第19話 お姉さんと親友

 土曜の午後二時過ぎ。


 駅前の噴水前は年中変わらず賑わっている。じりじりと焼けつくような陽射しの中、それでもめげずに出歩く人たちの姿があった。


 私、甘崎水萌はというと、日傘を差しながらその一角にぽつんと立っている。

 スマホを触る気にもなれず。日傘を貫通する勢いでじりじりと照りつける太陽と、地面からの容赦ない照り返しに、じわりと汗をにじませながら親友の到着を待っていた。


 こうして突っ立っていると、クーラーをガンガンに効かせた部屋の存在がほとんど神話みたいに思えてくる。


 ああ、文明の利器が恋しい……。

 ちょっと遅れるって言ってたけど、ちょっとってこんなに長かったっけ……。


「──みなも〜〜! はぁっ……はぁっ……マ、マジごめ〜ん! どれくらい待った!?」


 ブロンドのミディアムショートヘアを忙しなく揺らしながら元気いっぱいの声と共に現れたのは、私の親友である高槻実里たかつきみのり。高校から付き合いのある、かけがえのない親友だ。


「ううん、全然待ってないよ。私も今来たところだから。起きるのちょっと遅くて、支度に手間取っちゃった」


 本当は十分以上前から居たけど、わざわざ指摘するほどのことでもない。

 女の子の身支度は大変だって分かってる。

 だからこそ、こういう時はさりげなく受け流すのが大人ってもの。


「そっ? あは、良かった♪」


 額の汗をハンカチで拭いながら笑う実里はとても暑そう。 

 陽射しは乙女の天敵なので、日傘に入れてあげることに。


「ねえ実里、髪切った?」

「えっ、うん。毛先がちょっとしつこい感じしたから少しだけカットしてもらったんだ〜。ってかよく気づいたなっ!?」

「ほとんど毎週会ってるしね。それに実里の髪、すごく綺麗だからいつもよく見てるの」

「えへぇ……嬉しぃ……あたしも水萌の髪、超好き〜! さらさら極まってるし二十四時間包まれたい! ってか水萌そのものが好き! 今すぐ付き合お!? あとお◯ぱい揉ませて!? えいえい」

「……ちょっ、そこ勝手に触らないの! 誰かに見られたらどうするのっ?」


 実里の暴走機関車みたいなテンションは、高校の頃から全然変わらない。

 というか、初対面からだ。

 あの日の更衣室の出来事は、思い出すとつい吹き出しそうになる。


『お◯ぱいでかっ! 揉んでいい? あたしのも触っていいから!』


 初対面の台詞がそれって、今思ってもすごい距離の詰め方よね……。


 本人は仲良くなるためにまずはスキンシップからだと思ってたみたいだけど、それにしたって段階を飛ばしすぎ。

 ただの変態だし、私じゃなかったら嫌われてる可能性すらあるのでは?

 まあでも、その独特な距離感は友だちづくりに苦労していた昔の私には羨ましくて。だから少しだけ見習っていたり……そう、ほんの少しだけ。


「というか、なかなか立派なのがそっちにもあるよね。自分のを愛でなさい、自分のを」

「むふふ……やっぱ違うんだよねぇ、揉み心地とか感度とかいろいろと♡」

「か、感度って……」

「別にいいじゃ〜ん、減るもんじゃないし〜? てかその白ワンピ、めっちゃ可愛いんだけど!? いつ買ったの!? 実里お姉さん、惚れちゃったぁ♡ じゅるり」

「き……きもぉ……」

「ちょ、ガチトーン!? 傷つくぅ〜!」

「はいはい。まったくもう……とりあえずカフェ入ろっか。暑いし」

「そだね〜暑すぎて死にそう!」


 そんなわけで、私と実里は待ち合わせ場所から少し歩いてガラス張りのお洒落なカフェに移動。

 店内は観葉植物の映えるナチュラルテイストで、冷房がガンガンに効いている。

 汗ばんだ肌を撫でるひんやりとした空気に包まれた瞬間、ほっと息が漏れた。

 

