第10話 あとがき:作品解説
1. 「美=善」という西洋的二項対立の脱構築
本作では「ブサイク/イケメン」「美しい/醜い」といった対概念(binary oppositions)が、世界ごとに真逆の意味を持っているという設定が使われています。これは、デリダが批判する「ロゴス中心主義」や「ヒエラルキー化された意味体系」を見事に転倒させている点に注目できます。
通常、「イケメン」は社会的価値を帯び、「ブサイク」は劣等とされる――だがこの作品では、それが逆転し、さらに逆転の価値観自体が笑いの対象となる。 つまり、どちらが「本当」なのかという基準自体が無効化されているのです。ここでデリダの主張、「意味は常に他との差異によってしか生まれない(差延différance)」が浮かび上がります。
2. 主体(self)の解体と再構築
タクトは、元の世界では「普通以下」とされる存在ですが、異世界では「神レベルの美の象徴」として崇拝されます。これは、主体としてのアイデンティティが他者(文化や社会)によって構築されるという点において、脱構築的です。
「私は誰か? 」という問いに、タクトは「文脈によって変わる存在」として応えざるを得ません。 このように、本来確固たるものと信じられていた「自己」も脱構築の対象となるのです。
3. 「意味の遅延」とユーモア
デリダのいう差延(différance)とは、意味は常に先延ばしにされ、決定されないまま流動するという理論です。本作においても、「美とは何か? 」「タクトの選ぶ真実とは? 」という問いは明確な結論を持たず、笑いと違和感の中に漂い続けます。 その“ズレ”こそが、読者に笑いを生み、また哲学的な疑問を残すのです。
4. ユーモアと形而上学批判の融合
この物語の面白さは、デリダ的な「意味の不安定性」そのものをナンセンス・ギャグとして描写している点です。 たとえば: 鼻毛を三つ編みにすることが美の象徴、鏡に映る“美少女”が「ホラー」、タクトの自撮りが「神の芸術」とされる これらはすべて、「私たちが当然と思っていた意味体系はどれほど恣意的か? 」を浮き彫りにしています。この脱構築の営みを、笑いの形式で成立させたことこそ、この作品の知的快楽なのです。
美は常に、脱構築されうる。 『ブサ王子、異世界で無双される』は単なるギャグ作品ではなく、価値・主体・意味が常に揺らぐことの証明です。タクトとブリュンヒルデの関係も、見た目ではなく関係性の中で再構成されていく“愛”の可能性を示しています。 そして最後に、読者自身に問いかけます。 あなたの「美」は、どこから来て、どこへ向かうのか?
ブサ王子、異世界で無双される。~その鼻毛、美しすぎて国家機密~ 美池蘭十郎 @intel0120977121
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