抱えながら、チャイムを鳴らした。


だが、彼は現れない。



『僕は、君の前からいなくなるから』


いつしかの言葉を思い出す。


私は彼がどこか遠くへ行ってしまったのではないかと思っていると、オバサンが隣から出てきた。

今は夜遅くだ。きっとうるさいと思ってきたのだろう。


「あっ、えっと夜分遅くにうるさくしてすみません」


「…そこの彼の事知らないの?」


「えっ?」


私は思わず聞き返してしまった。オバサンは何か知っている口調だったから。


「彼ね…」


オバサンが重い口を開けて、言った。
















「自殺したの」











私は、それからどうやって帰ったか、覚えいない。

彼がどうなったかも、

いやそれは逃避だ。


彼は、私が来る何年前かに首を吊って自殺したらしい。




私は彼が半分に残したチューハイを口に付ける。

そんな物に口をつけても味がしない。

今更彼の残りに口を付けても遅い。


そして手にある



彼が首を吊った紐だ。


それを天井に飾り、その前に椅子を持って行き、長さを確認する。


「よし、」


私はそこから飛んだ。


そして、綺麗に地面に着地する。


私はここで死ぬつもりはない。


私は、を椅子に置いた。


私は義彦さんの御祝儀は彼のお金から出そう思う。

義彦さんは、御祝儀はいらないと言っていたが、やはり送るものだろう。


それに、彼のお金の方が彼もスッキリするだろう。


私はベットに着く。


そして、死んだ彼が見せる夢を見れる事を願いながら、私は眠りについた。





〜終〜







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