厄バイト
酒仙あきら
プロローグ
「厄バイトって知ってるか」
友人のSから飲みに誘われて、大衆酒場の片隅で焼酎をあおっていた時のことだ。
「厄バイト? なんだそれ、闇バイトの間違いじゃないか」
「ちげえよ。違法性はねえ。だから警察沙汰にもならねえ。ただ──やった奴はみんな、不幸になる」
作家をやっている俺にとって、こういう話は格好の餌だった。
都市伝説、噂話、裏社会。安っぽい週刊誌ネタでも、少し調理すれば読み物になる。だが、Sの声音は妙に真剣で、いつもの与太話には聞こえなかった。
「……で、その“厄バイト”ってのは、具体的にどんな仕事なんだ?」
「簡単なんだがとにかく奇妙なんだ。人形を一週間預かるとか、誰もいない屋敷に夜通しいるとか。内容は単純だし、金はいい。だけどな──やった奴は決まってツキが落ちる。事故ったり、病気したり、身内が死んだり」
「偶然じゃないのか」
俺は笑い混じりに返した。だが、Sはグラスを置き、目を細める。
「そう思うだろ? けどな……俺の知り合いに、一人やった奴がいる」
「……どんな?」
「大学の後輩だ。バイトを引き受けて、七万だか八万だか受け取った。仕事自体も奇妙で変なバイトだったらしい。で、終わった直後に事故った。信号待ちしてたら、トラックが突っ込んできて」
店内のざわめきが妙に遠く感じた。
Sの話しぶりは冗談ではなく、事実を語っている口調だった。
「そいつは助かったのか?」
「命はな。けど片足はもう動かねえ。保険も効いたが、本人はずっと言ってるんだ。“あれは厄バイトのせいだ”ってな」
俺は無意識にポケットからメモ帳を取り出していた。
作家の性──気味の悪さより先に、これは使えるという思考が頭をよぎったのだ。
「その、後輩に取材させてもらえないか」
俺がそう言うと、Sは一瞬眉をひそめ、煙草に火を点けた。
紫煙の向こうで、彼の顔は曇っている。
「……やめとけ。あいつ、今はほとんど引きこもりみてえなもんだ。連絡してもろくに返事が来ねえし、精神的にもかなりやられてる」
「それでも、話を聞きたい。直接の証言が欲しいんだ」
Sは長く煙を吐き出し、やがて肩をすくめた。
「作家の血ってやつか。……まあいい。俺から言っといてやるよ。ただし、期待はすんな。会ってくれるかどうかは分からん」
その夜、アパートに帰ってからも眠れなかった。
作家としての好奇心が、危険の匂いを上回っていた。
翌日の昼前、Sからメッセージが届いた。
「会ってもいいってよ。ただし、喫茶店で。直接家には来るな、だと」
画面を見つめながら、俺は小さく息を吐いた。──厄バイトの実態に、手が届き始めている。
駅前の喫茶店は昼時を外れて空いていた。
奥の席に座っていた青年は、俺よりもずっと若く見えた。大学生のはずだが、頬はこけ、目の下には深い隈がある。細い指でコーヒーカップを握る手は小刻みに震えていた。
「……S先輩から聞いてます。厄バイトの件ですよね」
「そうだ。体験を、そのまま話してほしい」
青年は一度うつむき、唇を噛んでから口を開いた。
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