第26話 暴走ノ検証

 二日が経ち、ついに実験の日はやって来た。


 最中君は予定通り、放課後の時間に、私たちの組織が管理する地下の実験施設に現れた。

 顔色は悪くなく、むしろ、あの日よりも目の奥に意志の光が宿っているようだった。


「じゃあ、これをつけてくれるかな?」


 士郎が差し出したのは、金属製の細いブレスレットのような腕輪だった。

 見た目は装飾品のように見えるが、その実、暴走時には高電圧を流し、着用者を一時的に気絶させる抑制装置だった。


「もしも、力が暴走してしまったら、その腕輪から電気を流して君を気絶させてあげるからね。暴走して人を傷つけてしまうことはないよ。」


 士郎の言葉に、最中君は一瞬、目を伏せた。だがすぐに、小さくうなずいた。


「はい、大丈夫です。」


 静かだが、揺るぎのない声だった。


 そして、最中君は私たちの実験室――地下第二実験棟のRoom Gに足を踏み入れた。


 天井と床には、それぞれ等間隔で吊るされた球体が、細いワイヤーに括りつけられ、規則正しく浮かんでいた。それは重力の変化を視覚的に捉えるために、士郎が設計したシンプルな装置だった。上下のワイヤーで支えられたボールは、通常の状態では一切揺れず、まるで空中で固定されているように見えた。


 最中君はそのボール列の中央に、指示どおり静かに立った。彼の周囲には十数個のボールが取り囲んでいた。


 士郎が、手元のタブレットを確認しながら言った。


「よし。じゃあ、そのボールの中で一番近いものから順に、自分のほうに引っ張ってみてくれるかな?」


 私は無意識に息をのんだ。


 最中君は一度、深く呼吸を整えた。そして、右手をゆっくりと前に出し、指先に神経を集中させた。


 静寂の中――“ぎゅうっ”という音と共に、一番近くのボールがゆっくりと最中君の方へ滑り出し、わずかに空中で弧を描くように引き寄せられていった。


「……!」


 私と士郎は目を見開いた。


 これまで、最中君の能力の話はあくまで“報告”でしかなかった。彼自身が語り、政府が認定し、装置が測定した“万有引力”という能力は、現実味に欠けていた。


 しかし、今――目の前でその力は、確かに“存在”を示していた。


「すごい……すごいぞ!」


 士郎は拍手を打ち鳴らしそうな勢いで、タブレットを持つ手を震わせた。


「では、次は少し距離のあるボールを。出力を上げてみてほしい」


 最中君は小さく頷き、次に遠くにあるボールに意識を向けた。

 それも、彼の意志に従って滑るように引き寄せられた。

 次も、また次も。


 だが、三つ目のボールを引き寄せたその時だった。


――バキィィィン!


 実験室の天井から、微かにヒビが入り、コンクリ片がひとつ、床に落ちた。


 私も士郎もすぐさま警戒体制に入り、士郎は腕輪のスイッチに手をかけた。


「暴走か……!?」


 私は身を乗り出しかけた。止めさせるべきか、そう思った瞬間、士郎が制止の声を上げた。


「最中くん、そのままを維持して!」


「えっ……!?」


 私は思わず士郎を振り返った。ヒビはもう、天井の鉄骨まで到達しかけている。これ以上は危険だ。けれど、士郎は平然としていた。

 いや――彼の目は、いつもより鋭く研ぎ澄まされていた。


 彼は数秒間、最中君のバイタルと、実験室の各センサーからの情報が並ぶモニターを食い入るように見つめていた。そして、ふっと何かに納得したように頷いた。


「なるほどね……」


 そう言って、私の方を見た。


「励磁くん、磁力を――徐々に強めていって。ゆっくりでいい」


 私は一瞬ためらったが、士郎の言葉を信じて、右手に力を入れて、能力の磁力を発動した。


「了解よ……強めていくわ」


 実験室の空気にわずかに金属的な匂いが混じった。

 徐々に強くなる磁力に対して、吊るされた鉄製のボールが、重力に逆らうように、元の位置へと引き戻されていった。


「……戻ってる」


 私は小さく声を漏らした。磁力と引力がせめぎ合い、絶妙なバランスを保ちながら、ボールたちは微動だにしなくなった。

 だが――


「天井のヒビは止まらない……!」


 上空を見上げた士郎が、苦渋の表情を浮かべた。

 そして、マイク越しに静かに言葉を告げた。


「最中君、君の能力は暴走していないよ。極めて安定してる。あとで詳細を説明しよう。」


 最中君は、士郎の言葉と、自分の能力がいまも部屋を壊そうとしている現実の差に戸惑った表情をしていた。


「ただ、申し訳ない――止め方が、わからない。

 だから……一度だけ、気絶させるね。ごめんね」


 その言葉と共に、士郎は腕輪の緊急停止スイッチを押した。


 瞬間、バチッという鋭い音が響き、最中くんの身体がびくりと跳ねた。

 そして、そのまま意識を失って崩れ落ちた。


 床に倒れた彼の手から、わずかな残留重力波が消えていくとともに――

 天井のひび割れは、ゆっくりと静止し、崩落の危機は去った。


「……ふぅ」


 士郎が深くため息をついた。


 実験を見ていた高木君は、心配だったのだろう。いの一番に実験室に入っていき、無言で最中君の脈拍と呼吸を確認し、うなずいた。


「生きてるよ。よかった…」


 士郎もうなずき、そして私たちに伝えた。

 

「最中君の目が覚めたら、暴走の理由を説明しよう」

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