第59話 この世界が、嫌い
左肩の付け根あたりから右の腰にかけて、袈裟に斬りぬいた。
刃は何の抵抗もなく彼女の体を切断し、二つにわけた。
ぐらり、と体が揺れる。
それを。
「日借!」
僕は支えた。
片腕しかない僕は、二つの身体両方を支えることはできない。支えられなかった半身は――左半身は、そのまま地面に落ちた。
放り投げた大英断が地面にささる。
まだ斬れと思ったままの刃は、地面にささって鍔で引っかかって止まった。
目を閉じたまま斬られた日借は。
ゆっくりと、その瞼を持ち上げた。
「……自分で斬っておいて、なんでそんな顔してるの?」
そんな風に話しかけてくれて、どこか安心している自分がいる。
体からは血があふれているというのに。
支えている腕を、濡らしているというのに。
日借りが腕を持ち上げた。
右腕を、ゆるゆると持ち上げていき、僕の頬に触れた。
熱すぎるくらいの指だった。
「ああは言ったけど……ほんとに、殺されるとは思わなかった」
頬から首に指が下りる。
このまま喉を突き破られるかと思った。
それとも喉を焼ききられるかと思った。
どちらでもいいと、本気で思っていた。
「『ものがたり』の結末、話してたなんて、わたし、覚えてなかった。……あれは、楽鬼の作り話じゃないよね?」
「もちろんだ」
どこにも残していない、僕の中にしかないけれど確かにあった。
だからこそ、僕は『エゴ・リセット・プログラム』を受けなかったのだ。
音声で残せたかもしれないが。
文章で残せたかもしれないが。
そんなこと、したくなかった。
僕だけの記憶にしたかった。
誰にも渡したくなかった。
「6歳のころのこと、ずっと覚えてたの? 人間の記憶力で」
その言葉に、思わず吹き出してしまった。
「当たり前だろ? 忘れるわけないじゃんか」
だって。
「今まで嫌いしか言わなかったやつが、初めて好きっていったんだ」
「…………」
「そんな記憶、どうして忘れられる」
目を閉じれば、あの日のことを鮮明に思い出せる。
苦しそうに笑いながら、それでも――。
奇跡を信じて、希望を持って、笑っていた。
「お前は、この世界が好きだったんだよ」
「嫌いだよ。わたしは、この世界が嫌い。大嫌い。大大大大大嫌い」
僕は首を振る。
血にまみれた手で、腕で、日借の体を引き寄せる。
「なんで、お前は世界が嫌いなんだ?」
「なんで…………」
少し考えて、言った。
「誰も、愛してくれないんだもん」
言って。
言ってから。
納得したように、笑った。
苦しそうに、絞り出すように、笑顔を作る。
「誰も愛してくれないこの世界が、嫌い」
長く息をはく。
「わたし、頑張ったんだよ?」
「知ってる」
「頑張って、頑張って、自分が少しでも生きやすい世界にしようとしたんだよ?」
また、これだ。
みんな、頑張っていたんだ。
自分の居場所を、必死で、作ろうとしていたんだ。
人間だって、魔法使いだって、人でなくたって。
みんな、少しでも生きやすくなるよう、頑張っていたんだ。
「誰も、褒めてくれなかったけど」
いつの間にか血が止まっている。
傷が治った、わけではない。
単純に、血が全部流れきっただけだ。
「誰も、認めてくれ――」
ああ、違うかな、と日借が言った。
「魔女の右腕だけは、認めてくれたかな。ライバルとして、だけど」
わたしが殺しちゃったけど、息をはくついでのように言う。
「あの人と一緒にいたから、楽鬼もたくましくなっちゃったのかな。あんな頼りなかったのに、わたしを殺せるなんて、思わなかったのに」
「違うよ」
流離さんの存在が大きかったのは認める。あの人がいなければ、僕はクラスメイトたちに殺されていたかもしれない。
「あの人がいなくても、今の日借に会っていたら、『別人』じゃないとわかったら、僕は、お前を殺した。殺せていたよ」
今日じゃなくても、あの日――学校で会ったときに、わかっていたら。
僕は、日借の首を絞めていただろう。
僕は、日借を階段から突き落としていただろう。
目を潰して喉を裂いて首をへし折って筋線維を引き千切って内臓を引きずり出して骨を砕ききって。
滅茶苦茶に殺し尽くしていただろう。
それくらいの覚悟はあった。
6歳のころから、ずっと。
「『エゴ・リセット・プログラム』は――僕にとっても、希望だったんだ」
世界を嫌いになりたくない。
それが、日借の願いであるなら。
その願いを叶えてくれる『エゴ・リセット・プログラム』は、最後の希望だった。
今の日借が変わってしまうのかもしれないが。
それよりも、僕は、願いが叶うことを望んだ。
だから。
『エゴリセットプログラム』が想像していたものと違うものであると知り、流離さんが教えてくれたように、あのときの日借が『別人』で、今の日借がなにも変わっていないと知ったとき。
結果的にそれは間違いだったのだけれど。
それでも、日借の願いがどうあがいても叶わないとわかったとき。
僕は全て、諦めたのだ。
生きる気力をなくしたのだ。
それでも立ち直ったのは。
「僕は最後に、お前を殺さなきゃいけなかったからな」
『ものがたり』の結末を変えるため。
そのために僕はリセット失敗成功被害者団に入り、異世界転生もした。
死に物狂いで生き残った結果、流離さんを死なせてしまった。
だが。
後悔は、していない。
「どうして?」
と、日借が訊いた。
「どうして楽鬼は、そこまでしてくれるの?」
「…………」
「どうしてわたしのために、そんなにしてくれるの?」
どうして。
そんなの、決まってるじゃないか。
「人間はさ、愛だけで動けるんだよ」
「……愛」
ああ。
「日借、好きだ」
6歳より前からずっと。
いつから好きだったか忘れたが。
なにをきっかけに好きになったのかわからないが。
それでも、ずっと、好きだった。
愛していた。
「…………」
日借は表情なくそれを聞いて。
「わたしは、楽鬼のこと、嫌い」
「知ってるよ」
「殺したいほど、大嫌い」
「知ってるよ」
だから、言わなかった。
日借が僕のことを嫌いなのは知っていた。
振られるのをわかっていたから、ずっと言わなかった。
日借が僕を嫌う理由はわからなかったけど。
今ならその理由もわかる。
僕はどうしようもなく人間で。
日借はどうしようもなく、人間じゃないからだ。
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