第37話 スタンバイ焦燥
蓮の言葉が地下の一室に力強く響いたあと、沈黙が訪れた。
真っ先に口を開いたのは、美穂だった。
驚いたように目を見開き、そして静かに言った。
「でも、そんなことしたら……一般の人たちに能力の存在がバレて、私たち、今よりもっと生きづらくなるんじゃないかしら?」
その問いは、誰もが抱いていた不安を代弁していた。
蓮はうなずき、少しの沈黙ののちに答えた。
「そうならないように……俺と真司が、能力者の人権を守るための“抑止力”になります」
その言葉に、一瞬、空気が止まった。
「もし、能力者を差別したり、政府のように能力を兵器として使おうとする組織が現れたら……俺たちは、万有引力の力でその組織を壊滅させます」
静けさのなかで、思わず吹き出したのは秀一だった。
「なんだそれは。無茶苦茶だろ……!」
蓮も笑った。
「ええ、無茶苦茶です。でも、能力を恐れるんじゃなくて、活かす道を探すことだってできると思うんです」
蓮の声は、真剣だった。
「能力を封じて隠すんじゃなくて、社会の中で役立てられるように……能力者が普通に生きられる世界を、俺は目指したい」
それは、誰もが胸の奥で思いながら、口に出せなかった理想だった。
全員が、まだ信じきれないながらも、どこか心を動かされていた。
そして、静かに座っていた士郎が、ゆっくりと立ち上がった。
「だが――その理想を実現するためには、まず目の前の障害を乗り越えねばならない」
その声は、落ち着いていながらも、芯のある強さを帯びていた。
「高木君を止める。それが最優先事項だ。作戦の詳細を今から話そう」
部屋の空気が一気に現実に引き戻された。
「といっても……」
士郎はホワイトボードの前で腕を組んだまま、ゆっくりと口を開いた。
「まだ高木君がどう動くか分からないし、それに、君——最中君が禁欲五日目、つまり“万有引力の日”の状態でなければ、まともに戦えないだろう。だから、これから二、三日かけて、じっくり作戦を練る」
蓮は神妙にうなずいたが、次の瞬間、士郎はあまりにあっさり、信じがたい一言を言った。
「ということで、最中君。君は今すぐ、シコってきてくれ」
「……は?」
蓮は思わず声に出した。確かに、能力の仕組みのことを考えれば当然の指示ではあるのだが、まさか大の大人に、真顔でこんなことを命じる日が来るなんて思わなかった。
だが、この部屋にいる全員ももう慣れてしまったのか、全員平然としていて、もちろん士郎も、蓮の反応など意にも介さず、まるで医師が処方箋でも出すような冷静な口調で続けた。
「君の“禁欲日数”がリセットされるタイミングを逆算して調整せねばならない。時間管理も戦略の一部なんだよ」
士郎は次に全体へ声を張った。
「それと、みんなもここ数日のドタバタで相当疲れが溜まっているはずだ。我々三人——私、美穂君、秀一君は政府の拷問も受けていた。体力の回復が最優先だ」
全員、無言でうなずいた。
どこか気まずさを含みつつも、場の空気はしだいに落ち着きを取り戻し、それぞれが寝床や個室へと散っていった。
部屋に戻る前に、めぐみが蓮に近づき、そして、肩を叩いて
「あんたも、結構大変だね」
と笑いを抑えながら茶化すように言ってきた。
蓮は少しイラッとした。もう少しめぐみが大人の年齢になっていたら、殴っていたと思った。
それから三日間。
テレビでは、高木真司によるクーデターの映像が連日報道されていた。
SNSやニュースサイトに流れ続ける犯行声明。
そこには、高木が自ら破壊した施設の映像も含まれていた。
東京・霞が関の内閣府庁舎、神奈川の特殊防衛研究所、そして、茨城県の旧・国立能力研究センター——
いずれも国家中枢の施設でありながら、爆風と万有引力のような不可解な力によって、跡形もなく破壊されていた。
画面に映ったのは、燃え残った瓦礫と、直径百メートル近い巨大なクレーター。
それはまるで、空から隕石が落ちたかのような光景だった。
「こんなの……」
テレビを睨みつけるようにして見つめていた蓮は、こぶしを握りしめる。
「……くそっ」
隣で同じように座っていた秀一も、同じように唇を噛んでいた。
二人とも、自分たちに何もできていないことに焦燥を募らせていた。
無力感と戦いながら、ただ、作戦開始の時を待つしかなかった。
その間、美穂と士郎の研究者チームは、めぐみを連れて地下研究室にこもっていた。
二日間以上、出てこなかった。時折、部屋の外まで響く議論の声が、何か重大な実験や検証が行われていることを示していた。
そして、三日目の夕刻。
静かな通路に、士郎の声が響いた。
「全員、集まってくれ」
その声に、蓮は顔を上げた。
ついに——戦いが始まるのだった。
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