短編ボックス

あさのかなん

たけのこの木の芽和え

 木の芽和え作るから山椒持ってきて


 洗濯物を干し終わって二度寝を堪能しようとシーツを交換したばかりのベッドに戻って布団をかぶったとき枕元に置いていた携帯にLINEが来た。


 庭にある山椒の葉を持ってきてくれたら堀りたてたけのこの木の芽和えを作ってあげます


 そのメッセージは神奈川県在住の田辺から送られてきていて二度寝を堪能しようとしている長原は千葉県在住である。


 今日、休日当番で出勤してる。ごめん。


 田辺とサシで会わないほうがいいことをよくわかっている長原だが、「いやだ」と突っぱねるには躊躇があって休日出勤当番だと嘘をついた。田辺の料理はおいしいし堀りたてのたけのこ、という食べられる状態まで持っていくのがめちゃくちゃめんどくさそうなものを食べさせてやろう、という気持ちはありがたい。


 今日非番なのスケジューラーで確認済みなんだけど?


 同じ会社に勤めているとこういうときにめんどくさい。


 今からゆっくり準備してから来てもやっとたけのこがゆで上がるかな~ってぐらいだから来い

 うまいたけのこだから来い

 旬のものを食べると長生きするぞ

 ひとりで食べきれない量のたけのこだから来い

 来ないなら明日社内便で送る(ゆでる前のやつ)


 ぽこぽことスマホの画面上に吹き出しが増えていく。


 来いよ

 ぜったい

 来なかったら絶交する


 「絶交って……もうしてんだろ」

長原はベッドから起き上がってどすどすと物置に向かう。軍手をはめて小さなのこぎりを持ち庭へ出る。あいつ、なんでうちの家に山椒の木があることなんか覚えているんだろう。よくこの家に遊びに来ていたときに母親が何かの料理に使って、そのときのことを覚えているんだろうか。

つきあっているときも田辺の食い意地、というか食への執着にはよく驚かされていたけれど。


 ごりごりとそんなに太くない枝をのこぎりでひく。

気まぐれに、そして長原が断りにくい誘い文句で突然こうして会おうとしてくる田辺にだんだんと腹が立ってきた。2時間ちょっとの電車移動を考慮して細めの枝ばかりを6本ほど切ったが山椒独特の匂いが鼻腔いっぱいに広がる。台所で何枚かキッチンペーパーを湿らせると、切った部分に巻き付けて上からアルミホイルを巻いた。どういう意味でこういうことをするかはわからないが花を買ったときにこういう風だった気がするのでやっておく。


 これから準備して行く


 そう田辺に返信してから庭に面した和室に部屋干し用の物干しスタンドを出してきて、外に干していた洗濯物を部屋干しにする。二度寝の前に軽く朝食を食べたがこれからそこそこの距離を移動するのでまたパンをトーストして食べた。


 横須賀線直通の電車に乗って田辺にLINEを送ると「長原くん大好き」と返信が来て思いっきり顔をしかめてしまった。田辺がこういうことを言ったり送ってきたりするたびに「好き」とか「大好き」という単語を田辺相手にはまだ軽々しく使えない自分と使ってしまえる田辺との差に少し落ち込む。2時間の間にスンスンと鼻を鳴らされること数回、「なんか山椒くさくない?」と言う発言をされること1回で田辺の家の最寄り駅に着いた。改札を出て右側の出口にも左側の出口にもバスターミナルがあるこの駅で迷うことなく正しいバス停に向かってしまう自分が憎たらしい。車窓から見える古くからある閑静な住宅街の景色に「いいな」と思ってしまう自分も嫌になるし、植物園を示す道路標識にも嫌になる。田辺と2人で住む部屋を探していたとき、内見のあとでその植物園の看板をみつけてふたりで行ってみたらほどよい手作り感と満開だったばら園にはのんびりと薔薇を楽しむ人たちがいて、ほぼ同時にさっき内見したばかりの部屋に決めよう、と言ってその場で不動産屋に「さっきの部屋に決めます」と電話をかけたんだった。

「いい天気でさ、うわーって咲いてる薔薇とかもりもりの緑を見て一緒に住む部屋を決める俺ら、かなりうかれてるな」と言った田辺にうかれられる時にうかれとこうぜ、と返したのは自分だったことを長原は思い出す。本当にうかれられるのがその日だけだったとは知らなかったから。


 田辺の部屋のインターホンを鳴らしたが応答がなかった。

買い物にでも行ったのかな、と思っていたら「ありがとうございましたー!レシピ通りにやってみます!」と大きな声がして車のドアがバタンと閉められる音がしたので階段の踊り場から下を覗くと田辺が国道に向かっていく車に向かって手を振っていた。そのまま見ているとこっちに向かって歩き出しふと視線をあげた田辺と目が合った。大きなビニール袋を持ったまま小走りで田辺が階段を上がってくる。


