伊達騒動秘録 ~左近、影に潜む。 友と猫が見た伊達の闇~

月影 流詩亜

序章:江戸屋敷の料理人

第一話:仕官と第一印象


 桜田の伊達家上屋敷の門前は、朝から人の往来が絶えなかった。

 威風堂々たる長屋門を見上げる二人の男がいた。


 一人は、やや猫背気味で、どこか頼りなげな風貌ふうぼう吉良左近きら さこん

 もう一人は、すらりとした長身に涼やかな目元が印象的な今川徳松いまがわ とくまつである。

 二人とも、先頃召し上げが解かれた小藩の浪人で、伊達家の料理人募集の貼り紙を見てやって来た口だ。


「ねえ、徳さん。 本当にここで決まるかしらねえ。

 なんだか、立派すぎて気後れしちゃうわぁ」


 左近が、細めた目で屋敷を見上げながら、隣の徳松に不安げな声をかけた。

 その言葉遣いは、まるで深川あたりの水茶屋の女のような、なよやかな響きを帯びている。

 道行く武士や町人が、怪訝な顔で左近を一瞥いちべつしていくが、本人はどこ吹く風だ。

 徳松は苦笑しつつ、左近の肩を軽く叩いた。


「左近、お前の料理の腕は確かだ。

 それに、ここにいるのはお前だけじゃない。

 俺もいる。案ずるな」


 その声は、容姿に違わず、竹を割ったような快活さがあった。

 採用試験の場は、屋敷の一角にある広間だった。 すでに多くの応募者が集まっており、その顔ぶれは様々だ。

 明らかに腕に覚えのありそうな厳つい料理人風の男もいれば、どことなく胡散臭い雰囲気を漂わせる者もいる。

 そして、そこかしこで、役人と思しき武士にそっと袖の下を渡す光景が見受けられた。

 伊達家ほどの大きな藩の料理方となれば、その利権も少なくないのだろう。

 賄賂ワイロが横行しているのは、火を見るよりも明らかだった。


 左近と徳松の番が来た。

 試験官の武士は、見るからに尊大で、値踏みするような目で二人を眺めている。


「吉良左近、今川徳松と申すか。

 元は小田原藩の者と聞く。して、料理の腕前は ?」


 左近は、もじもじとしながら一歩前に出た。


「は、はいぃ。吉良左近と申しますぅ。

 あの、お料理は、愛情だと思っておりますのぉ。一生懸命、心を込めて作らせていただきますわぁ」


 そのおネエ言葉と頼りなげな態度に、試験官の眉がぴくりと動いた。

 周囲からは、くすくすという忍び笑いも聞こえてくる。

 徳松がすかさず前に出て、深々と頭を下げた。


「今川徳松にございます。某藩にて料理方見習いを少々。

 親友の左近は、ご覧の通り少々頼りないところもございますが、食材を見る目、そして何より料理に対する真摯な心は誰にも負けませぬ。

 何卒、機会をいただけますようお願い申し上げます」


 その涼やかな声と折り目正しい態度は、左近とは対照的だった。

 試験官は、ふんと鼻を鳴らし、左近を一瞥いちべつした。


「ふん、愛情、か。料理は腕だ。

 腕がなければ話にならん。まあよい、腕前を見せてもらおうか」


 試験の内容は、あり合わせの材料で一品作るというものだった。

 左近は、おどおどとした手つきで材料を選び始めたが、その目がふと、隅に置かれた野菜屑に向けられた。

 そこには、まだ十分に使えるはずの野菜の切れ端や、魚のアラなどが無造作に捨てられている。

 そして、その横には、いかにも賄賂で用意されたであろう、立派な鯛や季節外れの高級食材が並んでいた。他の応募者たちは、競ってその高級食材に手を伸ばしている。


 左近は、しばし考え込むような素振りを見せた後、おもむろに野菜屑の方へ歩み寄った。


「あらぁ、もったいないわねぇ。

 これ、まだ使えるじゃないのぉ 」


 そう言うと、人参の皮や大根の葉、魚のアラなどを丁寧に拾い集め始めた。

 その姿に、試験官も他の応募者も呆気にとられている。

 徳松だけは、左近の行動の意図を察したのか、静かに頷いていた。


 一方、徳松は与えられた材料の中から、新鮮ないわしを選び出し、手際よくさばき始めた。

 その流れるような包丁さばきは、見ている者を飽きさせない美しさがあった。

 やがて、左近は野菜屑と魚のアラで見事な潮汁を作り上げ、徳松は鰯のつみれ汁を完成させた。


 試験官は、まず徳松のつみれ汁を一口啜り、ほう、と息を漏らした。


「うむ、出汁の加減も良い。つみれの舌触りも滑らかだ。腕は確かと見える」


 次に、左近の潮汁に渋々といった体で箸をつけた。しかし、一口含むと、その顔色が変わった。


「こ、これは……!

