第14話 お姉さんと溶けかけのアイス①
店を出た瞬間、ぬるく心地の良い夏の夜風が頬を撫でる。
お腹はすっかり満たされて、体の奥にぽかぽかとした温かさが残っている。
焼肉の香ばしい匂いがまだ鼻の奥に漂っていて、それすら心地いい。
あれだけ笑って、あれだけ食べたのに、不思議と今も胸がふわふわしてるのは、きっと水萌さんと一緒だったからだ。
駅前の喧騒を少し抜け、街灯の灯る静かな路地を二人で並んで歩いていく。
「ふわぁ〜……お腹いっぱいだね」
となりで水萌さんが小さく伸びをする。白い腕が夜空に向かってひょいと伸び、その拍子にオレの肩に軽く寄りかかってきた。
「ここに良い感じの枕を発見♪」
「歩きにくいんで人の肩を枕代わりにしないでくださーい」
「そう硬いこと言わずー!」
身長差が本当にちょうど良いらしい。オレより少し背の低いお姉さんの頭がちょこんと肩に乗っかる。
さらさらで手入れの行き届いた黒髪からは上品で優しい香りが。
いい匂い──なんて、安っぽい言葉じゃ足りないくらい、お姉さんらしくて惹かれてしまいそう。
だが当の本人は、焼肉をたらふく食べ、お酒も四杯飲んだことによるコンボで完全に眠気モードへ突入している。
耳元で甘い脱力ボイスをふわりと落とされるたびに、こっちは理性の扉を叩かれているっていうのに。
「寝てる間に自動でお家まで運んでくれる優秀な機械とかないかな〜……晴翔くん式ロボとかでさぁ……」
「そんなAI機能オレには搭載されてません」
「むむ……じゃあせめて、こうして歩かせてぇ……」
そう言って水萌さんは、オレの腕にそっと自分の腕を絡ませてくる。
そのままふにゃりと、密着──。
「あの……う、腕に当たってます……!」
「ん〜? 何が当たってるの?」
「口に出すのは恥ずかしいんで勘弁してください……」
「ふふ、正直だね。いいじゃない、減るもんじゃなし〜♪」
「いやそれ普通触る側が言うセリフでは!?」
「そう? ま、いっか♡ 減ったって、晴翔くんなら大丈夫よっ」
「いや何が大丈夫なんですか!? あんまり変なこと言うとこっちも勘違いしますよ……」
「ふふふっ、照れてるの〜? ん……っていうか、晴翔くんの腕おっきいしゴツゴツしてる……かっこいいね、お姉さんびっくりしちゃった……♡」
「き、鍛えてますから。くすぐったいんで、そこ指でさわさわしないでください」
「しないでって言われたらしたくなっちゃうな〜! さわさわ〜!」
全然言うことを聞いてくれない水萌さんは、オレの腕に指を這わせながら、ぐいっとさらに密着してくる。
側から見たらただのラブラブカップルだ。
引き剥がすのは、なかなか手間がかかりそう。
いや、そもそもオレは引き剥がしたいのだろうか。
この感触を手放すのは、どうしても惜しい気がして……。
もし、オレがその先に手を伸ばそうとしたら水萌さんは……お姉さんはどんな反応をするだろうか。
……いやいや、何を考えてるんだ。
落ち着け、風間晴翔二十歳童貞。
ここでテンパったら思うツボ。
努めて冷静に、酔いどれお姉さんの相手をするんだ。
「ほら、水萌さん、車道側は危ないんでこっち歩いてください」
自然な動きで内側へ誘導すると、水萌さんはきょとんとした後、ふにゃりと笑った。
「……んふふ、やさし〜。晴翔くん、そういうとこ好感度高いよ〜?」
「恋愛ゲームか何かですか」
「ふふ、お姉さんを攻略してみる? 難易度は鬼だけど」
「やめときます。オレなんかじゃとても……」
冗談混じりのはずだった。けれど水萌さんはふと足を止め、少しだけ真剣な表情になる。
「なんかとか言わないの〜。そうやって自分を下げるのナシです、いい?」
水萌さんがオレの手を両手でそっと包み込む。その手はほんのりと温かくて、やわらかくて、心までじんわりと溶けていくようだった。
「晴翔くんは頼りになるし、素直だし、優しくて……お姉さん、君のそういうとこ全部、すごく気に入ってるんだから」
いつもの茶化しではなく、真っ直ぐな言葉。
脈が、跳ねる。
とにかく顔に出ていないことを祈るしかない。
神妙な空気が流れる。
オレが返事に迷っていると、水萌さんが急にぴたっと足を止めて一際明かりの灯る方を指差した。
「コンビニ寄ってかない? アイス食べたい!」
相変わらず自由奔放というか、この切り替えの速さに助けられることもあるものだ。
「もう何も入らないくらい満腹なんじゃ……」
「焼肉の後には必ずアイスを食べなさいって、法律に書いてあった気がするの」
「どんな法律ですか……」
「晴翔くんも食べるでしょ? お姉さん奢っちゃう♪」
まぁ、夏だしな。
夜風にあたって少し歩けば、アイスくらいは入るかもしれない。
「分かりました。じゃ、寄っていきますか」
「やった〜っ♡ 晴翔くん、最高っ!」
声を弾ませると、満面の笑顔でふらふらと店内に吸い込まれていく水萌さん。ついでにオレも吸い込まれる。
一緒にコンビニに入るなんてごく普通のことかもしれないけど、なぜかちょっとした非日常感を覚えた。
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