 「思ったより早かったじゃん。てか、枝ごと持ってきたんだ!」

長原が提げているトートバッグから飛び出している山椒の木をチラリとみてすこし息を切らせながらドアの鍵を開けると田辺は「どうぞ」も言わずにずんずん家に上がっていく。長原もちいさく「おじゃまします」と言って続いて部屋にあがった。「間取りも知っていて家具の配置も自分が考えたのに住まなかった部屋」に入るのはなんとも言えない気持ちにさせられる。


 「駅の反対側にある肉屋さんなんだけどさ、友達の山にたけのこ掘りに行くって言うから連れてってもらった」

キッチンの流しでこの家にある一番大きな鍋に水を溜めながら田辺が言う。共働きの男ふたり暮らしでそんなでかい鍋がいるのか、という長原に、塊の肉を仕込んだり世の中には一気に大量に作ったほうがうまい料理があるんだ、と田辺が言って買うことにした鍋だ。

「ちょっと服、着替えてくるわ」

相変わらず落ち着きのない男だな、と思いながら長原は蛇口をいじって少し水流を弱くする。

「ここから2時間くらいたけのこにかかりっきりになるから適当にごろごろしてて」

着替えを取りに行った寝室から大声で田辺が言う。

「やっぱ汗だくだしドロドロだから風呂はいろ」

ばたばたと着替え一式をもって風呂場に田辺が向かう。

たけのこどうするんだ。

「あ、これたけのこの下処理の方法。肉屋さんがくれた」

ズボンのポケットから折りたたまれた紙を渡された。少し湿っていてあたたかい。

「気が向いたら途中までチャレンジしてくれていいよ。じゃ、俺ちょっと風呂してくるわ」


 肉屋が書いてくれたというたけのこの茹でかたレシピを見ると洗って切り込みを入れるぐらいならできそうだったのでとりあえずそこだけやっておくか、とたけのこをビニール袋から取り出してざっと水洗いを始めた。

明らかに「そう簡単には食べられてたまるか」という感触のたけのこを水洗いしながら、今晩俺は帰れるんだろうか、とふと思う。こんなに堅くて重いものをよく食べている「あの感じ」にするまでどれくらいの時間がかかるんだろう。絶交した仲なのでもちろん泊まりの準備はしてきていない。


 バン、と風呂場のドアが開く音がして嗅ぎなれたボディソープの匂いがした。

長原が使っているのと同じ銘柄だ。

初めて長原の家に泊まりに来たとき(まだ付き合う前だった)、「俺、この匂い好きだから今度からこれ買うわ」と風呂上がりに言われたのがその後のあれやこれやにつながる発端だった気がする。


 「お!洗ってくれたんだ。ここから先は俺がやるから長原は適当にしててくれていいよ」

いかにも部屋着というくたっとしたTシャツにハーフパンツ、首からタオルをぶら下げた田辺がエプロンをつけながら言う。

「寝るか?今朝、シーツ変えたばっかだぞ」

「なんで元彼のベッドで寝るんだよ。おかしいだろ」

「おかしいか?おまえ、休みの日は早起きして洗濯した後の二度寝大好きじゃん。できあがったら起こすから寝てこい」

「お前のベッドは嫌だ」

「じゃあ、かけ布団持ってきてリビングでテレビでも見ながら寝とけ」

来ていきなり寝ろってなんだよ、とぶつぶつ言うと、そうやって眠い時のおまえは超めんどくせえから寝とけっつってんだ、とふくらはぎをかかとで蹴られた。


 確かに自分は本当に簡単な料理しかできないし、2、3時間かけてたけのこを茹でようという気概もない人間だし、そもそも起きていても気詰まりではあるな、と思ったので長原は寝室のベッドからかけ布団を拝借し、洗面所の戸棚からバスタオルも持ってきて丸めて枕代わりにしてリビングで横になった。キッチンから田辺がつけたらしいラジオの音が聞こえてくる。ローテーブルに会社で配布された「管理職C初任研修」の冊子が置いてあったのでそれを読み始めるとあっという間に眠ってしまった。


 「できたぞ」

長原の足下にしゃがみ込んだ田辺がいた。部屋は寝る前よりも少し暗くなっていて部屋には鰹節や醤油の匂いがしていた。

「食おう」


 起き上がってキッチンに行くとテーブルの上にはたけのこごはんや土佐煮、豚肉の味噌漬けを焼いたもの、サラダ、味噌汁が並んでいた。

田辺は椅子に座ってなんとなくそわそわとしていた。

そういえばこいつは食べる前はいつもそわそわしていたな、と長原は思い出す。

全体的に常にそわそわしていることが多い田辺だが食べ物を前にしたときのそわそわぶりを初めて目の当たりにしたとき獲物を狙ってお尻を左右に揺らしている猫を思い出したんだった。


 いただきます、と2人同時に言ったあとはしばらく黙々と食べることに集中した。

田辺の料理は相変わらずうまかった。

炊きたてのたけのこごはんには木の芽が散らされていて確かに母親もこうしていた気がする、と長原は思い出した。豚肉の味噌漬けも相変わらずうまかった。

豚肉の味噌漬けは長原の好物で、食べたことがないと言った田辺を連れて秩父まで買いに行ったことがある。そういえばあのとき秩父に行ったのが2人だけで出かけた最初だったかもしれない。