 捨て置かれた野菜やアラから、これほどの滋味を引き出すとは……」

 左近は、はにかみながら答えた。


「はいぃ。 どんな食材にも命がございますからぁ。

 それを無駄にせず、美味しくいただくのが、料理人の務めかと存じますの」


 その言葉には、いつものなよやかさとは違う、一本筋の通った響きがあった。

 試験官は、しばらく腕を組んで考え込んでいたが、やがて顔を上げた。

 他の応募者たちの料理は、見た目は華やかでも、どこか心がこもっていないものばかりだった。

 賄賂の有無は別として、この二人には料理人としての確かな心根がある。

 特に、左近の「もったいない」という発想と、それを実際に形にする技術は、料理方の長として見逃せないものがあった。

 そして、徳松の実直さと腕前も申し分ない。


「……よし、二人とも採用とする」


 試験官の言葉に、左近はぱあっと顔を輝かせ、「まぁ!」と乙女のように声を上げた。

 徳松は、深々と頭を下げた。


 こうして、吉良左近と今川徳松は、伊達家江戸屋敷の料理人として仕官することになった。


 屋敷での生活が始まると、左近の「昼行灯」ぶりは早速周囲の知るところとなった。

 食材の置き場所を間違える、火加減をうっかり忘れる、そんな失敗を繰り返しては、先輩の料理人たちから「この昼行灯め!」「本当に武家の出か?」と怒鳴られる毎日だ。


 その度に、左近は「ごめんなさぁい、うっかりしてましたぁ」と謝るのだが、どこか反省の色が見えない。

 その頼りなさと独特のおネエ言葉は、同僚たちから奇異の目で見られ、敬遠される原因となった。


 一方の徳松は、その真面目な仕事ぶりと爽やかな人柄で、すぐに周囲に溶け込んだ。

 特に、彼の無類の猫好きは有名で、昼休みになると、どこからともなく屋敷内外の猫たちが徳松の元へ集まってくる。徳松は、自分の弁当から煮干しや鰹節を分け与え、一匹一匹に優しく声をかけるのだった。

 その姿は屋敷の女中たちの間で、


「徳松様は、お優しいだけでなく、猫にまで好かれるなんて素敵」と評判になった。


 本人は、女性からの好意にはどこ吹く風で、猫たちと過ごす時間を何よりも大切にしているようだった。


「徳さん、また猫と遊んでるのぉ ?

 お仕事、お仕事 !」


 左近が、手をぱたぱたと振りながら徳松を呼びに来る。

 その声には、どこか甘えるような響きがあった。


「ああ、左近か。こいつらが可愛くてな」

 徳松が猫の喉を撫でながら笑う。


 その屈託のない笑顔は、左近にとっても安らぎだった。

 二人は幼馴染であり、互いを誰よりも理解し合う親友なのである。

 そんな二人の傍らには、いつも左近の妻である千代の姿があった。千代は、徳松の実の妹でありながら、兄に対してはどこか冷ややかだった。


 夫である左近には甲斐甲斐しく尽くし、その一挙手一投足を愛情深く見守っているのだが、徳松が左近に馴れ馴れしく話しかけようものなら、


「兄さん、左近様はお疲れなのです。

 あまりお邪魔しないであげてください」とぴしゃりと言い放つのだった。


 その態度の違いは、周囲から見ても明らかで、徳松は妹の冷たい視線に苦笑いを浮かべるしかなかった。

 千代は、兄と夫が仲が良すぎることに、どこか嫉妬にも似た感情を抱いているのかもしれない。


 伊達家江戸屋敷の厨房は、表向きは活気に満ちていたが、その水面下では、不穏な噂が囁かれ始めていた。


「おい、聞いたか?

 仙台では、ご家老の原田甲斐はらだ かい様と、若君様の後見人であらせられる兵部ひょうぶ様との間で、何やらきな臭いことになってるらしいぜ」

 下働きの男が、声を潜めて別の男に話しかける。


「ああ、原田様は伊達の家を乗っ取ろうと企んでるって話だ。兵部様はそれを阻止しようとなさってるが、分が悪いとか…」


「若君様はまだ幼いからのう。もしものことがあれば、伊達家はどうなってしまうんだか…」


 そんな噂話が飛び交う中、左近は、いつものようにぼんやりとした表情で野菜を刻んでいた。

 しかし、その耳は、周囲の会話の一言一句を聞き逃すまいと、鋭く研ぎ澄まされているのだった。 おネエ言葉の裏に隠された彼の本当の顔は、まだ誰も知らない。


 左近の口癖は「料理は愛情 !」。

 しかし、彼が伊達屋敷で振るうことになるのは、果たして料理の腕だけなのだろうか。


 江戸の空に、伊達屋敷への暗雲が、静かに垂れ込めようとしていた。


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