第46話 一場春夢
夢の中。
そこは高校の教室。昼時だった。
購買で買ってきたパンの甘い香りが、今も鼻の奥に残っているようだった。
「真司、こっち空いてるぞ」
蓮が声をかけると、真司が笑って席を立ち、机の上にパンを並べた。
もう一人、友達がいた。誰かは思い出せなかったが、たぶん雅史か淳だっただろう――そう、思った。
三人で笑いながらパンを頬張る、そのなんでもない時間が、妙に心地よかった。
だが、食べ終わると友達は
「ちょっと図書室行ってくるわ」
といって席を立ち、真司も一緒に行くと思いきや、座ったままだった。
蓮が立ち上がろうとしたその時だった。
「ちょっと待て、蓮」
真司の声が急に真剣になっていた。
「ん? なんだよ、悩みごとか?」
蓮は椅子に腰を戻し、首を傾げた。
真司は「あぁ」と短く答え、何かを言おうとした――その瞬間だった。
パン、という乾いた音とともに、教室の空気が破られた。
真司の胸に、血が咲いた。
口から血が溢れ出し、その目が蓮を見たまま、真司は机の上に突っ伏して倒れこんだ。
そこで、蓮は目を覚ました。
蓮は、びっしょりと冷や汗をかいていた。
病院の天井が、夢の残滓を容赦なく消し去った。
けれども、消えなかった。あの瞬間。あの血の色。
「夢じゃなかったんだ……」
そう呟いたとき、自分の頬を涙が伝っているのに気づいた。
気絶する前のぼんやりとした記憶。曖昧だった真司の死が、今はくっきりと頭に焼きついていた。
そのとき、蓮ははっと何かを思い出したように、ベッドの脇に置かれた時計に目をやった。
時刻は夜。深い夜だった。
けれど蓮にとって大切なのは時刻そのものではなかった。
禁欲ギリギリ六日目
――能力が使える、その期限が、あと一時間で切れる、そういう時刻だった。
「頼む、間に合ってくれ……!」
蓮は震える右手を前に出し、指先に意識を集中させた。
禁欲六日目の能力の発現。
それは夢の中で見たものを、この現実に召喚するというもの。
蓮の指先が示す病室の床に魔方陣が浮かび上がった。
赤と白の光が絡み合い、病室の空気が軋んだ。
そして、次の瞬間、赤と白で描かれた魔方陣は最後の線が結ばれた瞬間、青くなり、眩い光を発した。
魔方陣の、青い光のその中心に、人影が立っていた。
その人影をみて、蓮の両目には涙が溜まり、頬をつたった。
真司だった。
彼はぼんやりとした顔で自分の身体を見つめ、手を握ったり開いたりしながら、周囲を見渡した。
そして、ベッドの上で膝を抱えるようにして泣いている蓮の姿を見つけた。
「……蓮? おまえの能力で……俺を召喚したってことか?」
その声は夢で聞いたものと同じで、そして、いつも聞いていたものと同じで、けれども、とても安心する声だった。
蓮は言葉にならず、ただ力なくうなずいた。
蓮の目からはさらに涙が、こぼれ落ちた。
「なぁ、蓮……禁欲、何日目だ?」
静かに、けれどどこか切なさを滲ませて、真司が聞いた。
蓮は涙を拭うことも忘れて、ゆっくりと頷いた。
「6日目。だけど……」
時計に視線を向けた。
「もう、あと一時間しかない……」
「そうか……あと一時間か」
真司はぽつりとつぶやき、少しだけ遠くを見るような目をした。
その表情は、静かに覚悟を決める者のものだった。
しばし沈黙が流れた。
蓮は再び顔を伏せ、すすり泣く。せっかく呼び戻したのに、あと一時間でこの姿も消えてしまう。それがわかっているからこそ、泣かずにはいられなかった。
そんな蓮を見て、真司はふっと笑った。
「ていうかさ……」
蓮が顔を上げると、真司は苦笑まじりの穏やかな笑顔を浮かべていた。
「ちょうど一週間前のこの時間に、蓮が……抜いてたって思うと、なんか笑えるな」
一瞬、蓮の頭の中が真っ白になった。
だが次の瞬間、吹き出すようにして笑っていた。
「……なんだよ、それ」
泣き顔のまま、蓮は笑った。
真司も、蓮の笑顔を見て、ニヤリと笑った。
そして、真司は蓮のベッドの近くに椅子を持ってきて、座った。
蓮も真司の顔と高さを合わせるように、ベッドの上で軽く起き上がった。
「マヌケだよな。一体何をおかずにして抜いたのやら……憧れのテニス部の先輩か?」
「な……、そんなわけないだろ!」
真司はずっとニヤニヤしていた。蓮は恥ずかしくなって、真司の肩を叩いた。
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