第15話 お姉さんと溶けかけのアイス②
ピローンという電子音と一緒に、冷房の風が顔に当たる。
「らーしゃせー」
店員さんの疲れ気味で気の抜けた声も、また乙なものに感じられた。
「はぁ〜〜天国……このままここに住もうかな」
「通報されますよ」
「大丈夫、そうならないように晴翔くんが家まで運んでくれるもの」
「オレ、深夜に酔っ払いのお姉さんを担いで帰る系男子じゃないんで」
「そんなっ……近所のお姉さんがコンビニに根を張りかけてるというのに見捨てちゃうの!?」
「それ、保護じゃなくて駆除案件なんですよ」
「ひどっ! これはもうアイス食べて心を癒すしかないわね……ぐすん!」
わざとらしく言いながら、水萌さんは涼しげな冷凍ケースを上から覗き込む。
「う〜ん……こっちのバニラも捨てがたいし、チョコも鉄板……スイカバーはこの前食べたし……あ、このチョコミント懐かしい……」
「意外と迷うんですね。即決タイプかと思ってました」
「今日は悩む日だね。ということで晴翔くんが決めて?」
「何が、ということで、ですか」
「なんとなくお姉さんに似合いそうなの♡」
「いきなりすっげぇ無茶振り……」
オレは考える。そう時間はかからなかった。
「……チョコミントかな」
「その心は?」
「ちょっとクセがあるけど、ハマるとやみつき的な」
「ふふ……ハマるとやみつきなんだ」
「た、たぶん」
「じゃあチョコミントにしようかな! これなら晴翔くんと並んで歩く時に片手を空けられるし」
パチンとケースを閉めて、チョコミント片手に振り返った水萌さんは、なんだかちょっと勝ち誇った顔をしていた。
「晴翔くんは食べたいの決まった?」
「う〜ん……なかなか決まんないもんですね」
「私に任せてみる?」
「ネタに走りそうだし、チョイスに一抹の不安が……」
「うふふ、それはどういう意味かしら……」
「なんでもないです、すみません」
「だめ、罰としてお姉さんが選ぶね」
そう言って手に取ったのは──。
「はいっ、晴翔くんにはコレ! パキパキ君ソーダ味! 当たりが出たらもう一本♪」
「意外にオーソドックス!? とりあえず理由が聞きたいですね」
「晴翔くんって一見するとクールっぽいのに、テンパるとパキパキになるでしょ? あれ、まさにパキパキ君だなって」
「っぷ……ふっ……なんですかパキパキになるって! 雑すぎません?」
「まあまあ、続きを聞いてちょうだい?」
「続きあるんだ……」
「ちゃんと冷たくて、シャキッとしてて、爽やかで、でも口の中でパキパキして……社会の熱に曝されて疲れてるときにこそ染みるの。晴翔くんも、ちょっと似てる。お姉さんにとっての、パキパキ君」
にこっと笑って、パキパキ君を手渡してくる水萌さん。
「水萌さんにとってのパキパキ……なるほど」
意味は分からなかったけど、なんか面白かったのでパキパキ君ソーダ味にした。
■■■
「……で、結局まだくっついて歩くんですか?」
「うん、こうしてたら自動歩行できるの」
「オレを便利なロボ扱いするのやめてもらえません!?」
夜風に吹かれながら歩く、アパートへの道すがら。
オレの右手には夏の空気に包まれ元の輪郭を失いつつある溶けかけのパキパキ君ソーダ味。これじゃパキパキとは言い難いか。
そして左手は……行き場を失っている。
その本体である腕に、ふにゃりと水萌さんが絡みついているからだ。
ほんのり残る焼肉の匂いとアイスの冷たさと、水萌さんの柔らかい温度を確かに感じている。
「……完全に占拠されてるんですけど」
「ごめんね、支えてもらっちゃって。こうしてないとふらふらしちゃうの」
「怪我されたら困るんで今日は許しますけど……自分の限界を越えようとする癖は良くないですね。お酒の飲み過ぎ、次は厳しくいきますから」