 「相変わらず味噌漬け、旨いな」

「旨いだろ。それ、今日たけのこ堀りに連れて行ってくれた肉屋さんのやつ」

てっきり田辺の手作りかと思っていた。

「俺の味を忘れるぐらい久しぶりなんだなぁ、2人で飯食うの」

「ごめんな、馬鹿舌で」

「知ってる」

「でもお前の飯が旨くて間違いないのはわかってるから」

もう少しいる?と田辺が手を伸ばしてきたので空になったご飯茶碗を差し出した。


 そういえば、と長原は「木の芽和えっていつ出てくるんだ?」と訊いてみた。

あまり料理に詳しくないので冷蔵庫で冷やしてから食べるとか、何らかのタイミングを図っているのだろうか、と思って待っていたが、田辺も食事そのものを食べ終わる感じだし自分ももうおなかいっぱいなので思い切って訊いてみたのだった。


「あぁ……」


田辺の目が泳ぐ。


「作ろうと思ってレシピ検索したら西京味噌を使うってことがわかったんだけど、あいにく西京味噌は常備してなくて」

「それで?」

「買いに行くのも坂道が面倒だし、そもそもそこのスーパーに西京味噌があるかどうかわかんねえし」

「そうか」

「それで木の芽和えはありません」

「ないんですか」

思わず敬語になる。

「木の芽和えはありません。土佐煮はいっぱいあります」

「あの、千葉県から東京都を横切って持ってきた、我が家の山椒はどうなるのでしょうか」

「葉っぱは冷凍保存して大事に使わさせていただきます」

テーブルに両手をついて田辺が頭をさげた。


 べつに筍の木の芽和えが好物と言うほどではないので食べられないことにがっかりはしないが、なんなんだ、という気持ちにはなった。日曜の二度寝を妨害され、のこぎりを持ち出して枝を切り、2時間かけて移動してきて使ってもらえなかった俺の山椒。


 そのままごちそうさまとなって長原が食器を洗った。

田辺はその横で筍を茹でるのに使った大鍋を戸棚にしまったり、あまった筍をゆで汁ごと小さな鍋に入れ替えたりくるくると動き回っていた。

「なんか飲む?コーヒー?紅茶?緑茶?」

「お前なに飲みたいの」

「んー、緑茶かな」

「じゃ緑茶で」

田辺が緑茶を淹れてくれたので2人で飲んだ。

ニュースでも見よ、と言ってキッチンと続いているリビングのテレビを田辺がつけたのでテーブルに2人横並びに座った。こうやって最後に横並びで2人で座ったのはいつだったか思い出せなかった。


 「帰る?」と田辺が言ったので時計を見ると21時近くになっていた。

「月曜は早出だろ」

そこを気にするのならいきなり呼び出すとか止めてほしい、と長原は言いかかったがあまりにも嫌みっぽいなと思って言わずにおいた。

「帰るわ。筍、うまかった」

「バス停まで送るよ」


 外にでると昼間よりぐっと気温が下がっていて2人ほぼ同時に「さむっ!」と言ってしまった。

バスはこの停留所が始発なので到着していてもすぐに出発しない。

「寒いから帰れよ。バスぐらい1人で乗れるから」

田辺は半袖にハーフパンツのままだった。

「あのさぁ……」

田辺がうつむきながら言う。

「なに?」

この「あのさぁ……」は何か頼むときの言い方だ、とわかっていたので長原はあえて目を合わせずにいた。

「山椒の実の佃煮を作ってみたいから、実ができたらまた持ってきてくんねぇ?」

想像していなかったことを言われて思わず田辺の顔を見てしまった。

「今度は枝ごとじゃなくていいから。実だけ持ってきてくれたらいいから」

発車を待つバスに視線をもどして「それは無理」と長原は言った。

「今日、木の芽和え作らなかったから?怒ってんの?」

「いいや、うちの山椒の木は雄株だから実がならない。だから無理なんだな」


 バスの運転手が駅前行き発車いたします、とアナウンスしたので、今日はごちそうさま、と言ってバスに乗ろうとする長原の背中に向かって田辺が言った。

「じゃあさ、お前だけで来たら良いよ。手ぶらで来いよ。また旨いもん、食ってくれ」


 長原が返事をせずにバスに乗り込んで座席につくと運転手が発車します、とアナウンスしてドアが閉まり坂道をゆっくりと下り始めた。

今ごろ長原の心臓はどきどきし始めた。

心拍数が上がるのではなく1拍ずつがいつもより強く感じる類いのどきどきだった。正直、すこし痛い。

駅について改札を通ったころには今度はちゃんと約束をして会いに行ってもいいかな、という気持ちになってきている。

ふいにむかし祖母か祖父のどちらかが言っていた「木の芽どきは気がおかしくなりやすいからねえ」という言葉を思い出した。

この気持ちは木の芽どきのせいかもな、と思いながら家に向かう電車のなかから田辺にLINEを送っていた。


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