 生き返る。ようやく人間に戻れた、そんな気さえする。

 この温度感の高低差こそ、真夏の醍醐味だと思う。真冬に入る温泉と一緒で。


 フローズンドリンクとパンケーキを手にして席に着く頃には、じっとり張りついた汗もどこかへ消えていた。


 ガラス越しの陽射しは相変わらず強いけれど、ここは別世界みたいに涼しくて、心も身体もふわっとほぐれていく。


 ドリンクを一口。冷たさと甘さが喉を滑るたびに、暑さの名残が少しずつ洗い流されていくような気がした。


「はぁ〜〜、極楽……」


 思わず口から漏れた声に、向かいの実里が「だよねー」と笑ってフローズンドリンクを吸いながらうんうん頷いた。


「夏バテしてたけど、これ飲んだらマジで復活した気する〜」

「分かる。甘くて冷たいって、それだけで正義……」


 そんな具合に会話は自然と弾み、近況や職場の愚痴なんかをぽつぽつ話しているうちに、話題は最近食べたものへと移っていった。


「そういやあたし、昨日深夜にめっちゃ濃いラーメン食べたんだよね。もう、ギルティの極みって感じのやつ」

「えっ、いいなぁ! どんなの? 写真とか見たい」


 私が身を乗り出すと、実里はちょっと得意げな顔でスマホを取り出した。


「これ、見てよ。豚骨こってり、ニンニクどっさり! しかもチャーシュー分厚くてさ〜! あと、もやし山盛り!」


 画面に映ったのは、見るからにパンチのある一杯。強烈な先制ストレートをお見舞いされた。

 脂の層がきらきら輝いていて、スープの表面には背脂の粒。麺が見えないほどのもやしと、その隙間から覗く分厚いチャーシューのビジュアルに、思わずごくりと喉が鳴る。


「す、すごい……! これを深夜に? 実里、それはさすがに……背徳ポイント高いわね……」

「アハハ! でっしょ〜? もうめっちゃ元気出たの! しばらく何も要らないってくらいお腹いっぱいになったけど」

「気になる……今度連れてって?」

「もちろん♪ けっこう並ぶけどね」

「並ぶのは平気。むしろ覚悟して食べたい、そういうの」

「おっけ〜♪ んじゃ、週末のどこかで予定空けとくね!」

「うん」


 私はスケジュールアプリを起動して、ラーメンの文字を来週末の予定として追加した。

 実里と、それから……晴翔くんのおかげで、最近は一人で過ごすだけの休日が減っている気がする。


 晴翔くんとはまた一緒に映画観る約束もしたし……。


「で、水萌は? 最近どっか行った?」


 ストローをくるくる回しながら、実里がこちらを覗き込んでくる。


「私?」

「うん。美味しいお店あったら教えて欲しいなーって」

「最近行った美味しいお店か……」


 んー……と少し悩んでスマホを取り出す。

 写真アプリを開くと、出てきたのはあの日の記録だ。

 いったい何枚撮るんだってくらい、撮ってある。中にはブレブレのやつもあって、笑いそうになった。めちゃくちゃ酔ってるな、この時の私。


「この前、予約制の個室焼肉に行ったくらいかな。これなんだけど」


 数ある写真から厳選したアルバムを開き、画面を実里の方に向ける。

 綺麗に写った焼ける前のお肉たちだ。


「え、焼肉? うわっ、いいなぁ〜!」

「タンとカルビと……あとハラミ。個室焼肉のNAGISAってお店なんだけど、すごく美味しかったし店内の雰囲気も良かったね」


 カップル限定コースだということは当然ながら伏せて。

 私はあの時の空気を思い出しながら語り、呑気にストローをくわえてフローズンドリンクをちゅーっと吸った。冷たくて甘くて、最高。


「…………」

「……え、なに?」


 実里が妙に真剣な顔で画面を見たまま、瞬き一つしない。その様子に違和感を覚えた私は首を傾げた。

 返ってきたのは、目の前で爆誕したニヤリ笑い。


「もしかしてカレシと?」

「えっ……なんで? いや、普通に……友だちだよ?」

「ほほぅ? その友だちって?」


 やけに詮索してくる。彼氏? どういうこと?

 私はスマホの画面を自分の方に向けて、表示されている写真を確認する。


 そこでようやく自身の失態に気づいた。


 どうやらスマホの画面を実里に見せている間、気づかない内に指でスワイプしていたらしい。

 切り替わった写真は──お肉を食べてご満悦な、ほろ酔いモードの私。

 頬がほんのり赤くて、ちょっと気の抜けた笑顔。晴翔くんが、あのとき「撮りますよー」なんて言ってふざけながら撮ってくれた一枚だった。

 正直、自分でもちょっと気に入ってる。だから一応アルバムに投げて消さずに残しておいた。


 でも、まさかここで見られるとは。


 実里の視線が、じっと画面に注がれている。

 黙っているけどその目は楽しげに「これ、どういうこと?」と語っていた。


 誰かに撮影してもらったという事実は露呈済み。実里が気になっているのは、誰が撮ったのかという一点だ。そして、数ある可能性として彼氏を疑われている。

 彼氏はいないので問題ナシだが、晴翔くんのことはあまり話したくない。いろいろと恥ずかしいことも多いし……。


「……ただの職場の、後輩。友だちだよ」

「ほ〜んとかな〜? なんか怪しいよね〜」


 まるで信じていない実里。すっかり探偵モードのスイッチ入っている。


「この感じだと、少なくとも三杯は飲んでるはず。水萌が人前でこんなに酔ってるなんて珍しいもん。あたしの前でさえほとんど見せたことないのに」

「そ、そんなこと……ないはず……」

「あるある。あんた、酔うとめっちゃ絡み酒になるタイプじゃん? でも迷惑かけたくないからって、基本一杯で止めてるよね」

「う……」


 全てを見透かされているみたいで、苦しい声が出る。

 

 私がそうやってお酒をセーブするようになったのは、大学生の頃に少し苦い思い出があるからで。

 だから基本的には一杯だけ。会社の付き合いなんかでは、絶対に二杯目は行かないって決めていたのだ。


「その日は、ちょっと油断したというか。焼肉食べてたらお酒も欲しくなるし……」

「ふぅん? 油断してもおっけーな職場の後輩がいるんだ? デキるお姉さんやってるんじゃなかったっけ〜? あはは」

「うぐっ……」


 ボロが出過ぎている。もっと上手な嘘をつける人間になりたかった。


 しかしまさかそこまで見抜かれていたとは……。


 さすがは私の親友!

 感心してる場合じゃないけど。


「いいから話してみ〜? 彼氏ならいろいろ相談乗れるよ♪」


 完全にロックオンされてる。


 こうなると、実里は絶対引かない。

 ヘタにごまかせばするほど詰められるやつだ。っていうか、すでに詰めに入ってる。


 ふぅ……こうなったら、もう、観念するしかない。


「ごめん嘘ついた……彼氏ではないんだけど──隣の部屋の子なの。たまたま、っていうか……酔った勢いで焼肉誘って……」

「うんうん♪ それで? 馴れ初めからはいど〜ぞ♪」

「馴れ初めって……笑わないでよ?」


 視線を泳がせながら、私はこれまでにあったことを静かに白状し始めた。

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