「晴翔くんがコワイっ!? き、気をつけるね?」
チョコミントをぺろりとひと舐めしてから、ちらっと上目遣いでこちらの様子を伺う。
困ったように眉尻を下げ、どこか少しだけ不安そうな目をしていた。
ちゃんと反省はしてるんだろう。
なのに、腕にはしっかりくっついたままってあたり、ほんとよく分からない人だ。
……でもまあ、嫌じゃない。
オレも大概ってやつか。
水萌さんには、どうしたって甘くなってしまうんだ。
そんなことを思っているうちに、アパートの灯りが視界に入ってきた。
「──ん〜、ただいま〜。って、言っても部屋までまだあるけど」
「とりあえず無事に帰れて良かったです。あとはちゃんと鍵開けて、自力で部屋に入るだけですね」
「ふふ、なんか厳しいなぁ。じゃあ、ここで『ドアの前で寝落ちするイベント』起こしてみよっかな?」
「翌朝ニュースになるんでやめてください」
「晴翔くんのそういうツッコミ、なんか好き〜」
そう言って、水萌さんはくすくす笑いながら、オレの腕にもういっそう体重をかけてくる。ふらつきながらも、階段を一段ずつ上がっていく。
なんとか登り切ったところで、水萌さんがふうっと息をついた。
肩にもたれる重みが、少しだけゆるむ。
目を細めて見上げるその表情は、酔いと満足感がまざって、ぽわぽわとした空気をまとっていて……。
「晴翔くん……今日は、ほんとにありがとね? 急に誘ったのにノリノリで来てくれて……楽しかった」
「いえ、オレもすごく楽しかったです。水萌さんともっと仲良くなれた気もしましたし……また、行きましょう」
「晴翔くん……うん、また行こうね」
ふわりと笑みを浮かべて、水萌さんは軽く上体を揺らす。
「焼肉を一緒に食べた仲なんだから、もうじゃんじゃん誘ってもいいよね?」
「た、例えば」
「深夜のラーメンとか」
「ちょっとノリが大学生すぎません!?」
「ふふ、お姉さんも心はまだまだ大学生だから」
「確かに、もっと幼い気すらしますね。まあ、付き合いますけど。ただ酔った勢いで高級店を予約するのだけはやめてください」
「うん……気をつけるね。あっ、晴翔くんは大丈夫だよ。お酒の勢いで高級店とか予約しちゃったら、お姉さんが付き合ってあげるから。だから安心して酔ってもらって」
「それ、やらかしちゃうの水萌さんくらいなんですよ……というか大の大人が学生に悪酔いを推奨しないでください」
「ふふっ、だって共犯者がいたほうが楽しいし」
「共犯者扱いやめてください。電話かかってくるたびにヒヤヒヤしちゃいますよ」
「そんなスリルもお姉さんの醍醐味ってことで……じゃあ今度はちゃんと選んだ素敵なお店に連れてってあげるね」
「ネタ路線にならないといいけど」
「お姉さんの信用ゼロ……」
そんな冗談まじりのやりとりにも、水萌さんはくすっと嬉しそうに笑っていた。
「っと……じゃあ、またすぐ誘うから覚悟しててね?」
おどけたようにそう言った。
「あっ……」
別れの時間。さっきまでくっついていたぬくもりが、するりと腕を離れていく。
もう少し、このままでもよかったのに。
名残惜しいという正直な感情が、胸の奥でぽつんと呟かれた。
でも、もちろんそんなことはお首にも出さない。ただ黙って見送る。
一歩二歩、水萌さんは自分の足で自室のドアの前に向かった。小さく揺れる後ろ髪に惹かれてしまう。
鍵を取り出す手元が少しだけもたついていたのが、どこか彼女らしくて可笑しかった。
扉が開き、水萌さんは酔いの残る頬に赤みを滲ませながら、こちらに向かってひらひらと手を振った。
「おやすみ、晴翔くん」
柔らかく甘い声が、夜風に紛れてそっと耳をくすぐった。
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